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2008年10月14日

「名優の笑顔」

ノーベル賞に湧いた先週、緒形拳さんの訃報が報じられた。昨年10月にこの「ざっき帳」にも記したように大好きな役者さんだった。「白野」佐世保公演で初めて生の舞台を拝見して、「男の心意気」を秘めたかっこよさを感じたと書いた。人生の最期まで役者を貫いた緒形さんに、やはり同じ心意気を感じた。

しかも、他界後に放送が始まったドラマ「風のガーデン」で、最期の演技まで見せてくれるという大きなプレゼント付というエンディングも緒形さんらしく思える。スクリーンや舞台ではなく、テレビを介して茶の間にいながら最新作を楽しめるのである。わたしが初めて緒形さんを知ったのは幼年期に見た「太閤記」の豊臣秀吉役。テレビで知った名優がテレビで幕を引く。偶然にせよ「白野」の主人公のような粋な生き様を感じてしまった。

作品を通してさまざまな刺激を与えてくれた緒形拳さん。ありがとうございました。ちょっと歯に噛んだような笑顔を忘れません。ご冥福をお祈りします。  (神無月)

2008年05月20日

「景色って誰のもの?」


kesiki0018.JPG大黒町から福石中学校校門方向を見下ろしながら坂道を下っていると、海と船が高速道路の上に浮かんで見えるアングルに出会う。ちょっぴりトリッキーで、なかなか佐世保ぽい風景だ。

ここは僕がかつて、登下校していた坂の多い通学路。競輪場は今も同じ位置だが、切り開かれた裏山には駐車場やみなとインターができ、さらに建設中の高速道路が駅方向へと延びた。

佐世保湾を見下ろす高台に暮らしていた人々が見る景観は、このようにここ10年ほどで大きく変わってきている。中でも駅周辺開発で商業施設やマンション、ホテルなどが次々と立ち並んだ三浦町界隈の変化は目覚ましい。

ところが、白南風や山祗、峰坂町など見晴らしのよかった山の手の住宅地では、新しい建物によって佐世保湾の眺めが遮られた家庭もある。長年ベランダや窓から見えていた海辺の景色が変わったのである。
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どこの街でも都市の景観条例などに基づいて開発が行われている。しかし、市民一人一人の窓辺の景色まで、国や行政がデザインしたり管理したりしている訳ではない。「花火の見えんごとなった…」と言う呟きは誰の耳にも届かないまま街はスピーディに変化を続けている。

景色とは、誰のものなんだろう? (皐月)

2008年02月07日

「ケン&ツマ」


 前回、松千とのエピソードの中で刺身のケンとツマのことにふれた。

 ケンは大根や人参を細長く切ったもので、ツマは大葉やシソの葉のこと。冷蔵庫が普及していなかった時代に殺菌効果の高さもかわれた野菜たち。単なる見た目の美しさだけでなく、栄養バランスや生もの脂ぽっさを消すなどいろんな効果を持つ優れものだったのだ。

 豊かな味わいを高める知恵が詰まった大事な添え物だったが、今は飾りものとして定着。食後に大量のケンとツマが残ってしまうありさまだ。
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 ところが、スーパーで買った生ものに大葉とカイワレ大根の写真をプリントした粋なトレーが付いてきた。なんという優れものだ。これだったら、生産者が愛情を込めて育てた野菜くんたちをバンバン捨てなくて済むぞ。

 しかもこの手のトレーが普及していけば宴席を後にするときも、残ったケンの山を見て悲しい思いをしなくてよくなる。実に素晴らしい!(大根は白地のトレーでうまく表現できるだろうか?)

 弁当やお寿司の仕切りなどで使われるギザギザした緑のバランと同じようにプラスチックに進化したツマ&ケンの姿に、しばしうっとりしながら写真を撮った。

 でも待てよ……生産者は今のままの方がよくないか? 無駄になっても飾り物としての需要がある方が売り上げにつながるじゃないか。

 お〜っ!? 大量消費社会というのは、なんとも複雑だ……。 (如月) 
 

2008年01月09日

「佐世保の国道にイノシシ!」

 
 近ごろ、猪による農作物の被害が増え、山の手の住宅地などでもその姿が頻繁に目撃されている。九十九島の会の平尾会長と話をした時、金重島でも猪が餌をあさった痕跡を発見した、と語っていた。海を泳いで餌を探しに行く勇ましい猪まで出没しているということになる。
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 数年前に知人がバイク通勤中に猪に激突され転倒。腕を骨折するけがを負った。雑木林、山沿いの通学路にも度々猪が出没中。校内で「イノシシと出会っても目を合わせないこと」などと注意を促すプリントも配られている。

 温暖化など異変が深刻化する地球。人里に現れる猪は、わたしたちの身近な環境にも何か変化が起こっていることを知らせているように見える。森を破壊して生きる人間と山の神々たちの闘いを描いた映画「もののけ姫」の構図が甦る。「イノシシが出た!」と聞くと、森を必死で守り抜こうとした猪神、森繁久彌が声優を務めた乙事主の姿を思い出してしまう。
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 そんな中、1月8日(火)午前、佐世保市日宇町の国道沿い空き地に二頭の猪が出現。車が行き交う町中で佐世保警察署の署員に加え市亜熱帯動植物園職員も応援にかけつけて、捕獲作戦が展開した。麻酔針を使った吹き矢なども試みたが、うまく行かず、金網などを囲みじわじわと追い込み一頭を捕獲成功。しかし、もう一頭は網を突き破って、国道を横断して反対側、白岳町の住宅地に逃走した。

 新年そうそう、昨年の干支による町中の捕獲劇。自然界で何が起こっているのだろう? (睦月)


2008年01月08日

「元朝の所存」

 
 最後にこの帳面を更新した夜、事件が起きた。

 ????????????????????

 人々を襲った恐怖と衝撃に「戦争」の持つ非情さと不条理を感じた。

 後に残ったのは不快でやり場のない虚無感だった。この帳面に町のことを書き記すことも気が進まなくなった。

 そして年が明けた。

 パソコンの電源を入れ、カーテンを開けた。

 軍艦を見下ろす丘から眺める元旦の風景。中腹に点々と佇む民家の瓦が、かすかな雪を積んでいた。

 郵便局のバイクの音が階下に響く。

 玄関鉄扉に備えられた新聞受けから白いビニールに収められた分厚い朝刊を引き抜いた。

 自室に新聞を広げて、煙草に火を着け、ラジカセにCDをセットする。

 普天間移設 沖合移動。穀物備蓄引き上げ検討。次期衆議院選770人超出馬予定。社説「多極化世界への変動に備えよ」。「この国をどうする〜クオリアとは〜」。主人公で生きろ。(創刊50周年へ向けて少年マガジン) 衆議院予想立候補者一覧。原監督3年目の決意。王監督14年目集大成。岡田ジャパン再始動。コースター急停止13人けが……。

 富田勲の「新日本紀行」を聴きながら、朝刊をいつもより丁寧に読んだ。

 子どもの頃テレビの中から流れていた同番組のオープニングテーマは、今も不思議な郷愁へと誘ってくれる。ふだん意識していない日本人のDNAを呼び覚ますような旋律が心地よく身体に染み込んでいく感覚だ。

 新聞を折り、白いビニール袋に戻して起き上がる。「俺は日本人」「あい・あむ・じゃぱにーず」という意識が昂ぶった。澄んだ冬景色の中に、いつもより少しだけ凛としている己の精神を感じた。

 真冬の海にぽつんと浮かぶグレーの軍艦。わたしの約半生がそうであったように、これからの時代を生きる子どもたちにも「戦争」はいらない。

 再び帳面に町の様子と我が心模様を書き記そう。それが元朝の所存だった。 (睦月)

2007年12月14日

「トシコシ ソバ〜ヤ♪」

 今年個人的に楽しかったこと、嬉しかったこと? 
 
 何があったかな? 
 
 佐世保で『69』を撮った李監督の『フラガール』がキネマ旬報ベストワンに選ばれ、日本アカデミー賞最優秀作品賞を取った。
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 釜山旅行。ロッテホテル横の「6番」っていう屋台に2晩通ったら、おばちやんがムール貝のスープを振る舞ってくれた。キムチ最高。愉快なおばちゃんだった。


 初めて自分でカーナビ付の自動車を運転した。目的地にぴったり到着する喜びを知った。

 夏、稲佐山スカジャン初体験。気持ちE〜。
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 炎天下の中、息子と娘と蓑傘をかぶって吉野ヶ里歴史公園を探索した。

 ロックバンド「ザ・ロウツ」からさつま焼酎「黒伊佐錦」の一升瓶を頂いた。

 娘がブラックモンブランで1000円当たった。

「100年目のキリンビールを、90年目のささいずみで」という店内張り紙。ラガービールが一段と旨かった。


 地球物理学者、竹内均さんの『宇宙も終わる』を久しぶりに再読した。
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とても旨い東浜産の干しあごに出会って病みつきになった。

 北島三郎が歌った『ジャンゴ』の主題歌にしびれた。

 大宮市場で西海町のおいしいミカンとかぶ漬けに出会った。

 エレカシの歌声が久しぶりにテレビから流れた。ウコンの力だぜ!
 
 スクーターのヘルメットを新調してもらった。 
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 ガリレオの福山VS久米 最終回。
 
 おぉぉぉぉぉぉぉ〜ととと。僕の1年の楽しさって、こんなもんすっかぁ〜。もっとあったんじゃない? 思い出せないよぉ〜。

 でもいいんだ。年末に今年一番楽しみにしていることがあるもん。

 12月19日に発売されるタモリの復刻版CD。僕にとってレッドツェッペリンのレコードを初めて聴いたときと変わらぬ衝撃を与えてくれた名盤、タモリのファーストアルバム、セカンド、サードがなんと紙ジャケで同時発売されるんだ。

 タモリの芸は、高校一年生だった僕に想像を超えた笑いやパロディ、エンターテイメントの面白さを教えてくれた。青春時代、周囲の価値観や常識をぶっ飛ばしてくれた心の支えだったなぁ。
 
 僕にとって、筒井康隆の初期ハードカバーが復刻するのと似たようなものすごいイベント。いや30年目の奇跡、いや30年目のビッグなクリスマスプレゼントなのである。
 
 わ〜い、わ〜い、嬉しいなぁ。今はもう滅多に見聞きできない若き日のタモリの芸が甦るんだぞおう。1人でケラケラ、ニヤニヤ、新年に向けてカウントダウンだ。

 ソバヤソバァヤ♪ ソバヤソバァ〜ヤ♪ トシコシ、ソバァ〜ヤ♪  (師走)


2007年12月13日

「ライフさせぼとは?」

 
 ライフさせぼとは、長崎県佐世保市市内の情報を紹介しているローカルタウン情報紙です。タブロイド判2色刷りで無料で読むことができ、毎週金曜日発行のウィークリー紙です。

 近年都市圏を中心に大量のフリーペーパーが溢れかえる光景が日常化しました。ネット時代ながら、チラシ広告に代わる紙媒体の戦国時代にも見えます。
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 ライフさせぼは、ミニコミ誌やフリーペーパーという言葉も一般化していなかった昭和52年(1977)に産声を上げました。創刊者がテレビCMのように無料で家庭に届く広告媒体を作ろうと考えスタートさせたのです。

 配布は各家庭への宅配と自由に取っていただく置き配。紙面には商業広告に加え、街の歴史や人物取材、週末を中心としたイベントやショッピング情報、読者の情報交換コーナーなどを盛り込み、地方生活や文化に焦点をおくことにこだわった編集を続けました。
 
 その結果、一般紙の地方面やテレビのローカルニュースにも取り上げられなかった地域性の高い話題やニュース、生活により身近な情報が生まれてくるようになり“街のかわら版”的な存在として親しまれるようになったのです。

 平成元年(1989)“九十九島の景色がある街”をコンセプトに佐世保から見た市外にも視点を広げたカラーB5判の月刊情報誌「99VIEW(ナインティナインビュー)」も創刊。地方の歴史や文化をさらに掘り下げた特集や、オピニオンリーダー的な人物を積極的に取材。中央集中の経済と文化だけでは育めない、地方独自の価値観やライフスタイル、まちづくりなどを発信する新媒体として受け入れられるようになって行きました。

 そして、昨年(2006)に年2回の季刊誌「WeWe(ウィウィ)」が新たにデビュー。この媒体は地方にマッチしたブライダル情報を軸に、佐世保での出会いや結婚生活、幸せを読者と共に考えるローカルカップルマガジンを目指し走り出しました。まだ初々しい次世代向けのフレッシュな雑誌です。

 以上が、15年間紙面づくりに関わらせてもらっている僕が知るライフさせぼの歴史です。どうして今更「歩み」を書き記したかと言うと、ライフの誕生日が12月16日(日)にやって来るからです。ちょうどこの日で30歳を迎えます。

 
思えば、僕が初めてこの情報紙に出会ったのはライフがまだ3、4歳だった80年代初頭。場所は東京都武蔵野市のアパートでした。佐世保から上京したミュージシャンの引っ越しを手伝ったおりに、彼が「こい知っとる? 佐世保におもしろか新聞のあるっちゃん」と差し出したんです。赤いロゴがとても印象的でした。特集記事は「佐世保弁番付表」。東京での旧友再会の席で、お国言葉に盛り上がったのを覚えています。

 まさか、そんな自分が将来、「佐世保弁辞典」や「ドクター佐世保弁」の記事を書いているなど想像もしませんでした。不思議な縁も感じ、創刊30周年の記念日にちなみ、個人的にその歴史を振り返ってみました。 (師走)

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※最後にこぼれ話を一つ書き添えます。地元でよく読まれているタウン紙ですが「ライフ佐世保」と漢字で覚えている人や「ライフ新聞」と口ずさむお年寄りもいます。ところが「させぼ」がなくても「ライフ」で幅広い世代の皆さんに通じる新聞です。ちなみに月刊誌は年配の皆さんに「キューキュー」や「きゅうじゅうきゅう」のニックネームでも可愛がられています。

※最新号12月14日(金)発行のNO.1447は読者のみなさんの想い出などで綴る創刊30周年記念号です。ぜひご覧下さい。

2007年11月30日

「佐世保のクリスマス」

 佐世保では年末になると島瀬公園をメイン会場に「きらきらフェスティバル」、ハウステンボスでは「光の街」というイルミネーションイベントが開催される。

 それらと連動して、数年前から佐世保重工業株式会社(SSK)では、クレーンい電飾をほどこしクリスマスムードを演出している。
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 SSKは、佐世保を代表する造船産業を築いてきた会社だ。明治、大正、昭和の海軍時代に海軍工廠(こうしょう)だった施設を使って敗戦後に会社を設立。船艦武蔵の修理などを目的に建造された全長343mの第4ドッグなど、敷地内にはその歴史を物語る建物など近代遺産が今も点々と残っている。

 佐世保らしい景観でもあるドッグとクレーン群の中、毎夜、灯りを発しているのは大正2年に英国人技師によって建造されたイギリス製250トンクレーン。高さは42m、ブーム部分は82m。125トンの吊り上げ機が2機装備されているので、通称250トンクレーンと呼ばれている。

 同社で最も古いクレーンで94年間経った今も現役。船のクランク軸やガスタンクの積み込みなどで現在も大活躍中だ。国内でも珍しくなったこのクレーンは、SSKのシンボルと言える。

 風当たりの強い地上42mの場所にタール塗装した枠を備え、レタリングを活用し、金網で「SSK」の文字も製作。60ワットの赤色灯251個、白色灯251個、計538灯を一つ一つ丁寧に差し込み部分を固定し、球が風に揺れて割れないように工夫されている。


 山の手から佐世保港を見下ろす夜景に美しく映えるクレーン型の電飾。海軍から造船と3つの時代を静かに見守り続けてきた長老クレーンの輝きは、最も佐世保らしいクリスマスイルミネーションかもしれない。  (霜月)

2007年10月26日

「佐世保に緒形拳」

 今週火曜日にアルカスSASEBOで緒形拳のひとり舞台「白野」を観劇しました。僕が緒形拳さんの顔を初めて見たのは幼児の時に放送されていたNHK大河ドラマ「太閤記」の秀吉役だったと思います。

 その後、中学校から高校でよく邦画を観るようになって、スクリーンでたびたびその姿を拝見するようになりました。「砂の器」「鬼畜」「八甲田山」……やはり高校生の時に観た「復讐するは我にあり」の犯人役の印象が最も鮮烈で、緒形拳という名前を覚えるきっかけになった作品でした。

 その後も「家宅の人」など、いろんな作品を観てきました。実にさまざまな役柄を演じておられますが、主役でも脇役でも氏の姿がスクリーンに写し出されるだけで、次第に不思議な安心感を覚えるようになって行きました。

 善人を演じても悪人を演じて忍者や刑事を演じても、その役柄より緒形拳という1人の人間を観ている安堵感を先に感じるようになったのです。僕の勝手な思い込みですが、どこかひょうひょうとしていて、茶目っ気があり、鋭くて怖い……その人間くささがかっこいいんです。もちろん映像を通じて勝手に抱いたイメージですが、ロックンローラーみたいな「粋」な、かっこよさを長年感じながら見てきた役者さんの1人です。
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 そんな緒形さんの生の舞台を佐世保で観ることができる絶好の機会が到来。新国劇のことや原作「シラノ・ド・ベルジュラック」も不勉強ながら足をはこびました。
 
 暗めの背景に、真っ白な布が垂れ下がり、緒形さん直筆と思われる「月」とい書文字が描かれただけのシンプルな舞台。チェロの生演奏とわずかな効果音だけ、凛とした空気が張り詰める中、侍姿の主人公が登場。衣裳もメイクも替えずに1人でヒロインまで5役も演じるたったひとりの人物。その動作と台詞に、物語の中にぐいぐい引き込まれていきました。
 
 落語の話術も思わせる言葉の妙、「月」と描かれた垂れ幕が、月夜に見えてくる視覚効果、空間や間……古典芸能も思わせる日本的な「美」や「風情」といった世界観も持った作品だと思いました。

 年齢を積み、無駄な力を削り落としたようなスタイリッシュな芝居に、緒形さんご自身の人生もダブって見たような気がします。古稀を迎えたとは思えない役者の放つオーラは、僕にとって今も間違いなく「かっこいい」ままでした。それは、例えば60歳過ぎても、ひょうひょうとギターをかき鳴らしているキースリチャードの
ような、「男の心意気」を秘めた、かっこよさなのです。

 公演終了後に、緒形さんのブログを拝見してみると、佐世保滞在中に撮影された
夜景やイワシ、海軍さんのビーフシチューなどの写真がアップされていました。この街を訪れた白野弁十郎が残した置き土産みたいで、笑みがこぼれる、嬉しい写真でした。    (神無月)

2007年10月15日

「ライブ・映画・芝居」

 12日(金)夜、ガァネトにてオトヒトツ、ハウリングセッタのライブ観る。

 13日(土)夕、アルカスSASEBOにてアジア映画祭「玲玲の電影日記」観賞。
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 14日(日)朝、アジア映画祭「恋しくて」観賞。うどん食って、劇団「楽園天国」公演「ケモノミチ」会場へ。ターボさんとハウリン伊達丸も来場。一緒に観劇。夕、伊達丸とアジア映画祭「トンマッコルヘようこそ」観賞。駅前で伊達丸と喫茶。「恋しくて」「トンマッコルヘようこそ」、音楽について談義し過ぎて「パッチギ!LOVE&PEACE」の上映に間に合わず。映画祭担当者のイトさんに挨拶して帰宅。煮干し、麦酒。

「恋しくて」優良。地方生活の息吹輝く。我らの足故郷の地にしっかりと!
「トンマッコルヘようこそ」韓国高水準。やや「もものけ」場面有り。日本映画負けるなよ。
「ケモノミチ」演技良。恋愛、都市伝説の絡みやや不安定か?
「オトヒトツ」歌良。佐世保の新たなる香りになるか?
「玲玲の電影日記」映像良。切ない。
「ハウリングセッタ」もっとゆけ。多勢の通らぬ道を突き進め。  (神無月)

2007年10月09日

「古武術に感じたこと」


 椅子から立ち上がるとき「どっこしょ!」と無意識に声を出す。なぜだろう?
その理由が昨日少し分かった。どうも部分的に力を集中し過ぎて無理して立ち上がろうとしているようだ。「起き上がる」「座る」「坂道を上る」「荷物を持つ」「身をかわす」……わたしたちの日常の動作には、本来疲れにくく効率性のよい身体能力が備わっていたそうだ。にもかかわらず、現代人は機械化などで体を動かすことが下手になり、優れた能力を失ってしまっているという。

 そういう優れた身体感覚を取り戻そうと研究、提唱を続けている古武術研究家の甲野善紀さんが、佐世保市武道館を訪れ、市民に講習会を開いた。音楽イベント情報サイト「させぼらへん」を運営している平田雄志さんが世話人となって、佐世保に招き今回で10回目の講習会だ。サッカーやバスケット、柔道などスポーツに親しむ人、介護関係の仕事に携わる人、会社員、主婦など受講生の顔ぶれは実にさまざまだ。
kobujixyuJPG.JPG 古武術を探求しながら、かつての日本人の優れた体の使い方を研究して生み出した独自の技法と論理は、各界から注目されるようになる。桑田投手をはじめ、数多くのスポーツ選手、演奏家、舞踏家など幅広いジャンルでその身体技法をヒントとして活用する人が増えた。近年は、介護や医療現場、人間工学、経営の分野からも相談が増え、NHK教育テレビ『暮らしのなかの古武術活用法』などメデイアを通して、一般市民にも広く知られるようになった人物だ。

 この日の講習会では、椅子に座った人を立たせる、ベッドから落ちた人を戻す、腕の力を使わず引っ張り上げる、倒れたときにケガをしない受け身など、いろんな技法を紹介。受講者から「お〜う」と驚きの声が耐えなかった。見学しながら、全体的にいかに余分な力を分散させ全身運動に変えるかという技法といった印象を受けた。

 平田さんの計らいにより、休憩時間に甲野さんと少しだけ話をすることができた。「科学にも限界があることを感じて欲しい。科学は一つの方法にすぎません。人間の複雑な動作もあまりに科学的に考えることで逆に体を悪くしているケースもたくさんあります」写真やテレビで拝見する道着姿に、つい武術家、武闘家というイメージを持ってしまうが、甲野さんは闘いや護身のための武術を伝授している師範ではないのだ。スポーツ選手にも負けない自然にマッチした基本動作を講習や多数の著書で伝えている研究家なのである。「時代が複雑になればなるほど、すべてマニュアル化されていくことに危機を感じます。自分の頭で考えることを忘れてはいけない」という言葉が心に残った。

 組織や企業を一つの身体と考えると、全身のバランスが崩れているような出来事が多い。トップだけが力んでも平社員だけが力んでも一部に負荷がかかるだけで、優れた身体能力は発揮できないのかもしれない。甲野さんが目指す古武術とは「武術」ではなく人生を豊かにする「学問」なのかもしれない。(神無月)


2007年10月07日

「合同還暦式」

7107.JPG 平成19年10月7日(日)、ここ佐世保市で「成人式」ならぬ「佐世保市合同還暦式」という初めて耳にする式典が開かれた。還暦と言えば、60年で再び生まれた年の干支に還るお祝いの年。赤いチョッキなどを羽織って、家族や親類縁者で「おめでとう!」と60年間の労をねぎらうのが常である。が、なんとアルカスSASEBOの大ホールに一堂に会し合同でセレモニーを開催するというユニークな企画だ。

 これは行政が仕かけたイベントではなく、昭和22年生まれの人々が、1年前から「昭和38年卒業佐世保市内中学校連合同期会」といチームを結成して準備を進めてきた市民による手作り大同窓会である。会場には「セカンド・ステージ・キックオフ」とバックプリントした赤いTシャツを着た約100名の実行委員会メンバーたちがスタンバイ。卒業校別に受付を行いホールに1000名を越す60歳が県内外から集まった。
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式典では花園中学校卒業生の女優・白川和子さんをはじめ3名の同期仲間が講演。佐世保市の60年を映像で振り返る「60年の歩み」の上映、アトラクションなどで構成。この趣旨に賛同した歌手の、さだまさしさんからビデオメールも映し出されるサプライズ企画もあり、さださんの「還暦を機会に何かを起こそうという気持ちに感激しました。長崎、佐世保から始まるのが嬉しい。60になったら還暦式に出るぞ!この一歩は実に尊いものだと思います」という応援メッセージに熱い拍手が湧き起こった。

 昭和22年に佐世保に生まれた人は約7200人。いわゆる団塊の世代の人だから僕らと比べ同級生の数が圧倒的に多い。集団就職、受験戦争、学園紛争、いざなぎ景気、バブル崩壊など戦後の日本社会を群れで走ってきた世代だ。そんな彼らが定年の年を迎えた。が、今の60歳はまだまだ若い。還暦を機に「これまでの人生をどうまとめ、残りの人生をどう生きるか」をそれぞれ考え、次の世代に何か残そうという強いメッセージを秘めたセレモニーに仕上がっていた。tsiyatu3.JPG

 社会から受け身で開いてもらう成人式から40年を経た今、人生を積んできた人々が自発的に開いたを還暦式。タイトル通り、群れでセカンド・ステージにキックオフを放った。人生において成人式よりも意味が深く感じた。60歳からの人生ステップイベントとして各地に飛び火するか? 60歳になっっても何かやろうとする、団塊おやじ、おばちゃんパワーはまだまだあなどれないのである。  (神無月)

2007年09月27日

「鬼木棚田まつり」

onikiii0056.JPG   おばさん、鎌を持って稲刈りに精を出す。これ日本の原風景。今どき機械も使わずがんばりますね〜。おばさんの傍らでは、あらあら、佐世保を代表する有名人、ジャパネットの社長じゃありませんか! おっ!! 宮崎県知事も視察でありますか。
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「そんなの関係ねぇ〜」小島よしおに、たむけんも道行く人々にネタ披露。あ〜、おじさんダメダメ!! そんな所で立ちションしたら! みんな見てますから。おっ!? タカ&トシ! 立ちションおやじで何か一ネタお願いしますよ。「……案山子か!!」
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onikiiijpg.JPG 今年も秋の風物、波佐見町の「鬼木棚田まつり」を楽しんできました。日本の棚田100選に選ばれた美しいローケーション。田んぼには収穫間近な稲穂が映え、とっても爽やか。恒例となった地域の皆さんが知恵と腕を振るったユニークかかしが約120体も展示され、来場者の笑いを誘った。人気投票では、おばあさんが一息している姿を描いた「ロー婆の休日」が1位に選ばれた。
oniki5PG.JPG おまつり広場では今年も大鍋で作った田舎汁が来場者に振る舞われた。かぼちゃ、里いも、にんじん、しいたけなど山の幸いっぱい。鬼木味噌との相性も抜群。美味しかった。鬼木地区の皆さん、ごちそうさまででした。 (長月)
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※1999年農林水産省が選出した「日本の棚田100選」の一つ。長崎県波佐見町「鬼木の棚田」。2000年より日本の農家の原風景を残す名勝地として広く知ってもらおうと町ぐるみで「鬼木棚田まつり」を開催。県外から足を運ぶ人も増え、今年は過去裂いたの約5000人が訪れた。

2007年09月19日

「金太郎の名刺」


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ちょうど動物愛護週間なので、わんこネタをひとつ。 
 
 先日、ツカさんが運営するインターネットTV「99チャンネル」のアクセス10万件突破を祝う小宴の席にゲストで招かれていた、佐世保アーケードの人気アイドル犬「金太郎」と初めて会って名刺を交わした。

 これが金太郎から頂いた貴重な名刺だ。ワンちゃんと名刺交換は初経験。噂通り、とてもチャーミングなプードルで、ウェーブマガジン「SASEBOO!」の橋口氏、ツカさんとワイワイ緒方氏、わたくしのほろ酔い談笑にもイヤな顔を見せず、物静かに振る舞う姿に「大人だなぁ」と感心してしまった。

 金太郎は1年頃前からアーケードをご主人と毎日散歩されるのが日課。大きな体と黒い巻き毛と帽子がも愛くるしく、たちまち街の人気者になってしまた。特に女性や子どもたちから好かれ、写メなどで記念撮影をせがまれること日々常々。ここでもイヤな顔ひとつせず、屈託のないブラックフェースでハイポーズを決めてくれる、天性のアイドル性を秘めたワンちゃんなのである。

 ロックバンド跡紫魔?(あとしまつ)のキングー閣下とツーショットでアーケードを闊歩した経験もあり、人垣ができる人気ぶりだったそうだ。ネーミングの由来はご主人が「サラーリーマン金太郎」の大ファンだったからだということだった。ワンちゃん好きは大ヒット中の金太郎ブログをチェックでござる。  (長月)

2007年05月24日

「8020まで3本」

 
 6月4日は「虫歯予防デー」だ。この日を皮切りに10日まで「歯の衛生週間」が展開する。そんな矢先、拙者の口腔は人生最大の危機を迎えている。上アゴの側切歯と下アゴの大臼歯がグラグラと揺らぎながら、かろうじて歯茎に食い止められているという無惨な状態なのである。

 前歯にいたっては歯茎が黒ずみ、歯が下がってきておるのである。これぞ恐るべし歯槽のう漏の結末なのだ。思い起こせばあれは、7、8年前だったろうか。食堂でうどんの残り汁を啜っておると、歯茎にじわりじわりと染み込むような激痛が走ったのが始まりだった。その後、缶コーヒーや菓子類を口にしても同じような痛みに襲われることが増えた。

 こりゃ〜また虫歯だ、あ〜、バキュームやエアータービンの音って恐いんだよな〜!! などと鷹を括り、しばらくして歯科医を訪ねた。すると、「歯槽のう漏です。時間をかけてケアしていきましょう」と想定外の言葉が返ってきた。

 せっかくドクターから優しいアドバイスを受けたにも関わらず、その後、通院を怠けてとん挫。欲望のままに喫煙、飲酒の日々を積んでおったら、歯茎の痛みに加え、出血、そして周囲に口臭を指摘されるようになった。

 それでも変わらず欲望のままの毎日を繰り返していると、歯茎の痛みは感じなくなってしまた。「成人の約半分が歯周病!」という文句を聞いたり、コピーを見て「拙者だけではないのだぁ〜」と変な安心感まで出てくる始末。
 
 どうせ、口の中を清潔にして丁寧に時間をかけて一本一本ブラッシングするしか改善策はないんだぁ〜といい方に開き直る。ドラッグストアで歯周病予防歯磨きをはじめ、歯間はブラシ、歯茎磨き、歯垢を落とすと記されているブラシなんぞ、ケアグッズを揃えて、朝、昼、番と我流のデンタルケアを約3年余にわたり続けてきた。

 ところが、昨年、左上アゴの大臼歯、いわゆる奥歯がゆらゆら状態になって食事中に脱落。「あ!! 歯のとれた!」と間抜けな声を出し驚いていると、側にいた小学生の娘に「お父さんもまた新しか歯のはえてくると?」と興味津々な顔で尋ねられた。……だったらいいのにね。残念ながら永久歯は、うどんやラーメンの替え玉みたいに追加できないのである。

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ていたらくな生活の末に訪れた哀れなる結末。前歯がなくなるなんて、女性だったら絶対に許すことができないはずだ。もちろん、男だって恥ずかしさは変わらない。
 
 人と言葉を交わす時、無意識に口をすぼめ、やがて何もかもが消極的になっていくのだ。前歯をなくすとはそれほど致命的なことだ。
 
 しかも、拙者は日々不特定多数の人々と会ってお話をするのが生業である。「うっ!! こやつ前歯がないぜ!」「エッ!! どんだけぇ〜!」と人々は愛想笑いを作りながらも、きっと腹の中で驚愕するのである。
 
 え〜い、いっそのことジャック・スパロウみたいなイカした銀歯の義歯を埋め込んでもらおうか……。ファイブ! フォー! スリー! ツー! ワン! サンダーバードオープニングカウントみたいにやがて訪れるであろう歯抜け野郎な現実と向き合い、日常をやり過ごしておるのである。知性と良識に満ちた方々は信じられない怠惰だと、きっと呆れ果てられることだろう。

 確かに拙者は歯周病をなめていたと今、反省しておる。そこで、今後、歯槽のう漏を患う方に少しでも参考になればと思うことがある。拙者の場合、虫歯治療で差し歯やかぶせものでの処置をした歯がことごとくやられておる。改めて歯石や歯垢、雑菌の巣になるリスクが高い箇所であることを痛感した。
 
 また、拙者は激しい歯ぎしりマンでもある。寝ている間に歯や歯茎に過度な負荷をかけていることも歯槽のう漏を進行を促進する関連性があるのかもしれない。これは専門医に聞いてみないとはっきりしないことだが。一度、歯ぎしり防止のマウスピースをして安眠してみたいものである。

 現在、日本人の歯の平均本数は60歳で22本。70歳で14本。親知らずも含め約30本の永久歯を保有していたはずである拙者は、ケガや虫歯、そして歯槽のう漏ですでに7本を失ってしまい現在の本数は23本である。そして今ぐらついている2本が抜け落ちれば、すでに60歳の粋に達してしまうことになる。

 このままでは、厚生省や歯科医師会が推進している80歳で自分の歯20本を残そうという8020運動には到底およばない。果たして80歳で何本、自分の歯を持つことができるか? せめて8010はキープしたい。その前に80歳まで生きていられるか? 歯がないと人生に歯が立たない。歯の健康は老後の生活を大きく左右する大事な鍵でもあるのだ。

 
 レディ・アンド・ジェントルマン! 歯周病をなめてらあかんぜよ!! を身を持って経験中でござりまする。これは恐い病気なのです…。 
 
 
 もういいかげん我流のデンタルケアは止めよう。悔い改めるのである。専門医の腕と英知を借りて、医療費が続く限り8010を目指し、憎き歯槽のう漏と立ち向かってゆく所存である。   (五月)

2006年12月11日

「宇宙戦艦ヤマトを作りたい」

DSC_0025.JPG 人にはいろんな夢があるが、この男の夢は超ド級。ホテルを備え、実際に航海できる実物大「宇宙戦艦ヤマト」を佐世保の造船所で建造するという夢を抱いている。佐世保弁で「なんば、夢んごたっことば言いよっとや」と言いたくなるとんでもない夢だ。

 ところが彼は少年みたいに瞳を輝かせ、あちらこちらでこの壮大な夢物語を何の照れもなく公言して回っている。「ホテルのスタッフもさ、ヤマトの乗員と同じ服を着て航海先に停泊してイベントを開いて、また佐世保に帰ってくるとさ」と言った具合に会う人会う人に熱く語りまくる.。
 
 その男とは、フィギュア、雑貨業&イベント仕掛人としても活躍している「ワイワイ貿易」の緒方氏だ(いつもワイワイ言っている人なので、拙者の中では“YY オガタ”と呼んでいる)。

 彼は一日中、佐世保をおもしろくすることばかり考えている。「映画」「マンガ」「音楽」が大好き。高校生の時コミケを開催した伝説も持つ。数年前に佐世保でもハリウッドスターに会える喜びを!と熱く語っていると思ったら、本当に俳優を呼んでサイン会を開いたてしまった。
 
 最近は「クローズ」のフィギュアを製作している会社とコラボで佐世保発のオリジナルのフィギュアもプロデュース。ワイワイオリジナル焼酎も作るし、音楽イベントも企画するなど「いったい何屋さん?」と首をかしげたくなる不思議なエネルギーを放つ男だ。

 ネットワークも広く、東京、大阪、福岡を飛び回りさまざまなジャンルの人々と会う。電話やネット上でなく生の人間とワイワイ語り合うのがオガタ流。ビジネス優先の現実的大人感覚では「……?」という価値観を「……!!」で実際に形にして見せてしまう男だけに、この「ヤマト発進計画」もただの笑い話に聞こえないのだ。%A4%E4%A4%DE%A4%C8JPG 
 
 全国の行政の裏金を持ち寄れば実現するかもしれないが、組織の夢は病んでいるし、庶民には金(税金)がない。金(税金)じゃないから本当に楽しいものを作れる「夢」を全国の市民が応援すれば壮大なプロジェクトは動き始めるかもしれないぞ。
 
 ところで、YYオガタは初夢も超弩級艦ヤマトホテルなんだろうか? カメラに向かってほくそ笑む夢男を、はい、パチリ! 来年も楽しい夢を見せてくださいな。         (師走)

2006年11月28日

「父の進化論」

sevenstars.jpg  おもちゃ屋さんに堂々と行ける。仮面ライダーやゴジラ、戦隊シリーズに少年時代のときめきが蘇る。今まで知らなかった、ぬいぐるみやリカちゃんの魅力も分かってくる。
 教育テレビの子供番組に詳しくなる。童謡、アニメ主題歌、みんなのうたを口ずさめるようになる。
 
 キャラクターショーで開演まぎわに駆け込んで子供を肩車。もっと早く来ればよかったとキャラクターショーデビューのときちょっと後悔する。
 しかし「ガンバレー!」とステージに大声を発する子供たちのエールを励みに最後まで肩車で頑張ったときの達成感はなかなかだ。慣れてくるとショー終了後の物販や記念写真、サイン会にも素早く移動することを学習。手際がよくなる。
 
 ムシキングはともかく、ラブ&ベリーのファッションアイテムの組み合わせに思わず「そいはなかやろ!」と背後から声を出してしまうようになれば、かなりの進化と言えよう。絵本や童話を何十年ぶりに読んで胸がキュンと熱くなることがある。
 休日、遊んでも遊んでも疲れを知らない子供に「まいったぜ、仕事の方が楽だぜ」と逃げ腰になるときもある。
 
 運動会ではビデオばっかり撮っているので、時々どの子が自分の子か見失う。保護者リレーの選手を頼まれて渋々出てみると入場門に陸上やってたようなスポーツマンタイプの父がいっぱい。びびる。
 クリスマスイブのサンタデビューは子供に気づかれないか……ミッション・インポッシブルみたいな緊張感だ。
 
 時が流れ、子供の宿題が解けなくなってくる頃、誰も一緒に風呂に入らなくなる。テレビのチャンネル権がいつの間にか子供中心になっている。
 子供の衣類のグレードが自分のものより上になっていく。やがて背丈も靴のサイズも抜かれる。
 
 ……ミルクや湯舟の温度を気にしながら接した記憶ももう遠い過去。紙おむつの付け方も覚えたよな〜、風呂の中でウンチされたこともあった。夜泣き、高熱、日晴れ、七五三、卒園、ランドセル……。
 
 エ〜イ!!  父よ! まだまだ進化しようぜ!  (霜月)

2006年10月17日

「ゴーヤーマン咲く」

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 夏にトロピカルに破裂して殉職した、あのゴーヤーマン(詳しくは06年8月バックナンバーを参照あれ)の第3回目のレポートです。

 M女史のアツアツなお世話により、この世に再び蘇ったゴーヤマンが、ほーら、こんなにキューティーな花を咲かせましたぞ。なんという生命力でしょうか。偉いゴーヤーは偉い。秋晴れの陽光の下、花びらくんが黄色い笑顔でニコリと笑っているのでございます。
 
 実に爽やかな笑顔。これから気候も、しだいに寒くなっていきますが、南国育ちのゴーヤーマンは果たしてどんな冬を迎えるのか? さあ、会場のみんな、お姉さんと一緒に大きな声で一度練習してみましよう! 「ゴーヤーマン!がんばれ〜!!」みんなもっと大きな声を出して応援して、さあもう一回!「ゴーヤーマン! がんばれ〜」                       (神無月)

2006年10月01日

「佐世保的エンタの神様」

 数年前からお笑い芸人のパロディで、自虐的な佐世保ギャグの文章化を試みております。ライフの新年号などで発表してきた過去ネタの一部をこの雑記帳にも記しておきますぜ!

●ヒロシ編(ヒロシ風に読んでね)
「佐世保は外国人が多いんだ、ってちょっと自慢げに話すとですが、実際に声をかけられたら固まってなんも言えんごとなって、ただニャニャ笑うしかできんとです。…サセシです。

「なんで市役所の駐車場は、あがん狭かとですか? 教習所の車庫入れより難しかとです。やっと停めたと思ったら、今度は隣の車のドアにぶつけんごと降りんばとです。まるでストレッチ体操のごと身ば縮めて、なぜか息まで止めて車から降りよっとです。…サセシです」

●ギター侍編(ギター侍みたいに歌いながら読んでね!)
♪〜都会にあるフランチャイズがやって来た やった〜 オープン初日に大行列並んだのよ って言うじゃない でも あんた 行列に並ぶのはオープンや、ただで何かもらえる時だけですから残念 佐世保人はすぐ並ぶけどすぐ飽きますから斬り ……拙者 タコちゃんプールでタコの頭を押さえて 係りの人に怒られたことありますから 切腹

●摩邪編(摩邪みたいに気合いを入れて読んでね!)
DSC_0067.JPG ひとーつ。「佐世保の人はね、飲みに行った帰りはシメに佐世保バーガー食べるんですよ!」って言うオヤジ! ハァ〜!? 佐世保バーガーでシメる? 飲みに行った人が皆ハンバーガーでシメてたら、バーガーショップは一晩中とんでもない行列になるぞ。ラーメンやうどんを食べて帰る人の方が圧倒的に多いんだよ! カンカンカンカン(ゴングはリズミカルに)   (神無月)

2006年09月28日

「ママがみつけた秋」

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 99VIEWでママの手紙を連載中のヤヨ様が首からきのこのアクセサリーを下げていた。

「おやおや、実りの秋らしい首飾りですな」

「はい、秋から冬は小物でおしゃれを楽しむのにもいい季節。胸元が寂しいときによさそうだな、と思いまして。わたくしの中では、ちょい可愛い雰囲気のアイテムですの」

「なるほど。菓子のきのこの山を大きくしてラスタカラーで彩色したようにも見えます。あたたかみがあって、かわいいですな」

「あらあら、ありがとうございます。この小物、駅前のブティックでみつけたんです。佐世保在住の女性が作った手づくり作品なんですって」

「メード・イン・サセボでございますか。よくできた小物ですねぇ。ぜひ写真を一枚撮らせていただけませんか」

「はい。はい。どうぞ」 パチリ。 (長月)

2006年09月25日

「稲場うあ〜ぁ」

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 波佐見町の秋の名物、鬼木棚田まつりに行って来ました。日本有数の棚田の名所である鬼木地区の秋祭りの目玉は生産者の皆さんの手作りユニークかかし展。日本の原風景が残るのどかなあぜ道に今年もアイディアいっぱいのかかしが並び、訪れた人々の目を楽しませました。
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 今回目立ったのはイナバウアー、ハンカチ王子、それに長州小力をはじめとする時の人たち。アタックチャンスの児玉さんも緑が映える秋の棚田で「その通り!」とポーズを決めていました。約70世帯しかない小さな棚田の町ですが、この日ばかりは観光地みたいなすごい賑わい(稲場うわ〜ぁって感じでした)。時おり道ばたで休憩しているお年寄りも一瞬「これも案山子?」と見間違えるほどでした。

 派手なアトラクションはなくても、かかし鑑賞だけでも十分楽しめるほのぼのイベント。これぞエコーツーリズムだと感心しました。田舎汁もギリギリでゲットできたし、鬼木みそも買って、夜は豚汁を楽しみました。旨かった。 (長月)

2006年09月09日

「生きていたゴーヤーマンの巻」

gooya02.JPG8月末に劇的かつトロピカルな最期を遂げた、あのゴーヤーマンが生きていた。拙者が放置していたあの真っ赤な種をM女史がていねいに洗い、土に戻していたのだ。  わずか10日あまりでご覧のように葉をつけた。なんという生命力。なんでもM女史はゴーヤーマン二世誕生計画を企て、自宅プランターでも栽培中だと言う。日に日に成長するベイビーたち。しかし季節は秋。これから寒くなるというのに大丈夫なのだろうか? M女史のことだからきっと温室でも作って二世を実らせるつもりだろう。成功を祈る。(長月)

2006年08月24日

「ゴ−ヤ−マン逝く」

「なんじゃこりゃ〜」ゴーヤーマンは野太い声を張り上げながら腹を押さえていた両手を広げ、掌に付着した大量の鮮血を睨みつけた……。か、どうか? 動画記録が残っていないので定かではない。

gouya.JPG  緑から黄緑〜黄色に変色を重ねたゴーヤーマンがある日、破裂してザクロのような赤い物体を吹き出した。一体何が起こったのか分からず、驚いて激写。よく観察してみると真っ赤な物体は種子である。なるほどゴーヤーマンはこのような劇的な最後を遂げ土に帰って行くのか。
 ゴーヤ-チャンプル、ゴーヤ-ソーメンを何度も肴に麦酒をいただき猛暑と戦ったこの夏の想い出がよぎる。「ゴーヤーマン、大変お世話になりました。ありがとう」大地の恵に感謝してしまった事件である。 (葉月)

2006年08月23日

「第一印象」

 人々は車に乗って日本列島を自在に移動しています。西九州自動車道を使ってこの街にも県外から日々いろんな人々が訪れます。
 先日、ハンドルを握っていてふと考えたことがあります。終点のみなとインターから望む海辺の風景こそ佐世保を始めて訪れる人に最もインパクトがある第一印象なんじゃないかなあ、ってことです。佐世保に入って最初に目に飛び込むのは九十九島ではなくグレーの軍艦が浮かぶ港です。
 高速道路が完成してもこのファーストインパクトはきっと変わらないでしょう。左手に軍艦、右手に競輪場を見下ろしながら人々は佐世保を通過して行くはずです。佐世保人には見慣れた当たり前の風景も、外からの目で見ると私たちが知らない佐世保らしさを強烈に放っていたりするんでしょうね〜。そうココはまぎれもない軍隊がいる街なのです。(葉月)
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