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      <title>らいふのまきたろう雑文ノート</title>
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      <description>ライフさせぼ紙面で「パパの赤ちゃん日記」や「ガッペイジャー」、「現代妖怪事典」「亜細亜的電影」などを連載。音楽イベント「ライフdeライブ５・３」をプロデュースしている、らいふの まきたろうの雜文ノートです。</description>
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         <title>「素晴らしき美術監督」</title>
         <description><![CDATA[<img alt="bar.JPG" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/bar.JPG" width="283" height="213" /align="right" vspace="3" hspace="10">
種田陽平という名前をまったく知らず、岩井俊二という名前に牽引されて結果的に種田陽平という名前を知ることになった記念すべき作品が96年に公開された『スワロウテイル』だった。
　
その後『キル・ビル』などで活躍しながら脚光を浴び、今や日本映画界を代表する美術監督の１人となった。そんな種田さんが03年にわがまち佐世保市に滞在。赤レンガの立神音楽堂の入口にエキセントリックな鳥居のセットを組んだり、音楽堂の中にライブバー「ブラックローズ」や、スポーツランド跡地にフェスティバル会場を創り出し、見慣れた現実の中に虚構世界を創造していく映画づくりの面白さを体現させてくれた。

新進気鋭の李相日監督が佐世保ロケでエネルギッシュかつポップな青春像を焼きつけた『69sixty nine』の美術を手がけたのも種田さんだ。氏は佐世保の大ファンで映画公開記念イベント『ブラボーＳＡＳＥＢＯフェスティバル』のプロデュースも自ら担当。その時に販売された種田さんデザインのＴシャツ（黄色）を私は６年経った今も愛用している。

ロケ地マップの制作にも携わった私は、種田さんをインタビューする機会にも巡り会えた。「佐世保は土着的な村意識が薄く、何でも受け入れるターミナル的な自由な雰囲気を持っている街に感じる」という感想が記憶に残っている。その後、ハウステンボスの『夏の祝祭劇場灯りのまつりファントマティーコ！』の美術監督を務められた時も東洋のランタンとヨーロッパの街が融合したような無国籍な現場で創作の話を聞くことができた。

三谷幸喜作品でも独特の質感を漂わせる見事な美術で作品の世界観を広げてきた種田さん。撮影や照明、音楽と同じく美術という仕事が映画という総合芸術を支えるうえでいかに大切な要素なのかを改めて気づかせてくれた人物だ。ちなみに最近観た作品では根岸吉太經篤弔痢悒凜オンの妻〜桜桃とタンポポ〜』の種田ワールドが圧巻だった。
<img alt="fes.JPG" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/fes.JPG" width="312" height="234" / align="left" vspace="3" hspace="10"">

この夏、ジブリも種田さんの才能をプッシュしたコラボ企画『借りぐらしのアリエティ×種田陽平展』が東京都現代美術館で開催されるなど、日本映画界の貴重な存在でになっていることが伺える。

そして、いよいよ待望の李監督最新作『悪人』の公開が迫ってきた。『69sixty nine』『フラガール』に続き李作品に種田さんが参加。吉田修一の原作をもとに福岡、佐賀、長崎の３都市を舞台にロケを敢行した話題作。李監督の手腕はもちろん久石譲の音楽、現場のロケーションと空気をいかした種田さんの美術世界に期待がふくらむ。個人的には平戸ロケの延長で佐世保市街でもワンシーンくらい撮って欲しかったものだが、『69』の作品価値を考えれば、本作に佐世保の空気感は不要なのかもしれない。


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         <category>男一匹キネマ大将</category>
         <pubDate>Wed, 01 Sep 2010 17:55:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「佐世保弁物語２」</title>
         <description><![CDATA[

【そいから】
佐一郎は夏目漱石が好きだ。久しぶりに『坊ちゃん』でも読み返そうと金明堂書店の文庫コーナーに佇んでいた。友情を選ぶか？　恋を選ぶか？　三角関係の微妙な心理を描いた『それから』の背表紙がなぜか気になった。<img alt="soikara.jpg" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/soikara.jpg" width="96" height="117" / align="left" vspace="3" hspace="10">かといって佐一郎は別に三角関係に悩んでいるわけではない。もし無意識に天びんにかけているものがあるとしたら、ワインバー開店の夢と、会うたびにときめきが増していく佐保美の存在かもしれない。新潮文庫『そいから』……おっと失礼、『それから』を手にレジへ向かった。

【ちいった】
佐保美は同僚の恵と飲みに行くため、親和銀行京町支店のＡＴＭで一万円を引き出した。預金残高を確認しながら、母の「ちいった貯金しとかんばよ」という口ぐせを思い出した。※「少しは」の意味。

【つかいにっか】
佐保美と恵はイカの造りを肴にハイボールを飲みながら談笑していた。「この携帯、液晶ばぶつけたけん、つかいにっかっちゃんね」「佐保美さんみたいに、めちゃ方言を使う人には佐世保弁変換ができる携帯があれば便利ですよね」「そいよかねぇ。『ど』ば押したら『どけ行く』『どがんすっ』『どがんしよっと』って候補がいっぱい出てくる携帯（笑）。どっちみちもう古うなったけんがドコモ京町店に行って機種変更しゅーっと」。※「使いにくい」の意味。

【つっぽがす】<img alt="tuupo.jpg" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/tuupo.jpg" width="179" height="207" / align="right" vspace="3" hspace="10">
佐一郎は比良町で見つけた古民家の内装工事を友人の順ちゃんに頼むことにし、打ち合わせをしていた。「この壁ば、つっぽがしたらカウンターの長うとれんかね？」。順「柱はどこかね……あぁ〜、こけあっ。たぶん大丈夫やろ」※「穴をほがす」の意味。

【なきよっ】
「佐保美あんたなんばなきよっと」「なんもなきよらん」。サンドウィッチをほうばりながら、ビールを飲んでいた佐保美の目は確かに涙で潤んでいた。「どがんしたと、なんかあったとね」と心配する母、ひろ子に「どがんもしとらんって、もうなんもゆわんでさ」と語気を荒げ、キッチンを飛び出し自室に閉じこもってしまった。※「泣いている」の意味。

【なごうなっ】
「今日、仕事なごうなっと？　内装工事の終わったけん見にこん？」。佐保美は佐一郎からのメールに「大丈夫、くっけん！」と返信。仕事を終え、比良町の古民家に向かった。二人っきりで開店準備の前祝いに祝杯をあげようと、玉屋のサンドウィッチと缶ビールを買って、胸をはずませドアを開けた。するとカウンター越しに佐一郎と親しげに話をしている女性の後ろ姿が目に飛び込んだ……。※「長くなる」の意味。年配の人は「横になる」ことを「いっとき、なごうなっとかんね」などとも使う。

【なして】
「あっ!!」と振り返ったのは同僚の恵だった。「恵なしてこけおっと？」訳（どうしてここにいるの？）。「いや、ちょっと。あっ、もう私かえらんば」。恵はばつが悪そうに立ち上がる。「おってよかさ。そいより、二人って知り合いやったと？　どがん関係？　うちぜんぜん知らんやったとばってん」「あっ、うん。そうそう妹の同級生で……」「そうそう」と慌てて取りつくろう二人。その時、恵の手からあるものがひらりと床に落ちた。それは永田宝石店のジュエリーカタログだった。「ちょっと、二人ともなんばこそこそしよっと。うちもう知らん。かいっけん」。佐保美は怒って内装の終わった佐一郎の店を飛び出した。※「どうして」の意味。

【なんか】　
サンドウィッチと缶ビールを持ったまま帰宅する途中、佐一郎から電話がなったが、佐保美は無視して出なかった。しばらくするとメールのバイブが３回震えたが開きたくなかった。帰宅後、母の手料理を断り、ぬるくなった缶ビールのプルリングを引き、サンドウィッチをやけ食いしていると、こらえていた涙がポロポロとあふれ出した。「どがんしたと、なんかあったとね」と心配する母の声がとてもつらくて、自室に閉じこもり声を出して泣いた。※「何か」の意味のほか「長い」も「なんか」で表現できる。例「涙が枯れてしまっても眠れない佐保美。それは、とてもなんか（長い）夜だった」。

【ぬけん】
佐一郎は佐保美にプロポーズを決意。指輪をプレゼントしようと、こっそり恵に頼んでどんな品がいいか相談していたところ、恵と佐保美がはち合わせするというドジな結果を招いてしまった。その後、怒った佐保美との関係はいまひとつ。永田宝石店で買った指輪をまだ渡せずにいた。そんな指輪を遊び半分で自分の指に装着してみたところ抜けなくなってしまった。「あれ、ぬけん」と慌てふためくドジ続きの佐一郎だった。※「抜けない」の意味。

【はがいか】
真相を知らないままの佐保美は佐一郎と恵にだまされたような気がして「あ〜はがいか」を連発。そんなモヤモヤを一新しようと「まるた美容室」で髪を短く切ったら、気分も少し軽くなった。※「歯がゆい」の意味。<img alt="sahomi.jpg" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/sahomi.jpg" width="61" height="98" /align="right" vspace="3" hspace="10">

【ばかんごたっ】
髪を短くカットした翌日、同僚の恵が「誤解を晴らしたい」と先日、佐一郎の店ではち合わせした理由をうち明けてくれた。「えぇ〜なんね。そがんことやったと……あの日、もう少し残業してから店に行けばはち合わせせんやったとたい」
と佐一郎のおちゃめなプロポーズ大作戦の失敗に同情しながら「なんか、うちだけはらかいて、ばかんごたったね」。※「馬鹿みたい」の意味。

【はずれん】
はずれにくいイヤホンやコンタクトはありがたいが、指輪は困る。「あ〜、あせったばい」。佐一郎は佐保美のために購入したピンキー＆ダイアンの指輪をケースの中にそっとしまった。※「はずれない」の意味。
<img alt="hachi.jpg" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/hachi.jpg" width="166" height="108" /align="left" vspace="3" hspace="10">
【ふとか】
佐保美と恵は仲なおりのしるしに「蜂の家」でシュークリームを食べた。「味も昔のまんまでボリュームも変わらんよね」「そうね、ふとかよね」「このひょうたん型のスカッチソースもなつかしかね〜」※「大きい」の意味。

続きはまた、そのうちに。　

ライフさせぼ刊『佐世保弁辞典〜ライフさせぼ編』より。



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         <category>佐世保な記憶</category>
         <pubDate>Wed, 25 Aug 2010 13:52:15 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「８月８日に蜂の家カレーが８８円!?」</title>
         <description><![CDATA[緊急情報！　緊急情報！

２０１０年８月８日（日）佐世保市本島町で、すごい記念イベントが開かれる。
<img alt="hahinoya2.jpg" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/hahinoya2.jpg" width="170" height="116" / align="left" vspace="3" hspace="10">

１９５１年（昭和26年）に開業した洋食レストランの老舗「蜂の家」が60周年を記念して、佐世保市民に感謝の気持ちを贈ろうと、名物メニュー「蜂の家特製カレー」を、なんと88円で提供するそうだ。


蜂（ハチ）の屋（ヤ）にちなんだ「８８」な一日。

当然この日のメニューは蜂の家カレーOnly。午前11時から午後８時まで約２０００食分を準備するらしい（１人１食限定）。通常７８０円が88円とは、大胆×ビックリ×嬉しい＝華麗（カレー）なる食の感謝祭である。

まだ食生活が豊でなかった戦後、調理人兄弟が創業。スパイス料理を勉強していたお兄さんシェフが、日本人の口に合うように研究を積み重ね生み出した「甘みと辛みの独特のハーモニー」は、家庭では味わえない欧風カレーとして、たちまち人気を広げた。ちなみにラーメン一杯50円の時代。このカレーは１２０円だったという。戦後いち早く外食の贅沢気分と「食」の喜びを与えた佐世保を代表するカレーなのである。<img alt="hachinoya1.jpg" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/hachinoya1.jpg" width="152" height="217" / align="right" vspace="3" hspace="10">

甘いものもまだまだ乏しかった時代、弟さんシェフが生み出した名物のシュークリームも加わり、カレーと同様に60年経った今も、その味のベースは大切に守り続けられている。

外観写真は、今年の「ライフdeライブ」の打ち上げで夜が明けちゃって、「溝口食堂」でシメた後の記念写真。ＦＭ長崎の風間みなみさんをはじめスタッフの方々と一緒に佐世保らしいロケーション「シュークリーム」前でハイポーズ！　ちなみにカメラマンはミュージシャンの松本浩太さん♪

佐世保の外食＆洋食文化を担ってきた「蜂の家」さん。60周年本当におめでとうございます。


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         <category>佐世保な記憶</category>
         <pubDate>Thu, 05 Aug 2010 18:49:43 +0900</pubDate>
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         <title>「佐世保弁物語」</title>
         <description><![CDATA[ライフさせぼが発行した「佐世保弁辞典」に収録されている『佐一郎と佐保美の物語』を、つなげて読んでみよう。物語仕立てで佐世保弁の使用例が分かるぞ。
※印に方言の意味も紹介しておく。


【おい】
「おい！君」と見知らぬ人に声をかけられた佐一郎は「えっ!? おいのことですか？」と首をかしげた。※「俺」の意味。

【おーてみてん】
「よかけん一回、おーてみてんね。よかひとけんが…」「そうね」佐保美は叔母がすすめた縁談に「赤い糸」のような予感を覚えた。※「会ってみたごらん」の意味。

【かずゆっ】
添乗員の佐保美はバスに戻った乗客を数え終え、「あれ？　一人たりん。もう一回かずゆっけん」と運転手に伝え、再び人数を当たった。※「数える」の意味。

<img alt="SSS.jpg" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/SSS.jpg" width="94" height="96" / align="left" vspace="3" hspace="10">【かずんでん】
ソムリエの佐一郎は、新種のフルーツワインをテイスティングするためグラスに鼻を近づけ、後輩に「よかにおいばい。かずんでん」とグラスを差し出した。※「嗅いでみて」の意味。

【かわん】
佐保美は何度試着しても決めきらない修子にあきれはて「ねぇ、買うと？　買わんと？」と苛立った。すると修子は「やっぱい買わん。もう一回アルバで見てみるけん」悪びれた様子もなく微笑んだ。※「買わない」の意味。

【きこゆっ】
添乗員の佐保美は、両手をメガフォン代わりにして「後ろの方は聞こえていますかぁ〜、次の金立パーキングエリアで休憩ですね」と告げた。しばらく間を置いて後部座席にいた老人が「ようきこゆっよ」と応えた。　

【きゃあないた】
佐保美はゴキブリを見て「キャ〜ァ！」と悲鳴を上げて泣いた。その日以来職場で「キャアナイタ」という、あだ名で呼ばれている。※「きゃあ」＝「ひどく」、「ないた」＝「疲れた」の意味。

【くろうならんうち】
佐保美は初めて佐一郎とデートした。弓張展望台から望む九十九島の夕日は、二人をつなぐ糸のように真っ赤に染まった。「食事に行こうか？」という誘いに「今日はくろうならんうちに帰らんばけん…」と佐保美は心と裏腹な言葉を返してしまった。※「暗くならないうちに」の意味。<img alt="saseben.jpg" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/saseben.jpg" width="119" height="156" / align="right" vspace="3" hspace="10">

【げんきんなか】
昨夜初めてのデートで佐保美から食事を断れた佐一郎は、どこかしょんぼり見えたのだろうか、同僚の松永シェフから「どがんかしたとね。なんか、今日はげんきのなかね〜」と声をかけられてしまった。※「元気がない」の意味。

【こけ】
〜コッコ〜とニワトリの鳴き声で目覚めた。一体何時頃だろう？　枕元に置いていた目覚まし時計を探すが見当たらない。佐一郎は「…おかしかね、こけおいとったとに…」と呟いた。※「ここ」の意味。

【こみんか】
佐一郎は古民家を利用したワインバーを開き、独立することを決めた。物件を見ながら「思ったより、こみんかですね」と不動産屋に呟いた。※「小さい」の意味。「こまか」「こみか」とも言う。

【さがいよっ】
風邪をひいて仕事を休んだ佐保美の携帯に同僚の恵からメールが届いた。「具合はどうですか、熱は下がった？」「うん、ねとったらだいぶさがいよっ」と変換しづらい方言をひらがな打ちで返信。※「下がってる」の意味。

【しけ】
「しけね、今日は海のしけとっけん、船ば出せんよ」佐一郎と佐保美は瀬渡し船で釣りに出かける予定だったが悪天候のため「海きらら」に場所を移し、クラゲやイルカを見て楽しんだ。※「困った」の意味。

<img alt="hana.jpg" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/hana.jpg" width="85" height="70" / align="left" vspace="3" hspace="10">【すいとっ】
佐一郎と佐保美は、いしだけ動植物園で象のハナ子を見ていた。「この象、うちたちの子どもんときからずっとおるよね…」「おいはこまか時、こいの鼻ばさわったことのあっとばい」「へぇ〜」と微笑み合う二人。突然、佐一郎が真顔に戻り、「佐保美さん、大事な話のあっとばってん…」「えっ!?」と驚く佐保美は（…いきなりプロポーズ？　まさかハナ子の前で「すいとっ」ってゆわすとやろか…？）と想像おふくらませるのだった。」※「好きだ」の意味。席が空いているときなども「すいとっ」と使う。ちなみに佐世保人に親しみの深い象のハナ子は今年40歳。来園38周年を迎えるんだって。

【せまか】
「思ったよりせまかやろ」佐一郎はワインバーに改装する古民家に佐保美を連れてきた。「こいぐらいが、ちょうどよかさぁ。レトロ感のあってよかぁ」と佐保美は屋内を見回しながら、「大事な話」って仕事を独立する事やったとか、と心の中で呟くのだった。

続きはまた、そのうちに。　

ライフさせぼ刊『佐世保弁辞典〜ライフさせぼ編』より。



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         <category>佐世保な記憶</category>
         <pubDate>Wed, 14 Jul 2010 18:53:55 +0900</pubDate>
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         <title>【48億の妄想】</title>
         <description><![CDATA[<img alt="pot115.jpg" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/pot115.jpg" width="85" height="59" / align="right" vspace="3" hspace="10">サッカーの支持率も、政党支持率も世論もテレビを通して一夜で変わる。テレビがなければ、何ひとつ判断できないのか？　それとも私たちの思考はテレビに支配されているのか？　そんなことばかり考えていたら、むかしむかし読んだ筒井康隆の『48億の妄想』という小説のことを思い出した。自宅のどこかに眠っているだろうと思われる文庫本を探して再読してみよう。
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         <link>http://www.lifesasebo.com/makitaro/2010/06/48.html</link>
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         <category>あふぉりずむし</category>
         <pubDate>Wed, 16 Jun 2010 15:28:03 +0900</pubDate>
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         <title>「リ監督の最新作、期待度大」</title>
         <description><![CDATA[2003年、村上龍の故郷ここ佐世保市で暑い真夏のロケを敢行。映画『69sixty nine』で、熱い熱い青春エネルギーをフイルムに焼きつけた李相日（リ・サンイル）監督の最新作が、いよいよ動き出した。

06年に発表した『フラガール』で、キネ旬ベストテン１位や日本アカデミー賞などを受賞し、その手腕を広く知られるようになった李監督。『69』は、『フラガール』の男版といった要素も濃く、世の中が認める傑作を生み出す助走的な作品だったと思う。
<img alt="akunJPG.JPG" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/akunJPG.JPG" width="231" height="178" / align="left" vspace="3" hspace="10">
しかし、傑作『フラガール』を生み出したにも関わらず、李監督の新作を観ないまま、いつの間にか３年の月日が過ぎてしまった。

そんな年の瀬に、金明堂書店で長崎市出身の作家・吉田修一の文庫本『悪人』がいきなり目に飛び込んだ。帯に記された「映画化」という見慣れた文句と共に「出演：妻夫木聡　深津絵里　監督：李相日監督」という文字が突き刺さった。

早速、本を購入。物語にぐいぐい引き込まれて一気に読んだ。出会い系サイトでつながっていく心と心の隙間で交錯するさまざまな感情、想い、すれ違い。大量消費や技術革新など時代のスピードに合わせ、どこか画一化されていくような地方都市で空虚感を抱きながら暮らす人々。そんな、どこにでもある日常の影で悲惨な殺人事件が起きてしまう……。

現代人が抱える孤独や切ない想いを細やかに描出しながら、人間の本質とは何かを問う力強い小説だった。テレビドラマやアニメの劇場版全盛時代に、李監督は実にいい小説を題材に選んだな〜と嬉しくなった。「本当の善と悪が分からない今という時代」を、どんな映画に料理して楽しませてくれるか？　期待度大だ。　

『69』以来の妻夫木＆李監督の顔合わせも注目。長崎、佐賀、福岡という身近な舞台設定も親しみやすいだけに来年秋の公開が待ち遠しい。

同じく吉田修一著『パレード』を行定勲監督が映画化。「今」を感じさせる吉田文学の相次ぐ映像化で、若き日本映画人たちの底力も見せて欲しいな。

　]]></description>
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         <category>男一匹キネマ大将</category>
         <pubDate>Wed, 16 Dec 2009 17:56:49 +0900</pubDate>
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         <title>「OS-61 小学生高学年篇」</title>
         <description><![CDATA[●1971〜1974年


テレビで『仮面ライダー』の放送が始まった。変身人間というヒーローは実に刺激的。男子児童の間でたちまち「ヘンシンブーム」が巻き起こった。もちろんライダーカードにも夢中になったが、箱買いする奴、スナック菓子だけ、ありがたそうにもらって食べる奴など、子供の世界に経済の仕組みを見てしまいカード収集に冷めた。ちなみに初めて憧れたヒロインはアニメ『ど根性ガエル』の京子ちゃんだったと思う。


旧佐世保市立図書館でポプラ社の江戸川乱歩・少年探偵シリーズをよく借りて読んだ。この頃、切手収集も流行った。札幌冬季オリンピックや高松塚古墳壁画の記念切手を買って、ストックブックに大切に保管した記憶がある。アメリカンクラッカーが大流行。欲しくて欲しくてたまらず、親に買ってもらった。カラフルなプラスチックボールを振り子状にぶつけ合って「カチカチ」とリズム刻んで遊ぶシンプルなおもちゃ。黄緑色のアメリカンクラッカーを買ってもらった。が、ブームが去るのも早かった。


チャールズ・ブロンソンのＣＭマネ「ウ〜ン、マンダム」が流行った。
野球選手に憧れて地域(天神一組）の少年ソフトボールチームに入った。補欠だったが、初めてもらったよれよれのユニフォームの背番号が「16番」だったので嬉しかった。４歳下の弟が小学校に入学する際、スペクトルマンと記念写真が撮れる特典付特売会で学習机を購入。兄弟揃ってヒーローと写った記念写真は宝物だった。念願のフラッシャー付自転車を買ってもらって有頂天だった。


いしだけ動植物園の広場で『タイガーマスク』や『バロムワン』のキャラクターショーを見た。生のスタントに感動。ショーの後、満面笑みでキャラクターと記念撮影。いまも写真が残っている。
<img alt="mimi69JPG.JPG" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/mimi69JPG.JPG" width="128" height="96" / align="left" vspace="3" hspace="10">

『あしたのジョー』大人気の中、『荒野の少年イサム』に憧れガンマンを夢見た。NHK少年向けドラマ『時をかける少女』や『夕映え作戦』を夢中になって見た。


名切公園のおくんち広場で、「ひよこ釣り」をした。赤、青、緑、桃色のカラフルひよこは、家に持ち帰ってもとってもかわいかった。ある日、縁側で猫に襲われ何羽か食べられてしまった。生き残ったひよこを大事に可愛がっていたが、体の塗装が次第にはげてきた。ひよこから鶏に近づいてくると、あまりかわいらしくなくなり、お世話しなくなった。するとじいちゃんが庭に鶏小屋を作ってそこで飼われた。やがてコケコッコーと朝夕鳴き声を上げるまで立派に成長した。


盆と正月になると両親がよく「男はつらいよ」シリーズを観に連れて行ってくれた。映画館は満員で大人たちの笑い声が響いていた。大勢でスクリーンを共有する映画の面白さを味わった。映画好きだった両親は『ラブバック』『ドリトル先生』など楽しい洋画にも連れていってくれた。時には『十戒』や『ベンハー』など大人向けのスペクタクル超大作も鑑賞した。意味が分からないながらもカズバの70mスクリーンで観る洋画のスケールの大きさに度肝を抜かれた。


小学５年生の冬休みだった。ばあちゃんが火鉢で焼いてくれた餅に醤油をつけて食べながらテレビで浅間山荘事件の実況番組を見た。「ひどかことさすね」と呟きながら餅を焼くばあちゃんの姿が印象的だった。


６年生のときに『日本沈没』上下を読み衝撃を受ける。学習発表会で模造紙に地球の断面図を描き、地質やマントルの構造を発表。日本海溝や深海潜水艇に興味が広がった。学芸会で『荒野の少年イサム』をベースにした台本を書き、クラスメートと寸劇を作って発表した。生まれて初めての演出、出演体験にワクワクした。


アニメ『ガッチャマン』『マジンガーＺ』はもちろん、時代劇『木枯らし紋次郎』、刑事ドラマ『太陽にほえろ』に子どもながらかっこよさを覚え、爪楊枝をくわえたり、ショーケンのマネをして遊んだ。『刑事コロンボ』にはまった。「うちのカミさんがね…」の口癖もよくまマネしてた。ＮＨＫで『新八犬伝』の放送も始まる。人形劇の面白さを知ると同時に挿入歌にもなった『仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌』という八つの珠の魅力に惹かれた。『ゲバゲバ90分』もカルチャーショックを覚えて番組だった。


ある日の夕食にフライドチキンみたいな鶏肉メニューが出てきた。ご馳走なのにどうした訳か大人たちもあまり口にしなかった。わたしは食べたのか食べなかったのか？　この件に関しては記憶が薄い。翌日からコケコッコーという鳴き声が消えた。小屋には鶏の姿もなかった。鳴き声がうるさいということで、昔料理人だったじいちゃんが締めて、料理したという噂が家庭内に流れたが、じいちゃんは煙草（エコー）をくゆらせながら、「売った…」とクールに笑うだけだった。


アグネスチャンのＬＰレコードを買ってよく聴いた。母親が買ってきたシングル愛鳥盤では由紀さおり『夜明けのスキャット』、尾崎紀世彦『また逢う日まで』、仲雅美『ポーリュシュカ・ポーレ』を気に入ってよく聴いた。


中学校へ入学前、カンコー学生服にするか乃木服にするか悩んだ。その原因はカンコー（桜田淳子）、乃木服（山口百恵）という二大アイドルによるイメージ戦略に少年の心は大きく揺れた。ちなみに購読雑誌も『中一コース』と『中一時代』で、淳子ちゃんと百恵ちゃんのガチンコ。悩みに悩んだ末「中一コース」を買い、楽しかった天神小学校を巣立った。



■付録「1971〜1973年・佐世保の主な出来事」
71年（S46）
卸本町誕生。アツギナイロン工場落成。西肥バスワンマン化。佐世保刑務所が福石町から浦川内町へ新築移転。
72年（S47）交通公園に蒸気機関車Ｄ51到着展示、交通公園オープン。柚木炭坑閉山、市内炭坑ゼロになる。市立西高校が県立佐世保西高等学校になる。京町地下道開通。
73年（S48）
県外集団就職列車スタート。オイルショックでトイレットペーパーパニック行列。児童文化館のプラネタリウム館完成。
（※参考資料／『佐世保年表』佐世保市発行）　]]></description>
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         <category>OS-61</category>
         <pubDate>Tue, 13 Oct 2009 15:24:36 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「ヒッピーに捧ぐ」</title>
         <description><![CDATA[
受験以外の道しるべがなかった高校時代。ぼんやりした将来をまぎらすかのように、映画館に通い、筒井康隆を読み、ストーンズとツェッペリンを聴いていた。渋谷陽一がDJを務めていたＮＨＫラジオ『サウンドストリート』で、最新の音楽情報をキャッチするのも楽しみだった。
<img alt="rc33JPG.JPG" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/rc33JPG.JPG" width="213" height="200" / align="right" vspace="3" hspace="10">
そこで初めて耳にしたのがRC SUCCESSION（清志郎）の歌声だった。それまで聴いたことがなかった日本語ロックが流れてきた。特にその歌詞に驚いた。そこには作詞家やシンガーソングライターが書いた歌とまったく違う世界観が描かれていた。自分が思っていることや考えていることを、自分の言葉で表現していいんんだ、という新鮮な驚きだった。

それからRC SUCCESSIONのレコードを探し回ったが、過去の作品は佐世保ではなかなか手に入らなかった。高校卒業後、早稲田大学の学園祭でRCのライブを観た。『よォーこそ』で始まるオープニングに興奮した。ステージ狭しと飛び回る清志郎。その言動ひとつひとつに鳥肌が立った。<img alt="rc11.JPG" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/rc11.JPG" width="106" height="142" / align="left" vspace="3" hspace="10">海の向こうの文化と思っていたロックンロールショーを目の前で日本人が体現させてくれている現実。中学、高校と一色の価値観に縛られてきた世の中に対する窮屈な思いは、この日、見事にぶっ飛び、生まれて初めて“表現の自由”が実在したことを知った。

一人暮らしを始め、孤独と向き合ったり、対人恐怖症になったりしたとき、救ってくれたのはたくさんの本とロックンロールだった。中でもRCは「自分に正直に生きれば、きっとうまく行く」というシンプルな生き方を教えてくれたバンドだった。清志郎は、表現と作品を通じて物づくりや、創造力が社会を潤すことを発信しているロックンローラーだと思った。作品に散りばめられた物の見方や考え方、ユーモア、風刺、言葉遊び、絵心、価値観に多大な影響を受けながら、わたしは少年から大人になっていった。

平成二十一年、連休深夜。テレビを見ながら夜更かししていた娘が訃報を教えてくれた。床に入っていたわたしは「えっ!! ほんと。教えてくれてありがとう…」と、わりと冷静に娘に継げただけで、速報を見ようとは思わなかった。布団の中で眠りに落ちながら、♪お別れは突然やってきて　すぐに済んでしまった〜、と清志郎の歌声を思い出した。

翌日、RC、タイマーズ、ソロなどの作品や書籍を引っ張り出してみた。若き日に再販で手に入れたLPレコード『シングルマン』はアパートで何度も聴いた思い出深い一枚だ。日本のロックが開花していくスピード感あふれる80年代初頭にふれた『ヒッピーに捧ぐ』『甲州街道はもう秋なのさ』『スローバラード』など切なさとピュアな感性を秘めたスローな楽曲が、とても新鮮だった。
<img alt="rc22JPG.JPG" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/rc22JPG.JPG" width="184" height="180" /  align="right" vspace="3" hspace="10">
子どもの日の正午過ぎ。『カバーズ』を皮切りにアルバムを聴きなおしてみた。ベランダ越しの海。新録が映える緑の島。窓を開けてボリュームを上げる。しかし、爽やかな陽気に似つかわしくないけたたましい轟音が響いている。「♪何やってんだ偉そうに　世界のど真ん中で〜」米海兵隊の揚陸艇LCACの大地を振るわすような轟音に清志郎の歌声がかき消される。

よし次は『黒くぬれ！』だぜ。ボリュームをさらに上げる。まったくロックよりうるさい音だぜ。子どもの日なのに、これじゃ赤子は昼寝もできないぜ。祝日くらい戦争の練習はやめようぜ。そんな思いが届いたか？　佐世保湾から轟くうるさい騒音が低くなってきた。

『わかってもらえるさ』『君が僕を知っている』『いい事ばかりありゃしない』『けむり』『シュー』『ロックン仁義』『パパの歌』……。いい歌がいっぱいだ。最後はソロのベスト盤。『RUBY TUESDAY』で涙がこぼれた。

忌野清志郎様。もしわたしが歌うたいだっら『ヒッピーに捧ぐ』を熱唱したい思いです。どうもありがとうございました。あなたからもらった「ステキな心」を大事にして生きていきます。　（皐月）


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         <category></category>
         <pubDate>Thu, 07 May 2009 14:49:12 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「ミック・ジャガーのおなか」</title>
         <description><![CDATA[
<img alt="shin4.JPG" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/shin4.JPG" width="213" height="141" / align="left" vspace="3" hspace="10">
わたしが生きている間にローリングストーンズをこんなに間近で観る機会はもうないだろう。都会から約４ヶ月遅れて佐世保の街にストーンズのワールド・ツアーがやってきた。

世の中にライブ画像は山ほどあるが、こういう感動は滅多に体験できない。会場のビーコン・シアターと映画館がシンクロナイズする音と映像の魔力にわたしの体は粟立った。

カメラワークと編集力が映画芸術の大きな醍醐味であることを知らしめた凄い作品だ。ストーンズという極上の素材とスコセッシという豊かな感性があったからこそ成立したライブ映画だと思う。

しかし、臨場感あふれ過ぎで、一つショックだったことがある。多少顔の皺はふえたもののミックもキースもステージパフォーマンスはまったく衰えていない。若き日となんら変わりなくステージを動き回るその姿は、60過ぎたおやじとはとても思えない。ロックで鍛えぬいたタイトなボディ。ときおりＴシャツの裾から覗くミックのおなかは、きりりと引き締まり、40代のわたしの腹よりだんぜんかっこいいのである。

ウエストサイズは変わらないのだが、わたしの腹は最近ポテッと飛び出してしまいひどくかっこ悪くなった。ミックのかっこいいおなかが映るたびに「腹が飛び出したらロックじゃないぜ」と静かに警鐘を鳴らされているようで、つらかった。これじゃダイスじゃなくて『メタボを転がせ』だぜ。

そんな所もふくめてストーンズは、いつも生きざまの教本みたいな存在であり、恐ろしくらい強靱な人生の先輩だ。

その勇姿をこんなに近くで観させてくれた『シャイン・ア・ライト』とシネマボックス太陽に感謝したい。ステキなムービーありがとう！　

明日はアルカスＳＡＳＥＢＯでライフdeライブだ。
<img alt="naga7.JPG" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/naga7.JPG" width="170" height="156" / align="right" vspace="3" hspace="10">
そして５月９日（土）には、ストーンズに続き親愛なるザ・ルースターズが遂に佐世保でロックを奏でる。映画『シャイン・ア・ライト』でデビュー当時のストーンズの映像がうまくインサートされていた。スクリーンに甦る若き日のライブの熱気に東京で初めて観たルースターズの姿がどこかダブって感慨深かった。わたしに今も多大なる影響を与え続けるザ・ルースターズ……そのギタリスト、花田裕之氏のアコースティックライブが島瀬町「ガァネット」で開催される。

●花田裕之　九州“流れ”2009
５月９日(土）　佐世保市ガァネット。午後7:30開場／8:00開演
チケット：前売2,500円（当日3,000円）出演：花田裕之／Howling Setta
問い合わせ：090-4993-0886(オフィスハウリング）


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         <category>おんがく帳</category>
         <pubDate>Fri, 24 Apr 2009 20:33:39 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「血液の証明」</title>
         <description>
約半世紀におよぶわが人生。まったく血液型など気にせずに生きてきた。

ところが、昨今血液型ブーム。あの人Ａ、やっぱりそうね。あの人Ｂ、なるほどね。あの人Ｏ、はいはいはい。あの人ＡＢ、ほらほらやっぱり。といった具合に、性格、習性、行動パターン、思考、胸の内など全て血液型でチェックされるシーンが増えた。

昔から血液型占い、血液型相性という類があるのを知っていたが、まったく興味を持ったことがない。ところが、『自分の説明書』なる本が大ベストセラーになるなどブームが広がり、小学生の娘までも「お父さんって、本当にＡ型？、あんまいＡらしくなかね」などと突っ込んでくる始末。

「なにをぬかすか、わたしは正真正銘のＡ型だ。献血だってしたことあるんだぜ」
ところが家の外でも「Ｏ型ぽい」とか「Ｂやろ」「もしかして私と一緒でＯ型ですか」と、わたくしがＡであることを否定する声を浴びることが増えた。

とどめは、この春、従兄弟連中が集まった法事の宴席だった。昔話に盛り上がっている最中、「○○ちゃんはＯ型やったよね」と問いかけ。「違う、僕はずっとＡ型だ」と答えると「うっそ〜」と声を揃えて驚いた。従兄弟たちにとってわたしがＯ型であった方が分かりやすいのか？　「どうして僕はいつもＯやＢって言われるんだ…」と愚痴をこぼしていると、側にいた父親が「人の血液型も途中で変わるかもしれん。もう一回検査ばしてみんばたい」とほくそ笑んだ。

う〜む、人の個性や生きざまは血液型で全て決まるわけじゃあるまいし。血液にそんなに縛られて暮らしたくないわ。と斜に構えてみるが、どうも気になる（この小心こそ素晴らしきＡタイプではないのか）。どうして世間はこのわたしをＡと認めたがらぬ。どうして。どうしてなの？　

そうこう思っていたらひじょうに他人との相性が気になってしかたなくなった。
「Ｏぽい」「Ｂぽい」と言われるＡの俺は、一体何型の人と相性が合うのだろうか?
今まで気が合う、肌が合うと思ってつき合ってきた人々の血液型がものすごく気になってきた。血液型人間関係調査、題して『血液の証明』を決行することにした。

ところが、わたしは友だちが少ない。ときどき酒を酌み交わすなど気心知れた数少ない友たちに電話や電文で「君の血液は何型だったけ？」って改まって訪ねてみた。その行為自体が実に不自然で、恥ずかしかった。

しかし、この問題を解決しないとわたしは前に進めないのだ。勇気を出して聞くんだ、聞くんだジョー〜。勇気をふりしぼって調査した結果は以下の通りだった。

●ターボさん（Ｏ型）　●ハウリン伊達丸（ＡＢ型）　●醤キエロ（Ａ型）
●イトウさん（ＡＢ型）　●ともぞう（Ｏ型）　●オガタさん（Ｏ型）　●ウラサキさん（ＡＢ型）　●ヤマガジョウさん（Ａ型）　●千草ちゃん（Ｏ型）　●松健（Ａ）……。

これがわたしの血液型人間関係か。何を意味するのか。とりあえずＢ型が一人もいなかった事実が分かった。だが、最初に書いた通り、相手の血液型を聞いてお付き合いしたことは一度もない。気が合う気が合わないは、血液型に関係ないと信じている。その人の人柄が一番の魅力だと思う。わたしはもうＡでもＢでもＡＢでもＯでもなんでもいいぜ。（卯月）
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         <category>ざっき帳</category>
         <pubDate>Tue, 21 Apr 2009 20:14:22 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「青切符は曲げてよい」</title>
         <description><![CDATA[麦酒買ったレジ袋、原付二輪にぶら下げて。湯豆腐、レバニラ、うれしいな。ぶぶんぶん〜と帰りまひょ。うぅ〜ぷぅ、の一口目、飽きることなぞござんせん。ぶぶんぶ〜んと帰りまひょ。湯豆腐、レバニラ、うれしいな。


ぶぶん〜ぶーん、ぶぶんぶ〜ん。まもなくお家じゃ、ぶぶ〜んぶ〜ん。うぅ〜ぷぅ、至福の一口目、飽きることなぞござんせん。


なれた四辻、左に折れて、ぶぶ〜ぶ〜ん。ぶぶ〜ん、ぶーん。突然ですが、背中の闇から人の声。「まべのほにゃむにゃ、トマトなさい」。聞きとりにくいが、拡声器から野太い男声。びくっとバックミラー覗いてみると、あらま、あらま、まんまみ〜あ。あらま、あらま、まんまみ〜あ。


後方車輌のヘッドライトすら映り込んでいなかった背中の闇が、突然ですが、火事場のような赤景色。一体何があったのか。くるりと首を左45回転。するとそこにパトラッシュ…。いやいや、ぼかぁ、ネロじゃありましぇ〜ん。もう一度44文字前に戻って(句読点ははぶく）実況やりなおし。テイクツー。


くるりと首を左45回転。するとそこにパトランプ…。夜の町、赤色くるくる、赤色くるくる、照明が入った舞台のよう。あらま、あらま、まんまみ〜あ。わたくし何かしたかしら。周りにほかの車輌は見当たらん。あらま、あらま、まんまみ〜あ。わたくし何をしたかしら。


最前わたしが耳にした「まべの、ほにゃむにゃ、トマトなさい」という音声は、もしや「前の、バイク、止まりなさい」ではなかったか。あらま、あらま、まんまみ〜あ。わたくし何をしたかしら。
<img alt="mamam.JPG" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/mamam.JPG" width="221" height="144" / align="left" vspace="3" hspace="10">

止まったパトカー、ドア開き、初老の警官満面笑。「こんばんは」、わたくしも兜をとって「こんばんは」。感動のご対面。「止まらっさんやったですね」。通訳「止まりませんでしたね」。「あそこは一時停止って知っとらすですよね」。通訳「あそこは一時停止だと知っていますよね」


なるほ、なるほ、なれた辻道、止まらぬわたくし。一時停止の反則おかす。


ここからは、皆様ご存じ、免許証を提示。ＶＩＰ席に招かれ、後部シート独り占め。「減速はさしたとばってん、止まらっさんやったですもんね」「一時停止は、足をつくくらいに止まってください」。あらま、湯豆腐、ニラレバにうつつをぬかし、わたくしぼ〜っとしとったか。無意識運転。習慣運転。これも天運。天命。天罰。足裏大地につかぬまま、四辻を左折。闇から見られておった。


職場や電話番号、書類作成に必要な事項。室内灯に照らされて反則書類できていく。水色の交通反則告知書・免許証保管証、通称青切符即日発行。


反則日時、３月６日、午後10時３分頃、反則場所、佐世保市天神３丁目11番。反則事項・罰条、指定場所一時停止。原付車一種原。自家用。男。反則金相当額5,000円。２点減点なり。


「はい、できました。こっちの納付書は曲げんでくださいね、機械に通らんやったりすっですけんね」「はい、こっちは曲げてもよかですけん」と銀行員みたいに親切丁寧警察官。


定額給付金支給が決まったばかりの年度末。わたくし一時停止の反則おかす。
言われた通り交通反則告知書曲げて、納付書・領収証しゃきっ。　（弥生）

]]></description>
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         <category>ざっき帳</category>
         <pubDate>Fri, 13 Mar 2009 11:20:41 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「陽のあたる場所で風邪」</title>
         <description><![CDATA[一月のある夜、ハウリン伊達丸と「チャンゴ」で会って麦酒を飲んだ。その足で「炭火焼き鳥hazime」で食と酒。年始め二人で世間話をしながら、音楽イベント『ライフdeライブ』の出演者を練る。７年目。今年はどんな切り口で佐世保のミュージシャンを紹介しようか？　大事なのは毎回イベントテーマ。これが決まれば出演者が浮かぶ。

麦酒おかわり。思考。伊達丸は麦酒よりなんとかフィズを飲んでいる。店を出る。津々と冷えるアーケード歩く。思考。「アルジャーノ」に場を移す。カレーの香り漂う店内。オーナー夫妻のまかないか？　妙にアットホーム。湊町見下ろす硝子張り展望席に座る。わたくし麦酒。伊達丸またフィズ酒。思考。わたくし麦酒過飲で頻尿。トイレとテーブル行ったり来たり。
<img alt="hilite.JPG" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/hilite.JPG" width="152" height="235" / align="right" vspace="3" hspace="10">
家族。絆。次世代。主題になりえるキーワードちらほら。ちらほら。また麦酒。フィズおかわり。思考を促進する嗜好品二人共に切れ果て、煙途絶える。タスポ持たぬ我ら。寒気厳しく買いに出るのも億劫。オーナーが「こいで良かったら」と、今も変わらぬ和田誠デザインの銘品「もっと陽のあたる場所」を提供してくれた。高校生のときに観た映画『太陽を盗んだ男』の中で、ジュリーと文太が旨そうに吸っていたのに触発されファンになった煙草だ。拓郎のアルバム『今はまだ人生を語らず』のジャケットに写っていたパッケージもかっこよかったなぁ、と過ぎ去った青春を思い出しながら紫煙をくゆらせると思考冴え渡る。

「それではまたね」とオーナー夫婦に礼を告げ店出る。

こごゆる寒気の中、アーケード歩いて煙草売るコンビニ目指す。道中、ワイワイ貿易の緒形氏と遭遇。「なんしょっと？」「ライフdeライブの打ち合わせ」「だいの出るか決まったと？」「まださ」寒さに堪え立ち話。

翌日よりわたくし高熱で寝込む。麦酒飲んでもさつぱり効かぬ。やばい風邪ひいたぜ。家の者に湯たんぽと氷枕を用意させ、熱と冷却をもって悪寒と立ち向かった四十八時間。平熱取り戻し麦酒の味も戻った。

そんなこんなでライフdeライブの出演者がようやく決定。四組の演奏者が快く引き受けてくださった。みんなで今年もいいステージを創りましょう。開催日は四月二十五日、土曜日、夕方五時開演。アルカスＳＡＳＥＢＯイベントホール。
　
ちなみに四月十九日、日曜日は佐世保市初のアースデーも開催される。またその前日、十八日、土曜日からシネマボックス太陽でスコセッシ監督『シャイン・ア・ライト』がようやく公開される。へへへ、映画も佐世保時間で流るんだぜ。どうだいキース、すごいだろう。　四月はお楽しみいっぱいだ。　（如月）　
]]></description>
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         <category>ざっき帳</category>
         <pubDate>Thu, 12 Feb 2009 19:02:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「OS-61 小学生低学年篇」</title>
         <description><![CDATA[●1968〜1971年

初めて自分の小遣いで買ったレコードは１年生のとき。ピンキーとキラーズの『恋の季節』だった。中学生がいる従兄弟の家に遊びに行くと、『黒ネコのタンゴ』やゴールデンハーフの『黄色いサクランボ』、ドリフターズの『ズンドコ節』、タイガースのレコードなどがあったのでワクワクした。テレビから流れてくる音楽ではＮＨＫ『新日本紀行」のテーマ曲が気に入っていた。

米原子力空母エンタープライズが入港。自宅そばの高台から従兄弟たちと一緒に双眼鏡で眺めた記憶がある。船の上に並んだ戦闘機が印象的だった。

幼稚園の頃から通園時によくお腹が痛くなった。小学生に入っても正露丸やビオフェルミンを服用していた。夏休みや冬休みは学校で買う肝油ドロップが楽しみだった。使い切り寸前の缶入り練乳のフタの裏をなめると幸せな気分になった。

土曜日の夕方になると近所の子どもは決まってアニメ『巨人の星』を見た。なぜか星飛馬よりお坊ちゃまの花形満に憧れた。アフタヌーショーの浪越徳治郎コーナー「指圧の心は母心、押せば泉の命湧く〜」のマネして面白がっていた。
<img alt="os-61-2.JPG" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/os-61-2.JPG" width="108" height="107" / align="right" vspace="3" hspace="10">
小学入学前、映画『サンダ対ガイラ』を観た。しばらく風呂やトイレへ行くのがすごく怖かった。映画『ガメラ対ギャオス』を観て無性にガメラの背中に乗りたくなった（主人公みたいな黄色い野球帽を買ってもらったがガメラは一度も現れなかった）。そこでカメを欲しくなった。映画『緯度０大作戦』を観て空想世界に興味を持った。３年生のとき、映画『ガメラ対ジャイガー』を観て今度はボーイスカウトに憧れた。同時上映だった『透明剣士』を観て剣道にも憧れた。

アポロ11号による人類初月面着陸。親たちは一生懸命見ていたんだろうが、夜中で寝てしまったのだろう。あまりはっきりしない白黒テレビの画像がかすかに記憶に残っているだけ。どちらかというとコント55号の番組で行われていた野球拳やドラマ『時間ですよ』の女湯シーンの方が子ども心に焼きついた。

この頃、わたしはぜんそく持ちだった。発作はわりと軽かったようだが、夜中にゼィゼィ、ヒューヒューと音をたてた呼吸をしていたのを覚えている。

『ウルトラセブン』のウルトラホークや『サンダーバード』２号、４号、『キャプテンスカーレット』の追跡戦闘車、マッハ号など男心をくすぐるメカニックの造形美に魅せられた。『謎の円盤ＵＦＯ』という海外ドラマでＵＦＯという存在を初めて気にした。

初の習い事は習字。兄弟の多いご近所のお宅で先生が訪問指導する教室に混ぜてもらって毎週月曜日の夕方に習った。ちなみにこのお宅は当時、唯一電話機を備えた家庭で、電話の取り次ぎも行ってくれていた。習字終了後、夜７時から見る特撮ドラマ『コメットさん』が好きだった。中でもＧＩジョーが出てくるオモチャの反乱する話が面白かった。

コメットさんが終わり７時半になると親がＮＨＫの『新日本紀行』にチャンネルを変えていたから、あのステキなテーマ曲が今も心に残っているのだと思う（富田勲作品と知ったのは大人になってからだった）。そして８時になると茶の間は『水戸黄門』を家族みんなで共有する劇場に変わった。

子どものいない隣のおじちゃんが近所の同級生マサチャンとわたしを「玉屋」に連れていってくれた。屋上遊園地でコーヒーカップに乗ったりして遊んだ帰り道「蜂の家」でシュークリームをご馳走してくれた。こんなに美味しいお菓子があったんだと驚いた。玉屋と蜂の家のはしごは子どもにとってすごい贅沢なものだった。

初めて近所の貸本屋に行った。『ちかいの魔球』か『黒い秘密兵器』だったと思う何か野球漫画を借りた。母の友だちの家だったと思う。インテリアにミニカー（トミカ？）が飾ってあるのを見て心が躍った。

クワガタとりが上手な近所のニシノくんのナビゲートで初めて天神山を探索した。樹液をすするクワガタの横にいた大きなスズメバチがとても怖かった。衣服にくっつく天然マジックテープ機能搭載の「バカ」と呼ばれる植物（オナモミ）を投げて遊ぶ楽しさを覚えた。

佐世保では人糞尿の「肥やし」や汚物、排出物などを「だんぼ」という言葉で表現。子どもの世界では汚いものをくっつける意味をこめた仕草で「だんぼ」と口ずさみ相手にタッチ。「かぎ」という言葉と指輪っかで「だんぼ感染」から身を守る、という変な遊びもあった。

草の茂った空き地で上級生が作った「基地」を発見。触発され近所の同級生たちと藁や段ボールを使った初めての隠れ家を作った。

駄菓子屋は近所の通称「ババ小屋」によく通った。クジもよく引いたが、低学年の頃はぺちゃ（めんこ）もまだまだブームだった。この頃よく引いたブロマイドはウルトラマンやゴジラ、ガメラの怪獣ものだったと思う。サンスターのスパイメモ（手帳）が流行った。学校近くの文具屋さんで買ったが、水に溶けるメモがもったいなくて使えなかった。

学校で売られていた学研の学習雑誌「科学」と「学習」は付録が欲しくてしかたないくせに、なぜか学習の方をよく買っていた。

ばあちゃんが孫三人（弟と従兄弟とわたし）を連れて怪獣映画を観に連れていってくれた。作品は『ゴジラ対キングコング』のリバイバル上映だった。シネスコ画面の両サイドからゴジラとキングコング現れバトルを展開するクライマックス富士山麓決戦シーンに興奮した。孫三人でもう一度観たいというと、ばあちゃんは承諾。さすがに２回目は、ばぁちゃんは口を開けて眠っていた。

そんなばあちゃんがじいちゃんとおしゃれして大阪旅行へ出かけた。万博博覧会だ。お土産にもらった記念コインやグッズがとても嬉しかった。岡本太郎の「太陽の塔」は低学年のわたしにも、ものすごいインパクトを与えた。三波春夫の歌う『世界の国からこんにちは』や水前寺清子の『三百六十五歩のマーチ』に子どもながらも日本の明るい未来を感じていた。

軍服にはちまき姿で演説している男性の映像が記憶に残っている。後に三島由紀夫と知るが、当時３年生だった私は何が起こったのかまったく分かっていなかった。　（つづく）

■付録「1968〜1970年・佐世保市の主な出来事」
68(S43)年
原子力空母エンタープライズ入港。全学連と警察隊が佐世保橋で激突。19日市民の会初デモ。総合グランドにプールとテニスコート完成。スポーツランドにアイススケート場オープン。ラジオ佐世保が浜田町に移転。
69(S44)年
ベトナム戦争で空母の出入りが最高数に達する。精霊船の花火で四ヶ町火災。ＳＳＫバイパス、針尾バイパス開通。下原ダム完成。テレビ長崎ＫＴＮ放送開始。
70(S45)
西海橋通行料無料化。総合グラウンドに子供用プールオープン。佐世保北高校卒業式で一部の生徒が卒業式を妨害。逮捕されるなど高校生にも反戦ムード。
（※参考資料／『佐世保年表』佐世保市発行）
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         <category>OS-61</category>
         <pubDate>Fri, 21 Nov 2008 19:07:17 +0900</pubDate>
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         <title>　【私と政治 番外編】</title>
         <description><![CDATA[　　　　　　　　　　　　

『顔写の巻』

ニンジンぷらぷら。二兆円ちらちら。わっちら逸民は馬じゃござんせんよ。ねぇ、親分。ひょっとしてこれまた選挙のための政治ってやつでござんすか？　そういや、ちかごろ、まちなかに議員先生方の“顔写”ポスターが日に日に増殖してるでやんすね。ほらあそこにもぺたぺた。そこにもぺたぺた。「こら。言葉をつつしまんかい。先生方はまちの美化のことまで考えて、あのような明るい笑顔を貼って回ておられるんだ。見ろよ。どれも気品のある高貴なガンシャばかりじゃねぇか…」失礼したでやんす。たしかにお美しい顔写でやんすねぇ。

　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　
『はっぴー政権の巻』　　　　　　　　　　　

わらわは、はっぴーせっと票でまだまだ与党幕府に身を置きとうごじゃる。今回もはっぴーせっと票で、もちろん勝てるのじゃろうな？「……」な？「……」これ巻之太綺険Ρ厂腓匹Δ靴童を開かぬ？　答えぬか。勝てるのじゃろう？　なぁ？　「…それがなんとも微妙な空気が民に蔓延しておりまして…」なにをざれごとをもうしておるのじゃ。幕府は不滅じゃぞ。「それが世論と申しますのがいつになく手厳しく…セットのおまけがつくかつかないか？生産元ソウカ堂の方々も困惑しておりまする次第…」いやじゃ。いやじゃ。わらわは負けとうない。いやじゃ。いやじゃ。そうでごじゃる、テレビが悪い。殿方らがテレビに出るたびに幕府の支持が落ち悪者あつかいされておる。平成の民はテレビでものごとを判断しすぎる。大殿どの迷走など、なにも今に始まったことではござらぬではないか。とにかくわらわはずぅ〜とハッピーでいたいのじゃ。何があっても負けてはならぬ。万歳、万歳、わらわはハッピーでごじゃる。
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『罷免の巻』　　　　　　　　　　　　　

ねぇねぇ、シュウギイン・ソウセンキョってさ、ヒレイダイヒョウとか、なんとなく分かってんだけどぉ、巻子ってセンキョ詳しい？「あたりまえじゃない。あんた行ったことないの。信じられない〜あれって国民のギムよ！」違うって。私だって行ったことはあるわよ。たださ、一緒に最高裁判所裁判官国民審査ってあるじゃない。あれって何なの？

「ばっかね。あれって、あれじゃんシンサじゃない。国民のギムよ！」分かった巻子。ギムは分かったからさ、どうやって選ぶのか教えてよ。「どうやってって、あんたそんなのも知らないの？　いやになっちゃう。あれって国民のギムよ！」分かった。分かった。ギムは分かったって。だからさ、選び方を教えてって言ってんじゃないの。

「いい、あんた宝くじは買ったことある？」うん、ジャンボとかロト６も何回か、スクラッチとか買ったことあるけど、ぜんぜん当たんないからムカツク〜。「そう、ロトと一緒よ。ロト買うとき好きな数字選ぶでしょう。あの感覚。数字の代わりにピンっ閃いた名前を選べばいいのよ」えっ!? マジなの？　ピンってきた人って言われても知らない名前ばっかりだったよ。投票所ではじめて見たもん。

「当たり前じゃん誰だって裁判官の名前なんか覚えている訳ないじゃない。それも国民のギムなのよ。第六感やインスピレーションがたいせつなの。あんた昔から霊感強かったからきっと向いているって！」だから霊感なんてないって、宝くじぜんぜん当たんないもん。だけどさ、選ばれた裁判官ってさらに偉くなったりする訳？　「もち。偉くなるんだろうね」いいな〜。ってことはシンサじゃなくてニンキトウヒョウってことじゃん？　なんかおかしくない？

「おかしくないって。シンサって審査員のシンサでしょう。ずばりコレって思う人を決めればいいのよ」そうか。巻子ってやっぱし賢いね〜。「ばっか何いまさら持ち上げてんのよ」キャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッ。
※いまだ「罷免」という漢字を知らない二人は「政権が転んでもおかしい年頃」はとっくに過ぎているにもかかわらず、涙がでるほど戯れ笑いを続けるのだった。


それでは総選挙に向け日々知恵をしぼりご尽力されております全国の与野党議員先生方の万歳姿を祈願いたしまして、日本の偉大なるロックンロールバンド、ザ・タイマーズの名曲『ギーン　ギーン』を捧げ『私と政治・番外編』を終わらせていただきます。
　
ギーン〜　ギーン〜　ギーン　ギーン〜ギーン　ギーン　ギーン　ギーン　ギーン　ギーン〜　ギーン〜　ギーン〜　ギーン　ギーン〜ギーン　ギーン　ギーン　ギーン　ギーン　ギーン〜

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         <category>あふぉりずむし</category>
         <pubDate>Wed, 12 Nov 2008 19:02:36 +0900</pubDate>
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         <title>　【私と政治 ２】</title>
         <description><![CDATA[わたしが経験してきたこれまでの選挙戦を振り返っても「本気でこの人だ」と思った人物はいない。どの候補者もわたしの人生観や価値観と接点が少なすぎる。


議員は「先生」という代名詞で呼び合うが、わたしの認識ではティーチャーかドクターが先生であって、政治家に「先生」という立ち位置は求めていない。市議会議員〜県議会議員〜国会議員という年功序列的ステップ制が「先生」という気色の悪い代名詞の出どころか？


先生諸氏はやたらに黒塗りの車に乗りたがる。胸に金バッジや赤い羽根、緑の羽などをつけたがる。また住んでいる家がやたらにでかいお屋敷風情というのも、庶民との格差を大いに象徴している。


わたしが選挙権を得たばかりの頃、選挙が近くなると必ず友人知人、職場、取引関係などを介して熱心な支持者から、後援会への勧誘が繰り広げられていた。「ねぇ、名前を書くだけでいいから、お願い！」といった具合だ。まだ若くて青二才だったわたしは、多くの有権者がお付き合いで、与野党含めて複数の候補者後援者名簿に名を連ねる現実を知って唖然とした。
<img alt="pot%209.jpg" src="http://www.lifesasebo.com/makitaro/pot%209.jpg" width="85" height="131" / align="left" vspace="3" hspace="10">


後援会へかり出されて候補者の演説を聞くのも多くがそういった付き合いとしがらみで成立していた。議員たちの政策や人柄にふれるというより、消費者心理を巧にコントロールする霊感・催眠商法にも似た空気を放つ演説が多かった。


それでも地方の富と幸せを説く先生方の熱弁に市井の多くはささやかな希望を託し、国会へどんどん送り込んだ。「個」の言葉で表現しているのか「組織」の言葉で表現しているのか？　なにも見極めないまま。その多くが自民党＆公明党のハッピーセットのような票となって与党が運営されてきた。


そんなハッピーセット票で内閣継続モードを繰り返してきた偉大なる自由民主党が今大いに揺れている。


それでは最後に国家議員の全先生方にザ・タイマーズの名曲『ギーン　ギーン』を捧げ、この国の未来にエールを送ることにする。

ギーン〜　ギーン〜　ギーン　ギーン〜ギーン　ギーン　ギーン　ギーン　ギーン　ギーン〜。お〜、エ〜イ!!  ギーン　ギーン　ギーン　ギーン　ギーン〜〜〜〜〜〜〜ギーン　ギ〜ン　ギーン　ギーン　ギーン　ギーン


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         <category>あふぉりずむし</category>
         <pubDate>Fri, 24 Oct 2008 15:50:16 +0900</pubDate>
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