世知原・吉井町の石橋群をめぐる。

雪の日の「きりのき橋」
上柚木の小塚岳トンネルを潜ると、みぞれが雪に変わった。道路に積もった雪を除雪車のシャベルが取り除いている。対向車に注意を払いながらゆっくりと県道世知原吉井線を下った。
 バス停高観寺橋付近で車を降りると、すぐそばに高観寺橋があった。佐々川上流に架かるこの橋は、今はもう使われていない。橋の上には雪がシャーベック状に積もっていた。清流のせせらぎの音がここちよい。この橋は昭和4年に完成し、橋長13.3m、幅員3.9m、橋高6.4mである。
尼崎橋
 県道を更に下って左折し棚田を抜けると、尾崎橋があった。交通量は少ないが今も使われている。少し下った所から見上げると、竹林を背景に橋幅3.6mの短い橋が、急峻な断崖に架かっている。両側の断崖を加工して橋台とし、輪石には砂岩でなく安山岩系の石を使用するなど、伝統的な構築技法を使っているようである。  大野から板山峠を越えて来る道と合流する地点まで下り、更に700m程進むと、右折して北川内川沿いに上った。1km程進むと棚田の中に小さな石橋があった。きりのき橋である。とけ始めた雪を踏みしめながら、欄干から川のそばまで下りた。この橋は周囲の田園風景によく溶け込んでいる。きりのき橋は大正15年に完成し、橋長5.7m、橋高3.1mである。この上の方には松浦炭鉱中央鉱の円筒上の排気口跡がある。
倉渕橋
 現在、世知原地区には17橋の石橋が残っている。これらの石橋群は、ほとんどが明治後期から昭和初期に架けられた。その理由の一つに石炭の発達が挙げられる。石炭を積んだトロッコは大変重いため、それまでの木橋や土橋に変わって丈夫な石橋が架けられた。また、軽便鉄道の生みの親、中倉万次郎が石橋の建設を奨励したことも大きな要因の一つである。更に、石材の豊富な世知原には石工が多かった。このような背景から、世知原の石橋群には江戸時代からの伝統的な石工の技法で架けられた橋と、近代的な技法によって架けられた橋が混在しており、個性豊かだ。 県道世知原吉井線を下り、国鉄世知原駅跡にできた公園付近で左折すると、倉渕橋があった。この橋は、佐々川本流、県道菰田線に架かり、完全な近代的設計技法によって造られている。大正8年に完成し、橋長20.6m、幅員4.6mあり、世知原地区内最大のアーチ式石橋である。
祝(いわい)橋
   河畔を歩いてみた。橋は見事な半円を描き、川端は川遊びの場として整備してある。堰の中で遊ぶカモが人の気配に一斉に下流へと飛び立った。  公園から更に2km程下るとバス停祝橋に着いた。鎮守神社の苔むした鳥居を潜り、境内から佐々川へ進むと、橋高11mの祝橋を見上げる形になった。川の浸食でできた渓谷を跨ぐ形の祝橋は雄大な景観を作っている。壁石は砂岩を使っているが、アーチの輪石は安山岩を使用している。  祝橋を過ぎると、吉井地区である。県道を吉井の市街地まで下ると、佐々川本流、大渡・立石間に架かる樋口橋にぶつかった。国道204号線に抜ける道に架かり、今も交通量が多い。この橋は、橋長36m、幅員6.4mの市内で唯一の二重アーチ形の石橋で、大正11年に完成した。橋の袂にに立つブルーの洋館作りの建物や欄干の街灯は、今でも大正ロマンの香りを感じさせる。 橋上から、カモの遊ぶ佐々川の清流を眺めながら、吉井、世知原との合併により、佐世保市は石橋の街になったのだなと改めて実感した。
樋口橋
   
掲載日:2006年04月15日