【 百万円の雨 】
先日、約100万円する雨を見た。
大宮市場で買った手作り日替わり弁当を食べ終え、窓外を眺めながら歯を磨いていると、雨が降ってきた。細い雨脚は、建物や車にかすかなしずくを残しただけで、本降りなることなく、すぐに止んだ。
佐世保市では小雨による水不足が続いている。さまざまな渇水対策が検討される中、初の人工降雨実験が行われた。市から依頼を受けた九大の研究チームが、飛行機に乗り込み、雲に液体二酸化炭素を散布。蒸発した炭素が空気を冷却して、雲の中に氷の結晶を作る。その結晶が成長して雨粒になって落ちる。というメカニズムらしい。
「実におもしろい…」と、テレビドラマ「ガリレオ」の名台詞が聞こえてくるような、自然科学の素晴らしさを秘めた興味深い実験だ。残念ながら、渇水に役立つまとまった雨を降らせることはできなかったが、理屈通りに上空に雨雲が垂れて、小雨がぱらついた。翌朝の新聞には「人工降雨 実用へ一歩」「人工降雨 成否微妙」などのタイトルが踊った。
ちなみに、この実験の予算は1回約100万円ほどかかるそうだ。高いのか安いのか分からない。100万円あれば、水をどれくらい買えるのか? という素朴な疑問も浮かぶ。しかし、科学の進歩を考えるとうなずける金額にも思える。人類は優秀な学者たちのおかげで、豊かな文明を築いたきた。これまでもドラえもんのポケットが決してサイエンスフィクションではないことを、さまざまな発明と開発で予感させ、実現させてきた。科学は実に素晴らしく、頼もしい、人類の英知だ。
だが、一方で科学がもたらした豊かさが、人類の危機も招いている。45億年も生きてきた地球の生命を、わずか一世紀ほどでことごとく傷つけているのは、先人達ではなく、今を生きているわたしたちなのだ。
科学で雨を降らせることができるのなら、オゾン層も人工的に作って簡単に補うことができるんじゃないか? と、わたしたち素人は考えてしまう。これが人類のおごりなのかもしれない。自然界のメカニズムを科学療法で修復するということは、薬漬けの人体と同じ気がしてならない。
約100万円の小雨を降らせた雲に、「どんな感じだった?」と地球の気持ちを聞いてみることができる人類の英知に未来を託したい。