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2012年12月18日

「せんば」な年越し方言

今年も残すところわずか。街では忙しく車が行き交い。イルミネーションが点灯。字のごとく「師走」ムードが高まっていく。


年賀状を書きながら、クリスマスツリーを飾り、サンタさんのプレゼントを心待ちにしながら、ケーキやチキンをみんなで囲む。その数日後には大掃除を行い、おせちや注連飾りなどを準備しなければならない。そこに仕事納めなど行事も加わる日本人の年末、ははなはだしく忙しいのである。


そのご褒美が年越しそば、紅白歌合戦、カウントダウン、除夜の鐘、お年賀、お年玉。初詣の類い。一夜にして慌ただしさを浄化してしまうような勢いを放つリセット力も我ら日本人の偉大なる文化なのである。


そのような忙しさをよく表していると思うこの街の方言が「せんば」に代表される「〜ば」だ。動詞「する」を「すっ」となまり、「しない」を「せん」で表現。その「せん」の語尾に「ば」を付けると不思議や不思議。標準語の「〜しなくてはならない」の意味を持つのである。


この法則は、例えば「投げんば」「歌わんば」「踊らんば」などほとんどの動詞に適用できる点も面白い。


          【用例】

    「あっ!! ケーキば取りに行かんばやった

    「はよ、寝かせんば、サンタの来らさんぞ

    「自分が用意せんばって言うたたい

    「私は料理ばせんばっちゃけん、行ってきてさ

    「換気扇もきれいにしとかんばよ

    「そがん言うても、せんばことの多かっちゃけん

    「あっ!! 洗車もせんばやった

    「あいもせんば、こいもせんばって、やぐらしかぁ

    「今年はちゃんと勉強せんばぞ

    「今年も仲ようせんばね!


2012年10月03日

「アルカス映画祭なび」

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久しぶりにライフで醤(じゃん)キエロ氏(写真右下)と、わたくし(左上)らいふの まきたろうによるアルカス映画祭の対談シリーズ「アルカス映画祭なび」をやっています。


今回はいろんな分野からゲストも招いて映画談義を展開しております。


会期は10月19日(金)〜21日(日)の3日間。見事に「YOSAKOIさせぼ祭り」とかぶってますねぇ。

対談記事バックナンバーはアルカスHPでご覧になれます。こちらです→


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【まきたろうという名前について?】

突然ですが、ある人に私のペンネームが二つ存在する理由を尋ねられました。確かにややこしや、と思いまして初めて説明させていただきます。


ちなみにこのブログをはじめとするライター名が「らいふの まきたろう」。プライベートで何か創ったり表現するときが「けむりの まきたろう」と使い分けています。


けむりのは、昔「ケムラーズ」というロックバンドをやっていたときから使っている名前です。ちょっと煙たい、ROCKを志しておりました。余談ですいませんでした。                                 
                  by らいふの まきたろう

2012年08月13日

「煙野映画」

iMoveにはまって、自主映画撮ります。けむりの まきたろうが主宰する「煙野映画」と申します。アプリの可能性を試行錯誤しながらオリジナル性の高い短編を志します。第一回作品は『明日なき暴走〜暴中ハンター優〜』。謎の暴走中年を、暴中ハンターの女の子「優」が狩りする約4分〜5分のお話です。完成したらyoutubeで公開。市内のカフェやバーでも上映していただく予定です。「煙野映画」撮影隊に出会ったら、なにとぞ宜しくお願いします。

2012年05月28日

「本日、退院」

先日、大病を患い手術をした知人の醤(じゃん)キエロ氏を見舞った。

術後10日目のベッドでは、病衣でなく軽装姿の彼がタブレットでインターネットラジオを聴きながら漫画や雑誌を読んでいた。

口ひげを生やし、首にてぬぐい、足元は雪駄という彼流のくつろぎウエアが、点滴や流動食を終え、ようやく自由に動きまわることができる喜びを表現しているように見えた。

若い時となんら変わらぬ調子で、好きな映画や漫画、音楽について談義しながら、酒を交わしてきた仲だけに「手術入院」と言う言葉を聞いた時、不意打ちを食らったような気分だった。jan.jpg 

そんな彼が切開した腹部を見せようとTシャツを捲る。ヘソを中心に縦に割ったような痛々しい傷跡が露わになった。よく見てみると、以前のぽってり腹が凹んでいるのに気づいた。

「腹凹んだね?」
「手術で5日間断食したおかげです。内臓脂肪って何も食わなきゃすぐなくなるんですね。この体型を維持しなきゃ」
 
互いに不摂生や無茶が利かぬ年代にさしかかった今、毎日自転車を漕いでも落ちなかった脂肪が取れたことは驚きだ。

「これからは酒も食事も量より質で楽しまなきゃですね」と美食家らしい笑みを浮かべた。
そうか、量より質ね。人間は本来、年を積みながら身体や思考を省エネやエコモードにシフトしていく機能を備えているのかもしれない。これからの我らの余生を象徴するかのようなスリムな腹に思えた。

病気になった本人にしか分からない不安や苦悩。病院にいると彼と同じようにように大勢の人々が現実と向かい合い、それを受け入れ、乗り越えながら人生を力強く歩んでいることに改めて気づかされる。

病気を通して彼が開いた新境地は、これからの人生をより豊かにしていくことだろう。

手術という大仕事、本当にご苦労様でした。そして本日退院ですね。おめでとうございます。これからも互いに楽しくて、心地のよい時間を大切に刻みましょう!

2012年03月16日

「シャア専用」

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久留米の行列ができる人気ラーメン店で通された奥座敷に座ると、まず目に飛び込んだのはコレ。確かに部屋の内装も真っ赤で納得。ラーメンはうわさ通りウマ!名物の鉄板に入って出てくる豚骨焼きめしもホクホクサクサクの美味。さすが繁盛している人気店はスタッフも元気がよくて爽やか、接客態度も「いいね!」ボタンだった。

2010年09月15日

「ピアノにフィナンシェ・緑の和音♪」


全国津々浦々、いろんな菓子折がござんすが、グランドピアノ型パッケージという珍しい菓子を初めて拝見したでやんす。うんとこ、どっこい! 屋根(蓋)を開け突き上げ棒を装着。お〜っ、ドレスアップした、のだめちゃんが出てきそうなゴージャスな雰囲気じゃござんせんか。midori.JPG

当たり前ですが、フレーム内部には弦は張ってありません。その代わり、緑のお菓子がお行儀よく並んでおります。一口サイズが2片の透明小袋が6袋。一緒に添えられた栞に『緑の和音』と商品名が記され「こぼれてくる 緑の和音 渇いた心を 潤します」なるピアノの旋律のごときお上品なコピーが綴られているでがんす。

パッケージ側板には銀文字で「アルカスSASEBO」の文字。これは佐世保市の公共ホール名でありまして、来春でちょうど開館10周年。現在その記念行事真っ盛りということで、オリジナル性の高い記念商品を作ろうじゃありませんか!と考案されたフィナンシェ『緑の和音』なのででやんす。

見事な曲線を再現した紙パッケージに加え、中身のフィナンシェにも佐世保のこだわりが詰まっておりまして、材料に使われておりまするは名産品世知原茶。なんと、石臼で引いたお茶とおからを絡めてフィナンシェ特有の食感を出したという斬新かつ大胆な一品でごじゃりまする。

焼き菓子づくりのお約束といえるバター、アーモンドなど乳製品を一切使用しないというナチュラル&ヘルシーなお菓子に仕上げたのは、草加せんぺいの老舗として歴史を刻む「草加家」さん。お口の中に優しい佐世保風味が広がる、緑の和音なのでござんす。

但し限定品ということで10月18日(土)から21日(祝)まで同ホールで開催される『ミュージックフェスティバル』の会場のみでの販売。お値段は1300円で100個限定のプレミアム商品でやんす。アルカスさ〜ん、草加屋さ〜ん、これって結婚の引き菓子なんかにもウケそうじゃござんせんか?  (長月)

2009年04月21日

「血液の証明」


約半世紀におよぶわが人生。まったく血液型など気にせずに生きてきた。

ところが、昨今血液型ブーム。あの人A、やっぱりそうね。あの人B、なるほどね。あの人O、はいはいはい。あの人AB、ほらほらやっぱり。といった具合に、性格、習性、行動パターン、思考、胸の内など全て血液型でチェックされるシーンが増えた。

昔から血液型占い、血液型相性という類があるのを知っていたが、まったく興味を持ったことがない。ところが、『自分の説明書』なる本が大ベストセラーになるなどブームが広がり、小学生の娘までも「お父さんって、本当にA型?、あんまいAらしくなかね」などと突っ込んでくる始末。

「なにをぬかすか、わたしは正真正銘のA型だ。献血だってしたことあるんだぜ」
ところが家の外でも「O型ぽい」とか「Bやろ」「もしかして私と一緒でO型ですか」と、わたくしがAであることを否定する声を浴びることが増えた。

とどめは、この春、従兄弟連中が集まった法事の宴席だった。昔話に盛り上がっている最中、「○○ちゃんはO型やったよね」と問いかけ。「違う、僕はずっとA型だ」と答えると「うっそ〜」と声を揃えて驚いた。従兄弟たちにとってわたしがO型であった方が分かりやすいのか? 「どうして僕はいつもOやBって言われるんだ…」と愚痴をこぼしていると、側にいた父親が「人の血液型も途中で変わるかもしれん。もう一回検査ばしてみんばたい」とほくそ笑んだ。

う〜む、人の個性や生きざまは血液型で全て決まるわけじゃあるまいし。血液にそんなに縛られて暮らしたくないわ。と斜に構えてみるが、どうも気になる(この小心こそ素晴らしきAタイプではないのか)。どうして世間はこのわたしをAと認めたがらぬ。どうして。どうしてなの? 

そうこう思っていたらひじょうに他人との相性が気になってしかたなくなった。
「Oぽい」「Bぽい」と言われるAの俺は、一体何型の人と相性が合うのだろうか?
今まで気が合う、肌が合うと思ってつき合ってきた人々の血液型がものすごく気になってきた。血液型人間関係調査、題して『血液の証明』を決行することにした。

ところが、わたしは友だちが少ない。ときどき酒を酌み交わすなど気心知れた数少ない友たちに電話や電文で「君の血液は何型だったけ?」って改まって訪ねてみた。その行為自体が実に不自然で、恥ずかしかった。

しかし、この問題を解決しないとわたしは前に進めないのだ。勇気を出して聞くんだ、聞くんだジョー〜。勇気をふりしぼって調査した結果は以下の通りだった。

●ターボさん(O型) ●ハウリン伊達丸(AB型) ●醤キエロ(A型)
●イトウさん(AB型) ●ともぞう(O型) ●オガタさん(O型) ●ウラサキさん(AB型) ●ヤマガジョウさん(A型) ●千草ちゃん(O型) ●松健(A)……。

これがわたしの血液型人間関係か。何を意味するのか。とりあえずB型が一人もいなかった事実が分かった。だが、最初に書いた通り、相手の血液型を聞いてお付き合いしたことは一度もない。気が合う気が合わないは、血液型に関係ないと信じている。その人の人柄が一番の魅力だと思う。わたしはもうAでもBでもABでもOでもなんでもいいぜ。(卯月)

2009年03月13日

「青切符は曲げてよい」

麦酒買ったレジ袋、原付二輪にぶら下げて。湯豆腐、レバニラ、うれしいな。ぶぶんぶん〜と帰りまひょ。うぅ〜ぷぅ、の一口目、飽きることなぞござんせん。ぶぶんぶ〜んと帰りまひょ。湯豆腐、レバニラ、うれしいな。


ぶぶん〜ぶーん、ぶぶんぶ〜ん。まもなくお家じゃ、ぶぶ〜んぶ〜ん。うぅ〜ぷぅ、至福の一口目、飽きることなぞござんせん。


なれた四辻、左に折れて、ぶぶ〜ぶ〜ん。ぶぶ〜ん、ぶーん。突然ですが、背中の闇から人の声。「まべのほにゃむにゃ、トマトなさい」。聞きとりにくいが、拡声器から野太い男声。びくっとバックミラー覗いてみると、あらま、あらま、まんまみ〜あ。あらま、あらま、まんまみ〜あ。


後方車輌のヘッドライトすら映り込んでいなかった背中の闇が、突然ですが、火事場のような赤景色。一体何があったのか。くるりと首を左45回転。するとそこにパトラッシュ…。いやいや、ぼかぁ、ネロじゃありましぇ〜ん。もう一度44文字前に戻って(句読点ははぶく)実況やりなおし。テイクツー。


くるりと首を左45回転。するとそこにパトランプ…。夜の町、赤色くるくる、赤色くるくる、照明が入った舞台のよう。あらま、あらま、まんまみ〜あ。わたくし何かしたかしら。周りにほかの車輌は見当たらん。あらま、あらま、まんまみ〜あ。わたくし何をしたかしら。


最前わたしが耳にした「まべの、ほにゃむにゃ、トマトなさい」という音声は、もしや「前の、バイク、止まりなさい」ではなかったか。あらま、あらま、まんまみ〜あ。わたくし何をしたかしら。
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止まったパトカー、ドア開き、初老の警官満面笑。「こんばんは」、わたくしも兜をとって「こんばんは」。感動のご対面。「止まらっさんやったですね」。通訳「止まりませんでしたね」。「あそこは一時停止って知っとらすですよね」。通訳「あそこは一時停止だと知っていますよね」


なるほ、なるほ、なれた辻道、止まらぬわたくし。一時停止の反則おかす。


ここからは、皆様ご存じ、免許証を提示。VIP席に招かれ、後部シート独り占め。「減速はさしたとばってん、止まらっさんやったですもんね」「一時停止は、足をつくくらいに止まってください」。あらま、湯豆腐、ニラレバにうつつをぬかし、わたくしぼ〜っとしとったか。無意識運転。習慣運転。これも天運。天命。天罰。足裏大地につかぬまま、四辻を左折。闇から見られておった。


職場や電話番号、書類作成に必要な事項。室内灯に照らされて反則書類できていく。水色の交通反則告知書・免許証保管証、通称青切符即日発行。


反則日時、3月6日、午後10時3分頃、反則場所、佐世保市天神3丁目11番。反則事項・罰条、指定場所一時停止。原付車一種原。自家用。男。反則金相当額5,000円。2点減点なり。


「はい、できました。こっちの納付書は曲げんでくださいね、機械に通らんやったりすっですけんね」「はい、こっちは曲げてもよかですけん」と銀行員みたいに親切丁寧警察官。


定額給付金支給が決まったばかりの年度末。わたくし一時停止の反則おかす。
言われた通り交通反則告知書曲げて、納付書・領収証しゃきっ。 (弥生)

2009年02月12日

「陽のあたる場所で風邪」

一月のある夜、ハウリン伊達丸と「チャンゴ」で会って麦酒を飲んだ。その足で「炭火焼き鳥hazime」で食と酒。年始め二人で世間話をしながら、音楽イベント『ライフdeライブ』の出演者を練る。7年目。今年はどんな切り口で佐世保のミュージシャンを紹介しようか? 大事なのは毎回イベントテーマ。これが決まれば出演者が浮かぶ。

麦酒おかわり。思考。伊達丸は麦酒よりなんとかフィズを飲んでいる。店を出る。津々と冷えるアーケード歩く。思考。「アルジャーノ」に場を移す。カレーの香り漂う店内。オーナー夫妻のまかないか? 妙にアットホーム。湊町見下ろす硝子張り展望席に座る。わたくし麦酒。伊達丸またフィズ酒。思考。わたくし麦酒過飲で頻尿。トイレとテーブル行ったり来たり。
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家族。絆。次世代。主題になりえるキーワードちらほら。ちらほら。また麦酒。フィズおかわり。思考を促進する嗜好品二人共に切れ果て、煙途絶える。タスポ持たぬ我ら。寒気厳しく買いに出るのも億劫。オーナーが「こいで良かったら」と、今も変わらぬ和田誠デザインの銘品「もっと陽のあたる場所」を提供してくれた。高校生のときに観た映画『太陽を盗んだ男』の中で、ジュリーと文太が旨そうに吸っていたのに触発されファンになった煙草だ。拓郎のアルバム『今はまだ人生を語らず』のジャケットに写っていたパッケージもかっこよかったなぁ、と過ぎ去った青春を思い出しながら紫煙をくゆらせると思考冴え渡る。

「それではまたね」とオーナー夫婦に礼を告げ店出る。

こごゆる寒気の中、アーケード歩いて煙草売るコンビニ目指す。道中、ワイワイ貿易の緒形氏と遭遇。「なんしょっと?」「ライフdeライブの打ち合わせ」「だいの出るか決まったと?」「まださ」寒さに堪え立ち話。

翌日よりわたくし高熱で寝込む。麦酒飲んでもさつぱり効かぬ。やばい風邪ひいたぜ。家の者に湯たんぽと氷枕を用意させ、熱と冷却をもって悪寒と立ち向かった四十八時間。平熱取り戻し麦酒の味も戻った。

そんなこんなでライフdeライブの出演者がようやく決定。四組の演奏者が快く引き受けてくださった。みんなで今年もいいステージを創りましょう。開催日は四月二十五日、土曜日、夕方五時開演。アルカスSASEBOイベントホール。
 
ちなみに四月十九日、日曜日は佐世保市初のアースデーも開催される。またその前日、十八日、土曜日からシネマボックス太陽でスコセッシ監督『シャイン・ア・ライト』がようやく公開される。へへへ、映画も佐世保時間で流るんだぜ。どうだいキース、すごいだろう。 四月はお楽しみいっぱいだ。 (如月) 

2008年10月14日

「名優の笑顔」

ノーベル賞に湧いた先週、緒形拳さんの訃報が報じられた。昨年10月にこの「ざっき帳」にも記したように大好きな役者さんだった。「白野」佐世保公演で初めて生の舞台を拝見して、「男の心意気」を秘めたかっこよさを感じたと書いた。人生の最期まで役者を貫いた緒形さんに、やはり同じ心意気を感じた。

しかも、他界後に放送が始まったドラマ「風のガーデン」で、最期の演技まで見せてくれるという大きなプレゼント付というエンディングも緒形さんらしく思える。スクリーンや舞台ではなく、テレビを介して茶の間にいながら最新作を楽しめるのである。わたしが初めて緒形さんを知ったのは幼年期に見た「太閤記」の豊臣秀吉役。テレビで知った名優がテレビで幕を引く。偶然にせよ「白野」の主人公のような粋な生き様を感じてしまった。

作品を通してさまざまな刺激を与えてくれた緒形拳さん。ありがとうございました。ちょっと歯に噛んだような笑顔を忘れません。ご冥福をお祈りします。  (神無月)

2008年05月20日

「景色って誰のもの?」


kesiki0018.JPG大黒町から福石中学校校門方向を見下ろしながら坂道を下っていると、海と船が高速道路の上に浮かんで見えるアングルに出会う。ちょっぴりトリッキーで、なかなか佐世保ぽい風景だ。

ここは僕がかつて、登下校していた坂の多い通学路。競輪場は今も同じ位置だが、切り開かれた裏山には駐車場やみなとインターができ、さらに建設中の高速道路が駅方向へと延びた。

佐世保湾を見下ろす高台に暮らしていた人々が見る景観は、このようにここ10年ほどで大きく変わってきている。中でも駅周辺開発で商業施設やマンション、ホテルなどが次々と立ち並んだ三浦町界隈の変化は目覚ましい。

ところが、白南風や山祗、峰坂町など見晴らしのよかった山の手の住宅地では、新しい建物によって佐世保湾の眺めが遮られた家庭もある。長年ベランダや窓から見えていた海辺の景色が変わったのである。
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どこの街でも都市の景観条例などに基づいて開発が行われている。しかし、市民一人一人の窓辺の景色まで、国や行政がデザインしたり管理したりしている訳ではない。「花火の見えんごとなった…」と言う呟きは誰の耳にも届かないまま街はスピーディに変化を続けている。

景色とは、誰のものなんだろう? (皐月)

2008年02月26日

「月光にココロ拍子♪」

 
 LIFE de LIVE Vol.6のポスター、チラシにこの絵を使うことに決めました。

 この作品は西海パールシーリゾートで2月24日まで開催された『九十九島油絵・写真展〜もうひとつの九十九島』に展示されていた『月光』という作品です。
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 描いたのはパールシーリゾートの本田社長です。8年もの間、仕事場でもある九十九島を見つめコツコツと描いてきた大小の油絵約80点が並ぶ見応えのある作品展でした。

 絵筆で九十九島のいろんな表情をとらえた作品を鑑賞しながら、今年のライブテーマである“ココロ拍子♪”という言葉が浮かび上がりました。今回は出演者の長野友美さんが『九十九島』という楽曲を、そしてサンディトリップの九十九島イメージソング『風音(かざおと)』を演奏する予定です。

 ココロ拍子という言葉と九十九島をテーマにした2つの音楽が、この月光という油絵と結びつく思いがしました。

 そこで、社長に了解を得て使用させていただくことになりました。昨年は画家の松川さんにかっこいい“ROCK”という文字を描いてもらって、ポスターを制作しました。今年も絵描きさんとのコラボで音楽イベントを作れる楽しいスタートになりました。ポスター、チラシはチケット発売の3月1日に向け、急ピッチで制作中です。お楽しみに。 (如月)

2008年02月07日

「ケン&ツマ」


 前回、松千とのエピソードの中で刺身のケンとツマのことにふれた。

 ケンは大根や人参を細長く切ったもので、ツマは大葉やシソの葉のこと。冷蔵庫が普及していなかった時代に殺菌効果の高さもかわれた野菜たち。単なる見た目の美しさだけでなく、栄養バランスや生もの脂ぽっさを消すなどいろんな効果を持つ優れものだったのだ。

 豊かな味わいを高める知恵が詰まった大事な添え物だったが、今は飾りものとして定着。食後に大量のケンとツマが残ってしまうありさまだ。
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 ところが、スーパーで買った生ものに大葉とカイワレ大根の写真をプリントした粋なトレーが付いてきた。なんという優れものだ。これだったら、生産者が愛情を込めて育てた野菜くんたちをバンバン捨てなくて済むぞ。

 しかもこの手のトレーが普及していけば宴席を後にするときも、残ったケンの山を見て悲しい思いをしなくてよくなる。実に素晴らしい!(大根は白地のトレーでうまく表現できるだろうか?)

 弁当やお寿司の仕切りなどで使われるギザギザした緑のバランと同じようにプラスチックに進化したツマ&ケンの姿に、しばしうっとりしながら写真を撮った。

 でも待てよ……生産者は今のままの方がよくないか? 無駄になっても飾り物としての需要がある方が売り上げにつながるじゃないか。

 お〜っ!? 大量消費社会というのは、なんとも複雑だ……。 (如月) 
 

2008年01月09日

「佐世保の国道にイノシシ!」

 
 近ごろ、猪による農作物の被害が増え、山の手の住宅地などでもその姿が頻繁に目撃されている。九十九島の会の平尾会長と話をした時、金重島でも猪が餌をあさった痕跡を発見した、と語っていた。海を泳いで餌を探しに行く勇ましい猪まで出没しているということになる。
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 数年前に知人がバイク通勤中に猪に激突され転倒。腕を骨折するけがを負った。雑木林、山沿いの通学路にも度々猪が出没中。校内で「イノシシと出会っても目を合わせないこと」などと注意を促すプリントも配られている。

 温暖化など異変が深刻化する地球。人里に現れる猪は、わたしたちの身近な環境にも何か変化が起こっていることを知らせているように見える。森を破壊して生きる人間と山の神々たちの闘いを描いた映画「もののけ姫」の構図が甦る。「イノシシが出た!」と聞くと、森を必死で守り抜こうとした猪神、森繁久彌が声優を務めた乙事主の姿を思い出してしまう。
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 そんな中、1月8日(火)午前、佐世保市日宇町の国道沿い空き地に二頭の猪が出現。車が行き交う町中で佐世保警察署の署員に加え市亜熱帯動植物園職員も応援にかけつけて、捕獲作戦が展開した。麻酔針を使った吹き矢なども試みたが、うまく行かず、金網などを囲みじわじわと追い込み一頭を捕獲成功。しかし、もう一頭は網を突き破って、国道を横断して反対側、白岳町の住宅地に逃走した。

 新年そうそう、昨年の干支による町中の捕獲劇。自然界で何が起こっているのだろう? (睦月)


2008年01月08日

「元朝の所存」

 
 最後にこの帳面を更新した夜、事件が起きた。

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 人々を襲った恐怖と衝撃に「戦争」の持つ非情さと不条理を感じた。

 後に残ったのは不快でやり場のない虚無感だった。この帳面に町のことを書き記すことも気が進まなくなった。

 そして年が明けた。

 パソコンの電源を入れ、カーテンを開けた。

 軍艦を見下ろす丘から眺める元旦の風景。中腹に点々と佇む民家の瓦が、かすかな雪を積んでいた。

 郵便局のバイクの音が階下に響く。

 玄関鉄扉に備えられた新聞受けから白いビニールに収められた分厚い朝刊を引き抜いた。

 自室に新聞を広げて、煙草に火を着け、ラジカセにCDをセットする。

 普天間移設 沖合移動。穀物備蓄引き上げ検討。次期衆議院選770人超出馬予定。社説「多極化世界への変動に備えよ」。「この国をどうする〜クオリアとは〜」。主人公で生きろ。(創刊50周年へ向けて少年マガジン) 衆議院予想立候補者一覧。原監督3年目の決意。王監督14年目集大成。岡田ジャパン再始動。コースター急停止13人けが……。

 富田勲の「新日本紀行」を聴きながら、朝刊をいつもより丁寧に読んだ。

 子どもの頃テレビの中から流れていた同番組のオープニングテーマは、今も不思議な郷愁へと誘ってくれる。ふだん意識していない日本人のDNAを呼び覚ますような旋律が心地よく身体に染み込んでいく感覚だ。

 新聞を折り、白いビニール袋に戻して起き上がる。「俺は日本人」「あい・あむ・じゃぱにーず」という意識が昂ぶった。澄んだ冬景色の中に、いつもより少しだけ凛としている己の精神を感じた。

 真冬の海にぽつんと浮かぶグレーの軍艦。わたしの約半生がそうであったように、これからの時代を生きる子どもたちにも「戦争」はいらない。

 再び帳面に町の様子と我が心模様を書き記そう。それが元朝の所存だった。 (睦月)

2007年12月14日

「トシコシ ソバ〜ヤ♪」

 今年個人的に楽しかったこと、嬉しかったこと? 
 
 何があったかな? 
 
 佐世保で『69』を撮った李監督の『フラガール』がキネマ旬報ベストワンに選ばれ、日本アカデミー賞最優秀作品賞を取った。
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 釜山旅行。ロッテホテル横の「6番」っていう屋台に2晩通ったら、おばちやんがムール貝のスープを振る舞ってくれた。キムチ最高。愉快なおばちゃんだった。


 初めて自分でカーナビ付の自動車を運転した。目的地にぴったり到着する喜びを知った。

 夏、稲佐山スカジャン初体験。気持ちE〜。
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 炎天下の中、息子と娘と蓑傘をかぶって吉野ヶ里歴史公園を探索した。

 ロックバンド「ザ・ロウツ」からさつま焼酎「黒伊佐錦」の一升瓶を頂いた。

 娘がブラックモンブランで1000円当たった。

「100年目のキリンビールを、90年目のささいずみで」という店内張り紙。ラガービールが一段と旨かった。


 地球物理学者、竹内均さんの『宇宙も終わる』を久しぶりに再読した。
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とても旨い東浜産の干しあごに出会って病みつきになった。

 北島三郎が歌った『ジャンゴ』の主題歌にしびれた。

 大宮市場で西海町のおいしいミカンとかぶ漬けに出会った。

 エレカシの歌声が久しぶりにテレビから流れた。ウコンの力だぜ!
 
 スクーターのヘルメットを新調してもらった。 
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 ガリレオの福山VS久米 最終回。
 
 おぉぉぉぉぉぉぉ〜ととと。僕の1年の楽しさって、こんなもんすっかぁ〜。もっとあったんじゃない? 思い出せないよぉ〜。

 でもいいんだ。年末に今年一番楽しみにしていることがあるもん。

 12月19日に発売されるタモリの復刻版CD。僕にとってレッドツェッペリンのレコードを初めて聴いたときと変わらぬ衝撃を与えてくれた名盤、タモリのファーストアルバム、セカンド、サードがなんと紙ジャケで同時発売されるんだ。

 タモリの芸は、高校一年生だった僕に想像を超えた笑いやパロディ、エンターテイメントの面白さを教えてくれた。青春時代、周囲の価値観や常識をぶっ飛ばしてくれた心の支えだったなぁ。
 
 僕にとって、筒井康隆の初期ハードカバーが復刻するのと似たようなものすごいイベント。いや30年目の奇跡、いや30年目のビッグなクリスマスプレゼントなのである。
 
 わ〜い、わ〜い、嬉しいなぁ。今はもう滅多に見聞きできない若き日のタモリの芸が甦るんだぞおう。1人でケラケラ、ニヤニヤ、新年に向けてカウントダウンだ。

 ソバヤソバァヤ♪ ソバヤソバァ〜ヤ♪ トシコシ、ソバァ〜ヤ♪  (師走)


2007年12月13日

「ライフさせぼとは?」

 
 ライフさせぼとは、長崎県佐世保市市内の情報を紹介しているローカルタウン情報紙です。タブロイド判2色刷りで無料で読むことができ、毎週金曜日発行のウィークリー紙です。

 近年都市圏を中心に大量のフリーペーパーが溢れかえる光景が日常化しました。ネット時代ながら、チラシ広告に代わる紙媒体の戦国時代にも見えます。
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 ライフさせぼは、ミニコミ誌やフリーペーパーという言葉も一般化していなかった昭和52年(1977)に産声を上げました。創刊者がテレビCMのように無料で家庭に届く広告媒体を作ろうと考えスタートさせたのです。

 配布は各家庭への宅配と自由に取っていただく置き配。紙面には商業広告に加え、街の歴史や人物取材、週末を中心としたイベントやショッピング情報、読者の情報交換コーナーなどを盛り込み、地方生活や文化に焦点をおくことにこだわった編集を続けました。
 
 その結果、一般紙の地方面やテレビのローカルニュースにも取り上げられなかった地域性の高い話題やニュース、生活により身近な情報が生まれてくるようになり“街のかわら版”的な存在として親しまれるようになったのです。

 平成元年(1989)“九十九島の景色がある街”をコンセプトに佐世保から見た市外にも視点を広げたカラーB5判の月刊情報誌「99VIEW(ナインティナインビュー)」も創刊。地方の歴史や文化をさらに掘り下げた特集や、オピニオンリーダー的な人物を積極的に取材。中央集中の経済と文化だけでは育めない、地方独自の価値観やライフスタイル、まちづくりなどを発信する新媒体として受け入れられるようになって行きました。

 そして、昨年(2006)に年2回の季刊誌「WeWe(ウィウィ)」が新たにデビュー。この媒体は地方にマッチしたブライダル情報を軸に、佐世保での出会いや結婚生活、幸せを読者と共に考えるローカルカップルマガジンを目指し走り出しました。まだ初々しい次世代向けのフレッシュな雑誌です。

 以上が、15年間紙面づくりに関わらせてもらっている僕が知るライフさせぼの歴史です。どうして今更「歩み」を書き記したかと言うと、ライフの誕生日が12月16日(日)にやって来るからです。ちょうどこの日で30歳を迎えます。

 
思えば、僕が初めてこの情報紙に出会ったのはライフがまだ3、4歳だった80年代初頭。場所は東京都武蔵野市のアパートでした。佐世保から上京したミュージシャンの引っ越しを手伝ったおりに、彼が「こい知っとる? 佐世保におもしろか新聞のあるっちゃん」と差し出したんです。赤いロゴがとても印象的でした。特集記事は「佐世保弁番付表」。東京での旧友再会の席で、お国言葉に盛り上がったのを覚えています。

 まさか、そんな自分が将来、「佐世保弁辞典」や「ドクター佐世保弁」の記事を書いているなど想像もしませんでした。不思議な縁も感じ、創刊30周年の記念日にちなみ、個人的にその歴史を振り返ってみました。 (師走)

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※最後にこぼれ話を一つ書き添えます。地元でよく読まれているタウン紙ですが「ライフ佐世保」と漢字で覚えている人や「ライフ新聞」と口ずさむお年寄りもいます。ところが「させぼ」がなくても「ライフ」で幅広い世代の皆さんに通じる新聞です。ちなみに月刊誌は年配の皆さんに「キューキュー」や「きゅうじゅうきゅう」のニックネームでも可愛がられています。

※最新号12月14日(金)発行のNO.1447は読者のみなさんの想い出などで綴る創刊30周年記念号です。ぜひご覧下さい。

2007年11月30日

「佐世保のクリスマス」

 佐世保では年末になると島瀬公園をメイン会場に「きらきらフェスティバル」、ハウステンボスでは「光の街」というイルミネーションイベントが開催される。

 それらと連動して、数年前から佐世保重工業株式会社(SSK)では、クレーンい電飾をほどこしクリスマスムードを演出している。
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 SSKは、佐世保を代表する造船産業を築いてきた会社だ。明治、大正、昭和の海軍時代に海軍工廠(こうしょう)だった施設を使って敗戦後に会社を設立。船艦武蔵の修理などを目的に建造された全長343mの第4ドッグなど、敷地内にはその歴史を物語る建物など近代遺産が今も点々と残っている。

 佐世保らしい景観でもあるドッグとクレーン群の中、毎夜、灯りを発しているのは大正2年に英国人技師によって建造されたイギリス製250トンクレーン。高さは42m、ブーム部分は82m。125トンの吊り上げ機が2機装備されているので、通称250トンクレーンと呼ばれている。

 同社で最も古いクレーンで94年間経った今も現役。船のクランク軸やガスタンクの積み込みなどで現在も大活躍中だ。国内でも珍しくなったこのクレーンは、SSKのシンボルと言える。

 風当たりの強い地上42mの場所にタール塗装した枠を備え、レタリングを活用し、金網で「SSK」の文字も製作。60ワットの赤色灯251個、白色灯251個、計538灯を一つ一つ丁寧に差し込み部分を固定し、球が風に揺れて割れないように工夫されている。


 山の手から佐世保港を見下ろす夜景に美しく映えるクレーン型の電飾。海軍から造船と3つの時代を静かに見守り続けてきた長老クレーンの輝きは、最も佐世保らしいクリスマスイルミネーションかもしれない。  (霜月)

2007年11月19日

「アジサカコウジの踊りに行くぜ!!」

 今年もアルカスSASEBOでコンテンポラリーダンスイベント「踊りにいくぜ!!」が開催された。今回のポスター、チラシを描いたのは、任天堂DSのゲームソフト『大人力検定』のイラストも手がけるなど幅広い活躍を見せている佐世保出身のイラストレーター、アジサカコウジ氏だった。
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 アジサカ氏は、パソコン出力画と絵筆によるアクリル画による人物画を数多く描き、国内外で個展を開いている。じっとこちらを見つめる無機質な表情やスタイリッシュな曲線美……自由な楽しみ方を秘めたポップでかつシュールなタッチで人気の高い作家だ。僕にとって彼の絵は一度見たら忘れられない「気になる絵」というのが、第一印象だった。

 例えばウルトラホーク、マジンガーZの造形美と同じく直感的の“かっこよさ”を構図の中に感じた。かつ西洋美と日本テイストの折衷的な香りもした。明るさを落としたアクリル世界には、個人的に小学校の時に夢中になったポプラ社発行のジュニア向け「江戸川乱歩シーリーズ」の表紙画に通じる昭和の郷愁も感じてしまった。

 作者の意図は定かでない、僕の勝手な印象だ。そんなアジサカ氏に一度「九十九島音楽祭」の中で僕がプロデューサーを担当した『MUSIC ISLAND99♪』のポスターを描いてもらったことがある。僕は「九十九島でアコースティックギターを弾いている女性を描いて欲しい」と発注した。その時、感じたことは、どこに貼っても浮き上がり過ぎず、しかも空間に埋没してしまわないオシャレな存在感だった。広報用のポスターなのに、ファッションの一つでもあるかのように街の中にスーッと溶け込んで行った。そこに時代を表現するポップセンスを感じた。

 そのアジサカ氏がアクリルでダンスの世界を描いたのが今回の作品だ。「気になる絵」に謎解きは不必要なのだろうけれども、長崎のアトリエにいる氏に久しぶりに電話をかけて、どんな思いで描いたのか聞いてみた。ajiakajp2.JPG

 氏もアート的な肉体表現であるコンテンポラリーダンスに好感を持っているようで、ダンサーが表現できないダンスを絵の世界に投影してみたかったと語ってくれた。誰もが想像する躍動感を抑えて、あえて静止している切り絵のような動作を描くことで、コンテンポラリーダンスの本質を表現しようと考えたそうだ。

 アジサカコウジ氏が絵筆で踊ったコンテンポラリーダンス『踊りに行くぜ!!』。個展では原画も展示されたそうだ。イラストのほか絵付きエッセイやシネマンガなどホームページでもクールでコケティッシュなアジサカコウジの世界が堪能できる。僕はシネマンガの『ガズパソロボ』『郷愁』が大好きだ。新作を楽しみにしているのだが、仕事が忙しそうでまだ拝見できない。

 余談だが、電話の雑談の中で美食家のアジサカ氏は福石観音入口の、さぬきうどん店「池田屋」を大絶賛。天神町にある隠れた名所居酒屋「たけや」にも一度行ってみたいと、興味をしめしていた。アーティストは「食」にもどん欲なのである。(霜月)
 


2007年10月26日

「佐世保に緒形拳」

 今週火曜日にアルカスSASEBOで緒形拳のひとり舞台「白野」を観劇しました。僕が緒形拳さんの顔を初めて見たのは幼児の時に放送されていたNHK大河ドラマ「太閤記」の秀吉役だったと思います。

 その後、中学校から高校でよく邦画を観るようになって、スクリーンでたびたびその姿を拝見するようになりました。「砂の器」「鬼畜」「八甲田山」……やはり高校生の時に観た「復讐するは我にあり」の犯人役の印象が最も鮮烈で、緒形拳という名前を覚えるきっかけになった作品でした。

 その後も「家宅の人」など、いろんな作品を観てきました。実にさまざまな役柄を演じておられますが、主役でも脇役でも氏の姿がスクリーンに写し出されるだけで、次第に不思議な安心感を覚えるようになって行きました。

 善人を演じても悪人を演じて忍者や刑事を演じても、その役柄より緒形拳という1人の人間を観ている安堵感を先に感じるようになったのです。僕の勝手な思い込みですが、どこかひょうひょうとしていて、茶目っ気があり、鋭くて怖い……その人間くささがかっこいいんです。もちろん映像を通じて勝手に抱いたイメージですが、ロックンローラーみたいな「粋」な、かっこよさを長年感じながら見てきた役者さんの1人です。
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 そんな緒形さんの生の舞台を佐世保で観ることができる絶好の機会が到来。新国劇のことや原作「シラノ・ド・ベルジュラック」も不勉強ながら足をはこびました。
 
 暗めの背景に、真っ白な布が垂れ下がり、緒形さん直筆と思われる「月」とい書文字が描かれただけのシンプルな舞台。チェロの生演奏とわずかな効果音だけ、凛とした空気が張り詰める中、侍姿の主人公が登場。衣裳もメイクも替えずに1人でヒロインまで5役も演じるたったひとりの人物。その動作と台詞に、物語の中にぐいぐい引き込まれていきました。
 
 落語の話術も思わせる言葉の妙、「月」と描かれた垂れ幕が、月夜に見えてくる視覚効果、空間や間……古典芸能も思わせる日本的な「美」や「風情」といった世界観も持った作品だと思いました。

 年齢を積み、無駄な力を削り落としたようなスタイリッシュな芝居に、緒形さんご自身の人生もダブって見たような気がします。古稀を迎えたとは思えない役者の放つオーラは、僕にとって今も間違いなく「かっこいい」ままでした。それは、例えば60歳過ぎても、ひょうひょうとギターをかき鳴らしているキースリチャードの
ような、「男の心意気」を秘めた、かっこよさなのです。

 公演終了後に、緒形さんのブログを拝見してみると、佐世保滞在中に撮影された
夜景やイワシ、海軍さんのビーフシチューなどの写真がアップされていました。この街を訪れた白野弁十郎が残した置き土産みたいで、笑みがこぼれる、嬉しい写真でした。    (神無月)

2007年10月15日

「ライブ・映画・芝居」

 12日(金)夜、ガァネトにてオトヒトツ、ハウリングセッタのライブ観る。

 13日(土)夕、アルカスSASEBOにてアジア映画祭「玲玲の電影日記」観賞。
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 14日(日)朝、アジア映画祭「恋しくて」観賞。うどん食って、劇団「楽園天国」公演「ケモノミチ」会場へ。ターボさんとハウリン伊達丸も来場。一緒に観劇。夕、伊達丸とアジア映画祭「トンマッコルヘようこそ」観賞。駅前で伊達丸と喫茶。「恋しくて」「トンマッコルヘようこそ」、音楽について談義し過ぎて「パッチギ!LOVE&PEACE」の上映に間に合わず。映画祭担当者のイトさんに挨拶して帰宅。煮干し、麦酒。

「恋しくて」優良。地方生活の息吹輝く。我らの足故郷の地にしっかりと!
「トンマッコルヘようこそ」韓国高水準。やや「もものけ」場面有り。日本映画負けるなよ。
「ケモノミチ」演技良。恋愛、都市伝説の絡みやや不安定か?
「オトヒトツ」歌良。佐世保の新たなる香りになるか?
「玲玲の電影日記」映像良。切ない。
「ハウリングセッタ」もっとゆけ。多勢の通らぬ道を突き進め。  (神無月)

2007年10月11日

「佐世保のアジア映画祭」

 
 ライフさせぼ連載の「亜細亜的電影談07」も本日発行号で終了した。いよいよ12日(金)より「アジア映画祭Vol.7」が開幕。電影談のパートナー、醤(じゃん)キエロ氏はアルカスSASEBOイベントホールの灯光室で3日間、全6作品、計9回上映の映写技師も担当する。プルグラムを組み、作品について熱く語り、当日は自ら映写……。彼自身がまさに「醤醤の電影日記」といえる映画祭でもある。

 そんなキエロ氏の言葉を電影談対談記事の中から抜粋して紹介しておこう。
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■トンマッコルへようこそ■ (9/14号)
「ファンタジーですが、その中に日本人の原風景と言える“村”のあたたかみが実によく出ています。雑誌ブルータスなどで、よく田舎暮らしの特集を組むでしょう。都会に暮らす人は、この映画のような安らぎやあたたかさに飢えて居るからだと思います」

■パッチギ!LOVE&PEACE■ (9/21号)
「井筒監督はライフワークとして、どうしてもこの作品を撮らなくてはいけなかったんでしょうね。監督自らまさに頭突きしまっくて、タブーと闘っている感じで、いろんな意味で日本人にとって“痛い”映画だと思います」

■女帝〜エンペラー■ (9/28号)
「はい。最近輸入食品はやばいが、映画は安心して輸入していいと思います。韓流ブームの影でちょっと静かな感じがしていましたが、確実にクオリティの高い作品を世に送り出しています」

■玲玲の電影日記■ (9/28号)
「この手の映画に、あらすじは禁物。泣きたい方はぜひご来場くださいとしか言えません」

■時をかける少女■ (10/5日号)
「クオリティの高いジャパニーズアニメなので、もう一度スクリーンで観ておくべきです」

■恋しくて■ (10/12号)
「基地の街という共通点があるからか、音楽のバックボーンが非常に佐世保に似ているんです。佐世保って人口の割にバンドやストリートミュージシャンが多いじゃないですか。ジャズの歴史もあるし、ダンスにしても都市圏でしか体験できないアフリカンやサルサ、ベリーなどをいち早く取り入れるひとがいる」


※アルカス・アジア映画祭は10月12日(金)〜14日(日)まで3日間開催。
当日券は1作品観賞券1,200円 3作品観賞券2,200円

 13日(土)午後7時からの「恋しくて」は、上映終了後に中江裕司監督と出演者の平良とみさんのアフタートークもセットで楽しめる。沖縄のおばぁが何を話して聞かせてくれるかも超お楽しみだ。 (神無月)

   

2007年10月09日

「古武術に感じたこと」


 椅子から立ち上がるとき「どっこしょ!」と無意識に声を出す。なぜだろう?
その理由が昨日少し分かった。どうも部分的に力を集中し過ぎて無理して立ち上がろうとしているようだ。「起き上がる」「座る」「坂道を上る」「荷物を持つ」「身をかわす」……わたしたちの日常の動作には、本来疲れにくく効率性のよい身体能力が備わっていたそうだ。にもかかわらず、現代人は機械化などで体を動かすことが下手になり、優れた能力を失ってしまっているという。

 そういう優れた身体感覚を取り戻そうと研究、提唱を続けている古武術研究家の甲野善紀さんが、佐世保市武道館を訪れ、市民に講習会を開いた。音楽イベント情報サイト「させぼらへん」を運営している平田雄志さんが世話人となって、佐世保に招き今回で10回目の講習会だ。サッカーやバスケット、柔道などスポーツに親しむ人、介護関係の仕事に携わる人、会社員、主婦など受講生の顔ぶれは実にさまざまだ。
kobujixyuJPG.JPG 古武術を探求しながら、かつての日本人の優れた体の使い方を研究して生み出した独自の技法と論理は、各界から注目されるようになる。桑田投手をはじめ、数多くのスポーツ選手、演奏家、舞踏家など幅広いジャンルでその身体技法をヒントとして活用する人が増えた。近年は、介護や医療現場、人間工学、経営の分野からも相談が増え、NHK教育テレビ『暮らしのなかの古武術活用法』などメデイアを通して、一般市民にも広く知られるようになった人物だ。

 この日の講習会では、椅子に座った人を立たせる、ベッドから落ちた人を戻す、腕の力を使わず引っ張り上げる、倒れたときにケガをしない受け身など、いろんな技法を紹介。受講者から「お〜う」と驚きの声が耐えなかった。見学しながら、全体的にいかに余分な力を分散させ全身運動に変えるかという技法といった印象を受けた。

 平田さんの計らいにより、休憩時間に甲野さんと少しだけ話をすることができた。「科学にも限界があることを感じて欲しい。科学は一つの方法にすぎません。人間の複雑な動作もあまりに科学的に考えることで逆に体を悪くしているケースもたくさんあります」写真やテレビで拝見する道着姿に、つい武術家、武闘家というイメージを持ってしまうが、甲野さんは闘いや護身のための武術を伝授している師範ではないのだ。スポーツ選手にも負けない自然にマッチした基本動作を講習や多数の著書で伝えている研究家なのである。「時代が複雑になればなるほど、すべてマニュアル化されていくことに危機を感じます。自分の頭で考えることを忘れてはいけない」という言葉が心に残った。

 組織や企業を一つの身体と考えると、全身のバランスが崩れているような出来事が多い。トップだけが力んでも平社員だけが力んでも一部に負荷がかかるだけで、優れた身体能力は発揮できないのかもしれない。甲野さんが目指す古武術とは「武術」ではなく人生を豊かにする「学問」なのかもしれない。(神無月)


2007年10月07日

「合同還暦式」

7107.JPG 平成19年10月7日(日)、ここ佐世保市で「成人式」ならぬ「佐世保市合同還暦式」という初めて耳にする式典が開かれた。還暦と言えば、60年で再び生まれた年の干支に還るお祝いの年。赤いチョッキなどを羽織って、家族や親類縁者で「おめでとう!」と60年間の労をねぎらうのが常である。が、なんとアルカスSASEBOの大ホールに一堂に会し合同でセレモニーを開催するというユニークな企画だ。

 これは行政が仕かけたイベントではなく、昭和22年生まれの人々が、1年前から「昭和38年卒業佐世保市内中学校連合同期会」といチームを結成して準備を進めてきた市民による手作り大同窓会である。会場には「セカンド・ステージ・キックオフ」とバックプリントした赤いTシャツを着た約100名の実行委員会メンバーたちがスタンバイ。卒業校別に受付を行いホールに1000名を越す60歳が県内外から集まった。
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式典では花園中学校卒業生の女優・白川和子さんをはじめ3名の同期仲間が講演。佐世保市の60年を映像で振り返る「60年の歩み」の上映、アトラクションなどで構成。この趣旨に賛同した歌手の、さだまさしさんからビデオメールも映し出されるサプライズ企画もあり、さださんの「還暦を機会に何かを起こそうという気持ちに感激しました。長崎、佐世保から始まるのが嬉しい。60になったら還暦式に出るぞ!この一歩は実に尊いものだと思います」という応援メッセージに熱い拍手が湧き起こった。

 昭和22年に佐世保に生まれた人は約7200人。いわゆる団塊の世代の人だから僕らと比べ同級生の数が圧倒的に多い。集団就職、受験戦争、学園紛争、いざなぎ景気、バブル崩壊など戦後の日本社会を群れで走ってきた世代だ。そんな彼らが定年の年を迎えた。が、今の60歳はまだまだ若い。還暦を機に「これまでの人生をどうまとめ、残りの人生をどう生きるか」をそれぞれ考え、次の世代に何か残そうという強いメッセージを秘めたセレモニーに仕上がっていた。tsiyatu3.JPG

 社会から受け身で開いてもらう成人式から40年を経た今、人生を積んできた人々が自発的に開いたを還暦式。タイトル通り、群れでセカンド・ステージにキックオフを放った。人生において成人式よりも意味が深く感じた。60歳からの人生ステップイベントとして各地に飛び火するか? 60歳になっっても何かやろうとする、団塊おやじ、おばちゃんパワーはまだまだあなどれないのである。  (神無月)

2007年09月27日

「鬼木棚田まつり」

onikiii0056.JPG   おばさん、鎌を持って稲刈りに精を出す。これ日本の原風景。今どき機械も使わずがんばりますね〜。おばさんの傍らでは、あらあら、佐世保を代表する有名人、ジャパネットの社長じゃありませんか! おっ!! 宮崎県知事も視察でありますか。
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「そんなの関係ねぇ〜」小島よしおに、たむけんも道行く人々にネタ披露。あ〜、おじさんダメダメ!! そんな所で立ちションしたら! みんな見てますから。おっ!? タカ&トシ! 立ちションおやじで何か一ネタお願いしますよ。「……案山子か!!」
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onikiiijpg.JPG 今年も秋の風物、波佐見町の「鬼木棚田まつり」を楽しんできました。日本の棚田100選に選ばれた美しいローケーション。田んぼには収穫間近な稲穂が映え、とっても爽やか。恒例となった地域の皆さんが知恵と腕を振るったユニークかかしが約120体も展示され、来場者の笑いを誘った。人気投票では、おばあさんが一息している姿を描いた「ロー婆の休日」が1位に選ばれた。
oniki5PG.JPG おまつり広場では今年も大鍋で作った田舎汁が来場者に振る舞われた。かぼちゃ、里いも、にんじん、しいたけなど山の幸いっぱい。鬼木味噌との相性も抜群。美味しかった。鬼木地区の皆さん、ごちそうさまででした。 (長月)
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※1999年農林水産省が選出した「日本の棚田100選」の一つ。長崎県波佐見町「鬼木の棚田」。2000年より日本の農家の原風景を残す名勝地として広く知ってもらおうと町ぐるみで「鬼木棚田まつり」を開催。県外から足を運ぶ人も増え、今年は過去裂いたの約5000人が訪れた。

2007年09月26日

「日本の青空」

 
試写会で日本国憲法誕生までの真相を描いた映画「日本の青空」を観た。昨今の憲法改正ムードに対抗するために作られたプロパガンダ色の強い作品だという先入観があったのだが、あまりよく知らなかった新憲法制定までの経緯が分かりやすく描いてあって、ひとつのヒューマンドラマとしても楽しめる作品だった。

 中でも史実に基づいた日本政府とGHQの憲法草案作りの頭脳戦はなかなかスリリング。1942年(S21)2月13日、戦前の憲法とほとんど変わっていない日本政府の改正案を国連総司令部が拒否。逆にGHQが作成した“マッカーサー草案”を日本政府に提示してからの憲法草案作りを巡る双方の駆け引き、タイプによる英訳作業、徹夜で続けられた確定案作りのシーンは緊迫感がみなぎっていて見応えがあった。

 この映画を観るまで、日本の憲法はGHQが統治しやすいような内容を作って押しつけたものだという印象を持っていた。ところが“マッカーサー草案”は日本人民間人による「憲法研究会」が作った草案がお手本になっていたという、歴史的にあまり語られてこなかった真相がこの映画の核となっている。

 その立役者が元ジャニーズユニット「男闘呼組」の高橋和也が演じる(渋い役者さんになったなぁ〜)憲法学者、鈴木安蔵。京都帝国大学時代に左翼運動で治安維持法違反第一号となった人物らしいが、学校の授業でも教わった記憶がない名前だ。映画前半、日本が軍国主義に染まってて行くイヤ〜なムードをいち早く察知し抵抗した青年のようだが、刑務所に入れられてしまう。nihonra.jpg 

 敗戦後まもなく、さまざまな国の憲法を研究した鈴木安蔵を中心に知識人たちが集まり、「憲法研究会」を設立。戦争で多くを失い傷ついた一般市民の視点で真の民主国家を築こうと、夢と希望を託した新憲法草案を作成する。その草案の出来映えにGHQも驚き、お手本にしたという物語だ。

 その憲法が21世紀の今にマッチしているかどうかはさておいて、憲法の草案に盛り込まれた女性の参政権など、ごく当たり前と思っていた制度がまだわずか60年そこそこの歴史しかない事実に改めて気づかされた。

 安蔵の妻(藤谷美紀)が「女性が政治に参加できるようになれば戦争はなくなります」といた意味の台詞を言う。政治や軍隊はいつの世も民の気持ちと関係ない所で恐ろしい方向へ向かっていく現実をいやと言うほど経験した戦争体験者にしか出てこない言葉だった思う。

 平和が当たり前の世の中。苦しみ耐えた日本人の魂が宿った憲法に守られている現実は忘れ去られてゆく。日本国憲法が施行されてまだわずか60年。人の平均寿命にも達していない。 まだ還暦を迎えたばかり、福田新総理より若いのだ。せめて100歳まで長生きさせてから日本人にフィットした憲法かどうかを議論しても遅くないのではないだろうか。
 
「自分たちさえよければいい」という人間の欲だけ見れば、地球温暖化も戦争と同じだと思う。水と空気に向かって汚染兵器を人類一丸となって発射しまくってきたのだ。憲法改正より先にと論議する必要があるのは地球温暖化という戦争の方かもしれない。
 
 「日本の青空」という映画は、自分が日本人であるという事実を再認識させてくれた。また同時に長い歴史の時間軸で見た短い平和(現代史)と、長かった地球の命が短くなっていく現実が頭の中で複雑に絡み合ってしまった。人類とはなんだろう?      (長月)

● 佐世保市では10月5日(金)午後3時〜と7時〜光月町のコミュニティセンターで「日本の青空」(大澤豊監督作品)上映会が開かれる。

 

2007年09月19日

「金太郎の名刺」


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ちょうど動物愛護週間なので、わんこネタをひとつ。 
 
 先日、ツカさんが運営するインターネットTV「99チャンネル」のアクセス10万件突破を祝う小宴の席にゲストで招かれていた、佐世保アーケードの人気アイドル犬「金太郎」と初めて会って名刺を交わした。

 これが金太郎から頂いた貴重な名刺だ。ワンちゃんと名刺交換は初経験。噂通り、とてもチャーミングなプードルで、ウェーブマガジン「SASEBOO!」の橋口氏、ツカさんとワイワイ緒方氏、わたくしのほろ酔い談笑にもイヤな顔を見せず、物静かに振る舞う姿に「大人だなぁ」と感心してしまった。

 金太郎は1年頃前からアーケードをご主人と毎日散歩されるのが日課。大きな体と黒い巻き毛と帽子がも愛くるしく、たちまち街の人気者になってしまた。特に女性や子どもたちから好かれ、写メなどで記念撮影をせがまれること日々常々。ここでもイヤな顔ひとつせず、屈託のないブラックフェースでハイポーズを決めてくれる、天性のアイドル性を秘めたワンちゃんなのである。

 ロックバンド跡紫魔?(あとしまつ)のキングー閣下とツーショットでアーケードを闊歩した経験もあり、人垣ができる人気ぶりだったそうだ。ネーミングの由来はご主人が「サラーリーマン金太郎」の大ファンだったからだということだった。ワンちゃん好きは大ヒット中の金太郎ブログをチェックでござる。  (長月)

2007年09月06日

「亜細亜的電影談07」

 
 ライフさせぼ9月7日号(No.1433)より年に一度のシリーズ企画、醤(じゃん)キエロ氏と私の対談『亜細亜的電影談07』の連載が始まります。今年のシリーズロゴが完成しましたので雑記帳にもアップップ〜ッしておきます。
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 これはアルカスSASEBOが毎年主催しているアジア映画祭の作品の見所などをクローズアップするシリーズです。上映作品の選出を担当しているキエロ氏と私の対談は、しばしば解説やあらすじから脱線して、独断と偏見による映画的面白さや個人的な好みに向かって暴走してしまうことがあります。

 そんな二人の共通点は大酒飲みで、全国区の食文化よりローカルな食文化が大好きな所です。魚を中心にした地方の海の幸、山の幸で飲んでるときが、一番ごきげんです(ちなみにキエロ氏はサルサのレッスンにも夢中でお姉様方と腰をフリフリしている時も超ごきげんです)。

 二人共に映画もハリウッド風大作より我が日本の映像文化や近隣アジア諸国の作品を好む傾向にあります。キエロ氏は最近よく「アジア映画を通して自分の立ち位置が見えてくる」と繰り返します。
 
 昨年観た中国の『世界』という作品で、オリンピックに向け急成長する大都市北京の繁栄の裏で私たちと似た葛藤を抱えながら生きる若者の姿を貝間見ました。最近問題化している中国の食や公害問題を暗示していたかのような作品だったとも思えてきます。
 
 宇宙やビル群をクリーチャーが飛び回る娯楽作品も決して悪くはありません。CGを駆使したアジア映画もたくさんあります。ただ私たちにどこか似た血を感じる人々が同じような悲しみや喜びを感じながら生きている姿がよく見えてくるのがアジア映画の方が多いと思います。世界の中のアジア、そして日本、社会の中の自分の立ち位置がぼんやり見えてくる……それがアジア映画のもう一つの面白さなのかもしれません。

キエロ氏は今年も芸術性より娯楽性を重視したクオリティーの高い6作品をプログラムでき、かなり満足している様子です。そんな彼が自信満々で挑む映画祭の中で特に韓国の『トンマッコルヘようこそ』と沖縄の『恋しくて』の2作品はおすすめ。今私たちが求めている“日本の原風景”の中にあった人と人のつながりや優しさが秘められていて、観て大変心地よい作品になりそうです。

 それでは皆様本年も『亜細亜的電影談07』を宜しくお願いいたします。  (長月)

2007年05月24日

「8020まで3本」

 
 6月4日は「虫歯予防デー」だ。この日を皮切りに10日まで「歯の衛生週間」が展開する。そんな矢先、拙者の口腔は人生最大の危機を迎えている。上アゴの側切歯と下アゴの大臼歯がグラグラと揺らぎながら、かろうじて歯茎に食い止められているという無惨な状態なのである。

 前歯にいたっては歯茎が黒ずみ、歯が下がってきておるのである。これぞ恐るべし歯槽のう漏の結末なのだ。思い起こせばあれは、7、8年前だったろうか。食堂でうどんの残り汁を啜っておると、歯茎にじわりじわりと染み込むような激痛が走ったのが始まりだった。その後、缶コーヒーや菓子類を口にしても同じような痛みに襲われることが増えた。

 こりゃ〜また虫歯だ、あ〜、バキュームやエアータービンの音って恐いんだよな〜!! などと鷹を括り、しばらくして歯科医を訪ねた。すると、「歯槽のう漏です。時間をかけてケアしていきましょう」と想定外の言葉が返ってきた。

 せっかくドクターから優しいアドバイスを受けたにも関わらず、その後、通院を怠けてとん挫。欲望のままに喫煙、飲酒の日々を積んでおったら、歯茎の痛みに加え、出血、そして周囲に口臭を指摘されるようになった。

 それでも変わらず欲望のままの毎日を繰り返していると、歯茎の痛みは感じなくなってしまた。「成人の約半分が歯周病!」という文句を聞いたり、コピーを見て「拙者だけではないのだぁ〜」と変な安心感まで出てくる始末。
 
 どうせ、口の中を清潔にして丁寧に時間をかけて一本一本ブラッシングするしか改善策はないんだぁ〜といい方に開き直る。ドラッグストアで歯周病予防歯磨きをはじめ、歯間はブラシ、歯茎磨き、歯垢を落とすと記されているブラシなんぞ、ケアグッズを揃えて、朝、昼、番と我流のデンタルケアを約3年余にわたり続けてきた。

 ところが、昨年、左上アゴの大臼歯、いわゆる奥歯がゆらゆら状態になって食事中に脱落。「あ!! 歯のとれた!」と間抜けな声を出し驚いていると、側にいた小学生の娘に「お父さんもまた新しか歯のはえてくると?」と興味津々な顔で尋ねられた。……だったらいいのにね。残念ながら永久歯は、うどんやラーメンの替え玉みたいに追加できないのである。

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ていたらくな生活の末に訪れた哀れなる結末。前歯がなくなるなんて、女性だったら絶対に許すことができないはずだ。もちろん、男だって恥ずかしさは変わらない。
 
 人と言葉を交わす時、無意識に口をすぼめ、やがて何もかもが消極的になっていくのだ。前歯をなくすとはそれほど致命的なことだ。
 
 しかも、拙者は日々不特定多数の人々と会ってお話をするのが生業である。「うっ!! こやつ前歯がないぜ!」「エッ!! どんだけぇ〜!」と人々は愛想笑いを作りながらも、きっと腹の中で驚愕するのである。
 
 え〜い、いっそのことジャック・スパロウみたいなイカした銀歯の義歯を埋め込んでもらおうか……。ファイブ! フォー! スリー! ツー! ワン! サンダーバードオープニングカウントみたいにやがて訪れるであろう歯抜け野郎な現実と向き合い、日常をやり過ごしておるのである。知性と良識に満ちた方々は信じられない怠惰だと、きっと呆れ果てられることだろう。

 確かに拙者は歯周病をなめていたと今、反省しておる。そこで、今後、歯槽のう漏を患う方に少しでも参考になればと思うことがある。拙者の場合、虫歯治療で差し歯やかぶせものでの処置をした歯がことごとくやられておる。改めて歯石や歯垢、雑菌の巣になるリスクが高い箇所であることを痛感した。
 
 また、拙者は激しい歯ぎしりマンでもある。寝ている間に歯や歯茎に過度な負荷をかけていることも歯槽のう漏を進行を促進する関連性があるのかもしれない。これは専門医に聞いてみないとはっきりしないことだが。一度、歯ぎしり防止のマウスピースをして安眠してみたいものである。

 現在、日本人の歯の平均本数は60歳で22本。70歳で14本。親知らずも含め約30本の永久歯を保有していたはずである拙者は、ケガや虫歯、そして歯槽のう漏ですでに7本を失ってしまい現在の本数は23本である。そして今ぐらついている2本が抜け落ちれば、すでに60歳の粋に達してしまうことになる。

 このままでは、厚生省や歯科医師会が推進している80歳で自分の歯20本を残そうという8020運動には到底およばない。果たして80歳で何本、自分の歯を持つことができるか? せめて8010はキープしたい。その前に80歳まで生きていられるか? 歯がないと人生に歯が立たない。歯の健康は老後の生活を大きく左右する大事な鍵でもあるのだ。

 
 レディ・アンド・ジェントルマン! 歯周病をなめてらあかんぜよ!! を身を持って経験中でござりまする。これは恐い病気なのです…。 
 
 
 もういいかげん我流のデンタルケアは止めよう。悔い改めるのである。専門医の腕と英知を借りて、医療費が続く限り8010を目指し、憎き歯槽のう漏と立ち向かってゆく所存である。   (五月)

2006年12月11日

「宇宙戦艦ヤマトを作りたい」

DSC_0025.JPG 人にはいろんな夢があるが、この男の夢は超ド級。ホテルを備え、実際に航海できる実物大「宇宙戦艦ヤマト」を佐世保の造船所で建造するという夢を抱いている。佐世保弁で「なんば、夢んごたっことば言いよっとや」と言いたくなるとんでもない夢だ。

 ところが彼は少年みたいに瞳を輝かせ、あちらこちらでこの壮大な夢物語を何の照れもなく公言して回っている。「ホテルのスタッフもさ、ヤマトの乗員と同じ服を着て航海先に停泊してイベントを開いて、また佐世保に帰ってくるとさ」と言った具合に会う人会う人に熱く語りまくる.。
 
 その男とは、フィギュア、雑貨業&イベント仕掛人としても活躍している「ワイワイ貿易」の緒方氏だ(いつもワイワイ言っている人なので、拙者の中では“YY オガタ”と呼んでいる)。

 彼は一日中、佐世保をおもしろくすることばかり考えている。「映画」「マンガ」「音楽」が大好き。高校生の時コミケを開催した伝説も持つ。数年前に佐世保でもハリウッドスターに会える喜びを!と熱く語っていると思ったら、本当に俳優を呼んでサイン会を開いたてしまった。
 
 最近は「クローズ」のフィギュアを製作している会社とコラボで佐世保発のオリジナルのフィギュアもプロデュース。ワイワイオリジナル焼酎も作るし、音楽イベントも企画するなど「いったい何屋さん?」と首をかしげたくなる不思議なエネルギーを放つ男だ。

 ネットワークも広く、東京、大阪、福岡を飛び回りさまざまなジャンルの人々と会う。電話やネット上でなく生の人間とワイワイ語り合うのがオガタ流。ビジネス優先の現実的大人感覚では「……?」という価値観を「……!!」で実際に形にして見せてしまう男だけに、この「ヤマト発進計画」もただの笑い話に聞こえないのだ。%A4%E4%A4%DE%A4%C8JPG 
 
 全国の行政の裏金を持ち寄れば実現するかもしれないが、組織の夢は病んでいるし、庶民には金(税金)がない。金(税金)じゃないから本当に楽しいものを作れる「夢」を全国の市民が応援すれば壮大なプロジェクトは動き始めるかもしれないぞ。
 
 ところで、YYオガタは初夢も超弩級艦ヤマトホテルなんだろうか? カメラに向かってほくそ笑む夢男を、はい、パチリ! 来年も楽しい夢を見せてくださいな。         (師走)

2006年11月28日

「父の進化論」

sevenstars.jpg  おもちゃ屋さんに堂々と行ける。仮面ライダーやゴジラ、戦隊シリーズに少年時代のときめきが蘇る。今まで知らなかった、ぬいぐるみやリカちゃんの魅力も分かってくる。
 教育テレビの子供番組に詳しくなる。童謡、アニメ主題歌、みんなのうたを口ずさめるようになる。
 
 キャラクターショーで開演まぎわに駆け込んで子供を肩車。もっと早く来ればよかったとキャラクターショーデビューのときちょっと後悔する。
 しかし「ガンバレー!」とステージに大声を発する子供たちのエールを励みに最後まで肩車で頑張ったときの達成感はなかなかだ。慣れてくるとショー終了後の物販や記念写真、サイン会にも素早く移動することを学習。手際がよくなる。
 
 ムシキングはともかく、ラブ&ベリーのファッションアイテムの組み合わせに思わず「そいはなかやろ!」と背後から声を出してしまうようになれば、かなりの進化と言えよう。絵本や童話を何十年ぶりに読んで胸がキュンと熱くなることがある。
 休日、遊んでも遊んでも疲れを知らない子供に「まいったぜ、仕事の方が楽だぜ」と逃げ腰になるときもある。
 
 運動会ではビデオばっかり撮っているので、時々どの子が自分の子か見失う。保護者リレーの選手を頼まれて渋々出てみると入場門に陸上やってたようなスポーツマンタイプの父がいっぱい。びびる。
 クリスマスイブのサンタデビューは子供に気づかれないか……ミッション・インポッシブルみたいな緊張感だ。
 
 時が流れ、子供の宿題が解けなくなってくる頃、誰も一緒に風呂に入らなくなる。テレビのチャンネル権がいつの間にか子供中心になっている。
 子供の衣類のグレードが自分のものより上になっていく。やがて背丈も靴のサイズも抜かれる。
 
 ……ミルクや湯舟の温度を気にしながら接した記憶ももう遠い過去。紙おむつの付け方も覚えたよな〜、風呂の中でウンチされたこともあった。夜泣き、高熱、日晴れ、七五三、卒園、ランドセル……。
 
 エ〜イ!!  父よ! まだまだ進化しようぜ!  (霜月)

2006年10月17日

「ゴーヤーマン咲く」

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 夏にトロピカルに破裂して殉職した、あのゴーヤーマン(詳しくは06年8月バックナンバーを参照あれ)の第3回目のレポートです。

 M女史のアツアツなお世話により、この世に再び蘇ったゴーヤマンが、ほーら、こんなにキューティーな花を咲かせましたぞ。なんという生命力でしょうか。偉いゴーヤーは偉い。秋晴れの陽光の下、花びらくんが黄色い笑顔でニコリと笑っているのでございます。
 
 実に爽やかな笑顔。これから気候も、しだいに寒くなっていきますが、南国育ちのゴーヤーマンは果たしてどんな冬を迎えるのか? さあ、会場のみんな、お姉さんと一緒に大きな声で一度練習してみましよう! 「ゴーヤーマン!がんばれ〜!!」みんなもっと大きな声を出して応援して、さあもう一回!「ゴーヤーマン! がんばれ〜」                       (神無月)

2006年10月03日

「アジア映画祭まであと10日」

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 アジア映画祭まであと10日。今年は大地康雄さんがゲストでやってくるし、アジアンライブ実行委員会と市内在住の留学生などが一緒になってアジアンマーケットもアルカス広場で開催する。本場タイのカレーなども販売するそうだ。映画鑑賞の合間にぜひ食べてみよう。大分県九重町の野菜や物産もコラボして開かれるアジアンテイストいっぱいの市場。旨いらっきようは出ないかな? 本日、拙者は旨いらっきょうを欲しておりまする。
 
 そうそう本題は麦酒の肴ではなく、映画祭でございます。昨年の『大統領の理髪師』もよかったけど、『パッチギ』が超当たりだった。会場一体で笑って、泣いた〜って感じが実に映画してた(それにしても主演の沢尻エリカ大ブレイクだね。日本映画に新たな息吹を吹き込むその活躍と人気に脱帽でござる)。
 
 さて今年は何本観ようかなあ? 糸さんが頑張ってデザインしたパンフレット、なかなかイカしてるぞ。よ〜し、勝手に観たい順番をつけてみよ〜っと。
 
恋いするトマト(日本) 世界(中国) 僕が9歳だったころ(韓国) 天空の草原のナンサ(モンゴルロケ) わが家の犬は世界一(中国) マリといた夏(韓国) 風の前奏曲 狂った果実(日本)  [神無月]

2006年10月01日

「佐世保的エンタの神様」

 数年前からお笑い芸人のパロディで、自虐的な佐世保ギャグの文章化を試みております。ライフの新年号などで発表してきた過去ネタの一部をこの雑記帳にも記しておきますぜ!

●ヒロシ編(ヒロシ風に読んでね)
「佐世保は外国人が多いんだ、ってちょっと自慢げに話すとですが、実際に声をかけられたら固まってなんも言えんごとなって、ただニャニャ笑うしかできんとです。…サセシです。

「なんで市役所の駐車場は、あがん狭かとですか? 教習所の車庫入れより難しかとです。やっと停めたと思ったら、今度は隣の車のドアにぶつけんごと降りんばとです。まるでストレッチ体操のごと身ば縮めて、なぜか息まで止めて車から降りよっとです。…サセシです」

●ギター侍編(ギター侍みたいに歌いながら読んでね!)
♪〜都会にあるフランチャイズがやって来た やった〜 オープン初日に大行列並んだのよ って言うじゃない でも あんた 行列に並ぶのはオープンや、ただで何かもらえる時だけですから残念 佐世保人はすぐ並ぶけどすぐ飽きますから斬り ……拙者 タコちゃんプールでタコの頭を押さえて 係りの人に怒られたことありますから 切腹

●摩邪編(摩邪みたいに気合いを入れて読んでね!)
DSC_0067.JPG ひとーつ。「佐世保の人はね、飲みに行った帰りはシメに佐世保バーガー食べるんですよ!」って言うオヤジ! ハァ〜!? 佐世保バーガーでシメる? 飲みに行った人が皆ハンバーガーでシメてたら、バーガーショップは一晩中とんでもない行列になるぞ。ラーメンやうどんを食べて帰る人の方が圧倒的に多いんだよ! カンカンカンカン(ゴングはリズミカルに)   (神無月)

2006年09月28日

「ママがみつけた秋」

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 99VIEWでママの手紙を連載中のヤヨ様が首からきのこのアクセサリーを下げていた。

「おやおや、実りの秋らしい首飾りですな」

「はい、秋から冬は小物でおしゃれを楽しむのにもいい季節。胸元が寂しいときによさそうだな、と思いまして。わたくしの中では、ちょい可愛い雰囲気のアイテムですの」

「なるほど。菓子のきのこの山を大きくしてラスタカラーで彩色したようにも見えます。あたたかみがあって、かわいいですな」

「あらあら、ありがとうございます。この小物、駅前のブティックでみつけたんです。佐世保在住の女性が作った手づくり作品なんですって」

「メード・イン・サセボでございますか。よくできた小物ですねぇ。ぜひ写真を一枚撮らせていただけませんか」

「はい。はい。どうぞ」 パチリ。 (長月)

2006年09月25日

「稲場うあ〜ぁ」

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 波佐見町の秋の名物、鬼木棚田まつりに行って来ました。日本有数の棚田の名所である鬼木地区の秋祭りの目玉は生産者の皆さんの手作りユニークかかし展。日本の原風景が残るのどかなあぜ道に今年もアイディアいっぱいのかかしが並び、訪れた人々の目を楽しませました。
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 今回目立ったのはイナバウアー、ハンカチ王子、それに長州小力をはじめとする時の人たち。アタックチャンスの児玉さんも緑が映える秋の棚田で「その通り!」とポーズを決めていました。約70世帯しかない小さな棚田の町ですが、この日ばかりは観光地みたいなすごい賑わい(稲場うわ〜ぁって感じでした)。時おり道ばたで休憩しているお年寄りも一瞬「これも案山子?」と見間違えるほどでした。

 派手なアトラクションはなくても、かかし鑑賞だけでも十分楽しめるほのぼのイベント。これぞエコーツーリズムだと感心しました。田舎汁もギリギリでゲットできたし、鬼木みそも買って、夜は豚汁を楽しみました。旨かった。 (長月)

2006年09月09日

「生きていたゴーヤーマンの巻」

gooya02.JPG8月末に劇的かつトロピカルな最期を遂げた、あのゴーヤーマンが生きていた。拙者が放置していたあの真っ赤な種をM女史がていねいに洗い、土に戻していたのだ。  わずか10日あまりでご覧のように葉をつけた。なんという生命力。なんでもM女史はゴーヤーマン二世誕生計画を企て、自宅プランターでも栽培中だと言う。日に日に成長するベイビーたち。しかし季節は秋。これから寒くなるというのに大丈夫なのだろうか? M女史のことだからきっと温室でも作って二世を実らせるつもりだろう。成功を祈る。(長月)

2006年09月07日

「怪物観ました」

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「亜細亜的電映談」のパートナー、醤(じゃん)キエロ氏が大絶賛する韓国映画ポン・ジュノ監督の最新作を観に行きました。漢江(ハンガン)から現れる怪物の存在は、初めて「JAWS」や「エイリアン」を観たときと似た衝撃でした。
 
 何だこいつ? こんな奴に襲われたらたまんねえぜ、というシンプルな衝撃です。交通事故、事件、災害、戦争もこのクリーチャ−のように意味不明で、理不尽で、予告なしに無理矢理、人の人生に踏み込んできます。
 
 しかし、国家や政府関連組織は映画の中のウイルス感染者隔離政策みたいなことに一生懸命で、怪物から庶民を救う術はなかなか考えてくれないものです。人類自らが作ってしまった社会のさまざまな怪物にさらされて生きている現代。最近は新聞読んでても実に子供を襲う怪物が多いこと。

 ソン・ガンホたちみたいに家族一丸で立ち向かうしかない、と思いました(でも家族が怪物になるケースもあるなぁ)。同じパニック娯楽大作でも東洋の作家の方が時代をよく見据えて映画作っているのでは? (長月)

2006年08月24日

「ゴ−ヤ−マン逝く」

「なんじゃこりゃ〜」ゴーヤーマンは野太い声を張り上げながら腹を押さえていた両手を広げ、掌に付着した大量の鮮血を睨みつけた……。か、どうか? 動画記録が残っていないので定かではない。

gouya.JPG  緑から黄緑〜黄色に変色を重ねたゴーヤーマンがある日、破裂してザクロのような赤い物体を吹き出した。一体何が起こったのか分からず、驚いて激写。よく観察してみると真っ赤な物体は種子である。なるほどゴーヤーマンはこのような劇的な最後を遂げ土に帰って行くのか。
 ゴーヤ-チャンプル、ゴーヤ-ソーメンを何度も肴に麦酒をいただき猛暑と戦ったこの夏の想い出がよぎる。「ゴーヤーマン、大変お世話になりました。ありがとう」大地の恵に感謝してしまった事件である。 (葉月)

2006年08月23日

「第一印象」

 人々は車に乗って日本列島を自在に移動しています。西九州自動車道を使ってこの街にも県外から日々いろんな人々が訪れます。
 先日、ハンドルを握っていてふと考えたことがあります。終点のみなとインターから望む海辺の風景こそ佐世保を始めて訪れる人に最もインパクトがある第一印象なんじゃないかなあ、ってことです。佐世保に入って最初に目に飛び込むのは九十九島ではなくグレーの軍艦が浮かぶ港です。
 高速道路が完成してもこのファーストインパクトはきっと変わらないでしょう。左手に軍艦、右手に競輪場を見下ろしながら人々は佐世保を通過して行くはずです。佐世保人には見慣れた当たり前の風景も、外からの目で見ると私たちが知らない佐世保らしさを強烈に放っていたりするんでしょうね〜。そうココはまぎれもない軍隊がいる街なのです。(葉月)
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