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「ジュリーが佐世保へやって来る♪」

タイガース時代の活躍はよく知らない。が、ソロになってから歌番組やレコード大賞、紅白に出演していたジュリはティーンズだったわたしに鮮烈な印象を与えたアーティストの一人だ。

それはグループサウンズブームが去った後の昭和40年代後半から50年代。「危険なふたり」「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」「サムライ」「ダーリング」「LOVE抱きしめたい」「カサブランカダンディ」「OH!ギャル」「TOKIO」「恋のバッド・チューニング」「ス・ト・リ・ッ・パー」「おまえにチェックイン」「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」……。次々と発表される個性的な楽曲はまるでわたしの青春BGMのように日々どこかで鳴り響いていた。

昭和40年代のロックはまだまだ洋楽が主流だった。日本のロックは、市民権を得ることなく“和製ロック”という枠から飛び出せず試行錯誤していた黎明期だったと思う。そんな中、わたしは吉田拓郎の33回転レコード『今はまだ人生を語らず』を何度も聴きながらフォークとかニューミュージックというカテゴリーを越えた「不思議なかっこよさ」を密かに感じていた。そしてモーリスを買った。

やがてキャロルや甲斐バンド、ダウンタウンブギウギバンドを知り、カルメンマキ&オズ、遠藤賢治、シーナ&ロケット、パンタ&ハル、RCサクセション、サザンオールスターズなど日本語によるロック表現を確立し個性を放つミュージシャンたちが続々と現れた。中学生から高校生にかけて初めて歌謡曲ではなく、日本のロック存在を認識するようになった。

そんな時代と交差しながら、ジュリーは演歌やニューミュージックなど具だくさん、幕の内弁当のようなブラウン管の中から茶の間に向けてロックスピリットを放って楽しませてくれた。まだビデオも一般的でなくPVも普及していなかた時代だ。テレビの歌謡ショーという枠の中で斬新なビジュアルとサウンドを見せつけ、るラジカルな姿勢が痛快だった。特にジュリー&エキゾチックス時代のバンドサウンドが一番好きだった。海の向こうのミックジャガーやデビッド・ボウイなどロックスターに負けないオーラを発光していた。
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セックスピストルズ登場後、パンクからニュー・ウェーブ、ニューロマンティクスと目まぐるしく変化していくブリティッシュロックシーンと平行するように、日本でも東京ロッカーズやめんたいロックというムーブメントが巻き起こった熱き80年代初頭。既存の価値観にとらわれない自由な表現を行うユニークなロックバンドが競うように登場し始めた頃、手軽なテレビを介して楽しめたジュリーの楽曲は今も色あせないわたしの中のロックだ。

さらにもう一つの大きな出会いは長谷川和彦監督の傑作『太陽を盗んだ男』である。一個人が原爆を作って国家を脅迫すると言う破天荒な題材の映画なのだが、爆弾を盾にとり個人的な要求を繰り返す主人公の姿に核実験を繰り返し、国策を巡って敬遠し合う核所有国の現実が重なり冷戦の病理も感じさせる作品だった。そんな重いテーマを理屈でなくハリウッドにも引けを取らない極上の娯楽作品として見せつけたのがゴジこと長谷川監督だ。その感性と手腕に高校生だったわたしは衝撃と感動を覚えた。長谷川監督もわたしの青春にとってロックな人物だ。そして銀幕の中で主人公、城戸誠をクールに演じていたのもロックな人……ジュリーだった。

時は過ぎ、21世紀。わたしも四十半ば過ぎ。ジュリーは還暦を迎えて全国ツアーを展開中で、明日8月2日(土)にわたしの住む佐世保市にもやって来る。70年代〜80年代にリアルタイムで聴いたヒット曲ももちろん聴きたいが、60歳で新譜をリリースしてバンドサウンドを引っ提げ全国のステージに立つ現役ロッカーの生きざまにぜひふれておきたくチケットを買った。しかも、ツアーギタリストは元ルースターズ(Z)の下山淳。熱烈なるルースターズ(S+Z)ファンだったわたしにとって申し分ない豪華なプログラム。年を積んだ下山淳のギターリフも大いに楽しみたい。さらに会場がアルカスSASEBOではなく昭和の名残り漂う佐世保市市民会館というのもいい。ロックな気分を増幅させてくれるのではないだろうか。

先日母親に「今度、沢田研二ば観に行くちゃん」と告げたところ、「あら、あんたは昔よくマネしよったもんね」と言葉が返ってきた。うむむ、ちょっと恥ずかしかった。ジュ、ジュ、ジュリ〜! (葉月)