« 「名優の笑顔」 | メイン |  【私と政治 2】 »

a003113

【私と政治】

政治に関心がない、もしくは期待しないのは若者だけの特権ではない。わたしくらいの年齢になると政治に冷めてくる。その理由を書き記してみた。


テレビニュースでよく使われる「ある自民党幹部の声」という覆面コメントが嫌いだ。同じ党内部のことなのに他人事のように語るナレーションが実に気味が悪い。
maki18.jpg

高度成長期に生まれたわたしの人生の尺だけで感じる政治への印象は、常に「選挙のための政治」を脱していないという一言に尽きる。


己の人生をかけて国策に取り組んでいる真摯な議員もたくさんいるはずなのに、個人の情熱や輝きはわたしたち有権者に伝わってこない。ただただ与党という組織の身勝手さと頼りなさだけが目立つだけ。辞めて解散。また作って辞めて解散…。


ドラマやバラエティ番組花盛りの時間帯に突然総理大臣が辞任記者会見を行い、各局が番組を中断、速報を流す。「え〜っ、ドラマの途中じゃない…」などと世の女子供の反感を買う。これ一つとっても国民目線に欠いた空気が読めない政界の都合や慣習と写る。


花束抱え同僚たちに見送られ黒い車に乗り込む元大臣の姿を見ても、責任を取って辞任という光景ではなく、まるで永年勤続者の勇退シーンのよう。


膿のように次々に出てくる政治家、官僚、省庁の不祥事。この体たらくなさまは、国策の名を借りた犯罪だと思う。しかし、「犯罪だ」とはっきり声にしないのが、この国の習わしか?。民間なら倒産を覚悟しなければならぬ失態にもかかわらず、トップが辞任するだけで組織が解体されることはない。


水戸黄門の悪代官・悪奉行のような政治家や官僚たちがすくすくと育ち甘い汁をズルズル吸い上げている。しかし、テレビみたいにご老公は一度も現れたことがない。せめて助さんか格さん、いや風車の弥七でもいい。


国民を騙し裏切り続ける政策や省庁の犯罪は、わたしたち国民の人生を脅かす暴力を使わない「政治的テロ」または「恐怖政治」だと感じているのはわたしだけなのか?


政治家も役人も「個」としての表現でなく「組織」としての表現ばかりを行ってきた古い環境にいま起こっている諸問題の病魔を感じる。


その古い環境へ議員を送り出しているのは、わたしたちだ。選挙および総裁選は子供の頃に体験した学級委員や生徒会長を選出するときの予定調和的な雰囲気とどこか似ている。「個」の輝きや魅力以前に学校という「組織」に漂う空気を大事にする。適任者を先生も生徒も無言のうちに了解し合っていた懐かしき人選。