昔の風景があちこちに残る佐賀・神崎
次郎物語から弥生の吉野ケ里まで

 佐世保人のたいがいは佐賀出身だ。明治期の文学者吉田弦二郎も神崎の生まれで、この広々とした田園と山が迫った風景は、どこか佐世保と繋がっている。
卑弥呼が住んだ邪馬台国か、と発見当初は大騒ぎ。佐賀平野の小高いところにある弥生時代の環濠集落の跡だ。半地下式の住居に入ってみると、弥生人になったような気分。

昔の風景があちこちに残る佐賀・神崎

次郎物語から弥生の吉野ケ里まで


『白鳥蘆花に入る』
 一面に咲く蘆(アシ)の花の中に白鳥が舞い込む。姿は没するけど、その羽ばたきで起こった蘆花の波は無限に広がって美しい。下村湖人が好んで使った言葉である。それは教育者でもあった下村の生き方そのもの。
 『次郎物語』の作者である下村湖人は、佐賀の神埼郡に生まれた。生家が保存され、腕白だった次郎少年が遊んだままの風景が、まだあちこちに残る。家の脇にある水草を浮かべたクリークはその名残だろう。
 神崎は筑後川から背振山まで南北に細長い行政区域だ。田園風景が広がる南部から、少し上ると、『横武クリーク公園』がある。コの字型の屋根をした『くど造り』民家が再現されて、昔の暮らしを垣間見ることができる。周りをめぐるクリークにはフナを釣る人の姿も。実にのんびりとした風景だ。秋にはハンギーという木製のたらいに乗った菱の実採りが行われる。
 今回のドライブの中心はやはり『吉野ヶ里遺跡』だろうが、その前に山間の、神崎の里を訪ねた。ここはソーメン造りで有名。背振山からの流れを利用して、水車でゴトンゴトンと砕いていた。その名残を見る『水車の里』の奥には、『梅の花』の豆腐工房があって、無農薬野菜を使ったレストランや、レトロな雑貨屋風な店が新しく出来ていた。その傍にある『白角折(おしとり)神社』には樹齢1000年といわれる大楠が見事な枝を張っていた。
 新年の初詣は『仁比山神社』はいかが。緑が深い静かな神社で、境内には見ザル言わザル聞かザルの像が。参道の脇にある『九年庵』は秋には紅葉の名所として大賑わいだ。
 神社の下に『仁比山公園』があり、城原川に木製の素敵なデザインの橋が。
 昼食は渓流を望みながら名産のソーメンを食べた。清流と山のひんやりした空気が美味しいソーメンを作る。のどごし爽やか。
 さて、目的の『吉野ヶ里歴史公園』へ。発堀当初たびたび来ていたけど、あの興奮が収まって改めて見ると、さま変わりに驚く。茅葺の竪穴式住居や櫓や館が再現され、まるで弥生時代のテーマパークだ。タイムスリップした気分にはなって教えられるものはあるのだが、驚きと発見がない。気づいたことは、住まいの形は二千年前もあまり変わってないということ。生活も農具も戦前とほぼ似たようなもの。それに比べて、この半世紀の変化はすごい。時代は加速度で変化していく。
 佐賀平野のあちこちに昔の暮らしを感じたドライブだ。


小説「次郎物語」はこの佐賀平野の風景から生まれた。下村湖人の生家が残されている。
秋にはびっしりと菱が実るクリーク。横武クリーク公園はのんびり散歩に最適。
長い歴史を持つ神崎ソーメン。渓流を眺めながら「百年庵」でツルツル。
仁比山公園にある木製のトラス橋(愛逢橋)はユニーク。水が温むと河原遊びも。
山門に仁王像がある、仁比山神社。境内には巨木が茂って、春は新緑、秋は紅葉を楽しめる。
白角折(おしとり)神社の境内には樹齢1000年、高さ22m、根回り29m。見事な枝ぶりだ。
水車の里遊学館から川を隔てて、自然食をテーマにした憩いどころが。
吉野ヶ里の再現された塔の中に、弥生時代の支配者たちがジオラマで再現。


掲載日:2008年02月06日