ただ海沿いの道を、大村から多良見まで
走ったら、キリシタンの歴史が見えてきた

 西彼杵半島の大村湾沿いをドライブすることはあるけれど、普通は中々走らない大村から多良見のかけての海沿いの道を今回はゆっくり走ってみた。
なんでもない大村湾に望む風景。こんな優しい景色がどこにもあって、道沿いにはいくつもの食事処や喫茶店があって、のんびり走るだけで楽しい。

ただ海沿いの道を、大村から多良見まで

走ったら、キリシタンの歴史が見えてきた


 長崎に行くとき、最近は長崎自動車道を使うことが多く、一般の国道さえ通らない。とくに大村から諫早にかけては鈴田峠の道も最近は通らないのだが、もっとローカルな道を楽しもうと、岩松駅の手前から左に折れて線路を越え、海岸沿いを走ってみることにした。この道のあちこちにはフランス料理の店や、手打ちの蕎麦処、お洒落な和食茶房などがあって、ちょっとしたドライブ気分を味わえるのだ。
 まず車を止めたのは、『鈴田牢』としてキリシタンの歴史に名高い史跡。驚くほど狭い場所に、何人もの宣教師が閉じ込められ殉教している。
 青い海と空を背景に立つ十字架を後にして車を進めると、『日岳公園』というサインが誘うので、どんな公園かと山の方にハンドルを切った。ぐるぐると上り切ったところは360度のパノラマ。長崎空港が眼下に望めた。
 道がカーブするたびに大村湾の風景が変わって面白い道だ。緑の田園と青い海のコントラストと、なんでもない風景だが心を和ませる。
 道はやがて西諫早のところで国道34号線に出た。諫早市街に立ち寄ってみよう。まず、眼鏡橋がある諫早公園に行く。天保十年(1899)に建設されたという眼鏡橋は、昭和三十二年の諫早大水害を機に、この地に移されている。石橋では日本最初の重要文化財に指定されている。
 その背後の小高い丘が高城址。城跡はまったくないけど、樹齢600〜1000年のクスノキの巨木が頂きに繁っている。階段の途中に『伊藤静雄』の文学碑があった。諫早で生まれた伊藤静雄は、萩原朔太郎に「日本にまだ一人、詩人が残っていた」と賞賛された日本浪漫派の詩人として名高い。
 もう一人、諫早の作家の文学碑が近くにある。それは「草のつるぎ」で芥川賞を受けた『野呂邦暢』。この土地をこよなく愛した作家だ。  国道207号線に入って、多良見へとまた海岸に沿って走る。途中にある『のぞみ公園』から見る景色は素晴らしい。ひろびろした芝生があって子どもが喜びそうな遊戯施設がある。車を止め、芝生の寝転がって、海と空の青をいっぱい胸に吸い込んだ。
 そしてドライブの終点は、最近発見された『千々石ミゲル』の墓だ。長崎本線のガードを潜ったミカン畑に、大きな墓が一基ある。千々石ミゲルは天正少年遺欧使節の四人の内で、一人だけキリスト教を止めて武士に戻った男。その後にどんな人生を送ったのか、まったく謎のままだった。
 この多良見の地は武士になった彼が与えられた土地だという。緑いっぱいの風景に立つ自然石が、歴史の深い悲しみを物語る。


禁教令の後、長崎で捕まえられた宣教師たちが閉じ込められた『鈴田牢』の跡。
緩やかに海と繋がっているような地形だ。カヤックの基地もあった。
日岳公園の頂からは長崎空港など360度の大パノラマだ。
のぞみ公園には子どもたちが遊ぶ遊戯施設があって、ゆったり楽しめそう。
裏に「玄蕃」と息子の名が刻まれている『千々石ミゲル』の墓。
諫早公園に移された『眼鏡橋』は、石橋として日本で最初の重要文化財指定だ。
高城址にある大楠。諌早氏の墓所である「天祐寺」が山裾にある。
「草のつるぎ」で芥川賞を受けた野呂邦暢の文学碑。この地をこよなく愛した作品を残す。


掲載日:2007年10月13日