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2009年05月07日

「ヒッピーに捧ぐ」

受験以外の道しるべがなかった高校時代。ぼんやりした将来をまぎらすかのように、映画館に通い、筒井康隆を読み、ストーンズとツェッペリンを聴いていた。渋谷陽一がDJを務めていたNHKラジオ『サウンドストリート』で、最新の音楽情報をキャッチするのも楽しみだった。
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そこで初めて耳にしたのがRC SUCCESSION(清志郎)の歌声だった。それまで聴いたことがなかった日本語ロックが流れてきた。特にその歌詞に驚いた。そこには作詞家やシンガーソングライターが書いた歌とまったく違う世界観が描かれていた。自分が思っていることや考えていることを、自分の言葉で表現していいんんだ、という新鮮な驚きだった。

それからRC SUCCESSIONのレコードを探し回ったが、過去の作品は佐世保ではなかなか手に入らなかった。高校卒業後、早稲田大学の学園祭でRCのライブを観た。『よォーこそ』で始まるオープニングに興奮した。ステージ狭しと飛び回る清志郎。その言動ひとつひとつに鳥肌が立った。rc11.JPG海の向こうの文化と思っていたロックンロールショーを目の前で日本人が体現させてくれている現実。中学、高校と一色の価値観に縛られてきた世の中に対する窮屈な思いは、この日、見事にぶっ飛び、生まれて初めて“表現の自由”が実在したことを知った。

一人暮らしを始め、孤独と向き合ったり、対人恐怖症になったりしたとき、救ってくれたのはたくさんの本とロックンロールだった。中でもRCは「自分に正直に生きれば、きっとうまく行く」というシンプルな生き方を教えてくれたバンドだった。清志郎は、表現と作品を通じて物づくりや、創造力が社会を潤すことを発信しているロックンローラーだと思った。作品に散りばめられた物の見方や考え方、ユーモア、風刺、言葉遊び、絵心、価値観に多大な影響を受けながら、わたしは少年から大人になっていった。

平成二十一年、連休深夜。テレビを見ながら夜更かししていた娘が訃報を教えてくれた。床に入っていたわたしは「えっ!! ほんと。教えてくれてありがとう…」と、わりと冷静に娘に告げただけで、速報を見ようとは思わなかった。布団の中で眠りに落ちながら、♪お別れは突然やってきて すぐに済んでしまった〜、と清志郎の歌声を思い出した。

翌日、RC、タイマーズ、ソロなどの作品や書籍を引っ張り出してみた。若き日に再販で手に入れたLPレコード『シングルマン』はアパートで何度も聴いた思い出深い一枚だ。日本のロックが開花していくスピード感あふれる80年代初頭にふれた『ヒッピーに捧ぐ』『甲州街道はもう秋なのさ』『スローバラード』など切なさとピュアな感性を秘めたスローな楽曲が、とても新鮮だった。
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子どもの日の正午過ぎ。『カバーズ』を皮切りにアルバムを聴きなおしてみた。ベランダ越しの海。新録が映える緑の島。窓を開けてボリュームを上げる。しかし、爽やかな陽気に似つかわしくないけたたましい轟音が響いている。「♪何やってんだ偉そうに 世界のど真ん中で〜」米海兵隊の揚陸艇LCACの大地を振るわすような轟音に清志郎の歌声がかき消される。

よし次は『黒くぬれ!』だぜ。ボリュームをさらに上げる。まったくロックよりうるさい音だぜ。子どもの日なのに、これじゃ赤子は昼寝もできないぜ。祝日くらい戦争の練習はやめようぜ。そんな思いが届いたか? 佐世保湾から轟くうるさい騒音が低くなってきた。

『わかってもらえるさ』『君が僕を知っている』『いい事ばかりありゃしない』『けむり』『シュー』『ロックン仁義』『パパの歌』……。いい歌がいっぱいだ。最後はソロのベスト盤。『RUBY TUESDAY』で涙がこぼれた。

忌野清志郎様。もしわたしが歌うたいだっら『ヒッピーに捧ぐ』を熱唱したい思いです。どうもありがとうございました。あなたからもらった「ステキな心」を大事にして生きていきます。 (皐月)


2009年04月24日

「ミック・ジャガーのおなか」


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わたしが生きている間にローリングストーンズをこんなに間近で観る機会はもうないだろう。都会から約4ヶ月遅れて佐世保の街にストーンズのワールド・ツアーがやってきた。

世の中にライブ画像は山ほどあるが、こういう感動は滅多に体験できない。会場のビーコン・シアターと映画館がシンクロナイズする音と映像の魔力にわたしの体は粟立った。

カメラワークと編集力が映画芸術の大きな醍醐味であることを知らしめた凄い作品だ。ストーンズという極上の素材とスコセッシという豊かな感性があったからこそ成立したライブ映画だと思う。

しかし、臨場感あふれ過ぎで、一つショックだったことがある。多少顔の皺はふえたもののミックもキースもステージパフォーマンスはまったく衰えていない。若き日となんら変わりなくステージを動き回るその姿は、60過ぎたおやじとはとても思えない。ロックで鍛えぬいたタイトなボディ。ときおりTシャツの裾から覗くミックのおなかは、きりりと引き締まり、40代のわたしの腹よりだんぜんかっこいいのである。

ウエストサイズは変わらないのだが、わたしの腹は最近ポテッと飛び出してしまいひどくかっこ悪くなった。ミックのかっこいいおなかが映るたびに「腹が飛び出したらロックじゃないぜ」と静かに警鐘を鳴らされているようで、つらかった。これじゃダイスじゃなくて『メタボを転がせ』だぜ。

そんな所もふくめてストーンズは、いつも生きざまの教本みたいな存在であり、恐ろしくらい強靱な人生の先輩だ。

その勇姿をこんなに近くで観させてくれた『シャイン・ア・ライト』とシネマボックス太陽に感謝したい。ステキなムービーありがとう! 

明日はアルカスSASEBOでライフdeライブだ。
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そして5月9日(土)には、ストーンズに続き親愛なるザ・ルースターズが遂に佐世保でロックを奏でる。映画『シャイン・ア・ライト』でデビュー当時のストーンズの映像がうまくインサートされていた。スクリーンに甦る若き日のライブの熱気に東京で初めて観たルースターズの姿がどこかダブって感慨深かった。わたしに今も多大なる影響を与え続けるザ・ルースターズ……そのギタリスト、花田裕之氏のアコースティックライブが島瀬町「ガァネット」で開催される。

●花田裕之 九州“流れ”2009
5月9日(土) 佐世保市ガァネット。午後7:30開場/8:00開演
チケット:前売2,500円(当日3,000円)出演:花田裕之/Howling Setta
問い合わせ:090-4993-0886(オフィスハウリング)


2008年08月27日

「稲佐山で魂を揉まれてアイタタタ」

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8月24日、日曜日。クーラーバッグに麦酒をいっぱいつめて稲佐山野外ステージへ向かった。同行者は昨年と同じハウリン伊達丸だ。

長崎駅からの道中、「チケット買います」「チケットあまっていませんか?」のプラカードをかざす若者たちの姿が目を引く。『スカイジャンボリー2008〜笑顔〜』のチケットは完売、当日券なしというすごい人気だ。

青空と緑が映え渡る自然空間を舞台に出演者とオーディエンスが一体となって創り上げてきた10年間におよぶ感動の蓄積。それは人々の心の中だけでなく、稲佐山中腹の芝生や木々、大空の中に夏の記憶として刻み込まれているような雰囲気を漂わせている。

FM長崎が九州を代表する夏フェスへと成長させたスカジャン。音楽を介し人と人の心をつなぐ装置として稲佐山というロケーションは不可欠なのかもしれない。

会場はすでに満杯だ。わたしと伊達丸はとりあえず喫煙エリアに荷物を置き、七星薄味特別仕様と駱駝煙草に火をつけ、麒麟淡麗で乾杯。キマグレンの演奏で2008年のスカジャンが爽やかに幕を開けた。

なんとか二人が座れる芝生空間に割り込む形で場所を取り、佐世保駅の朝市で買った平戸のスボを肴に、ほれまた一杯。その後、会場全体を散策。オリジナルグッズブースでFM長崎のDJマークとサンディトリップの歩美ちゃんを発見。わたしたちはまるで仲良し女子高生みたいにお揃いでスカジャンタオルを購入した。

そろそろ会場前方のライブエリアに向かいましょうか、とスタンディング空間へ足を運ぶ。ミドリの登場を待つ若者たちの熱気で早くもボルテージが上がっている。ミドリが現れるやいなや、人の固まりは激しいうねりとなり、わたしの体は前横後ろ、前横後ろ、と見知らぬ少年少女たちの熱の渦に巻き込まれていく。

あれれ〜靴が脱げた。背後にいる誰かにかかとを踏まれ、脱げた靴をはき直し、またはき直す。あ〜なんと久しぶりの乱痴気騒ぎ。ルースターズやモッズ、シナロケなどビートバンドを追い求め、サウンドに乗ってぴょこぴょことポコダンスしたいた若き日の記憶が全身に甦る。
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誰が投げたか? 空に弧を描きしぶきを上げるミネラルウォーター。その向こうにトンボが飛んでいる。視線をステージに戻すと人の頭。頭。頭。指を突き出した拳。腕。拳。腕。拳。腕。人垣からにょきっと植物の茎が生えてきたように青年の足が飛び出す。その先にセーラー服姿でマイクを握る後藤まりこの上半身が見え隠れする。倅みたいな年代の少年少女たちと一緒になって体をもみくちゃにしながら体感するパンクな連帯感。年甲斐もなくぴょんぴょんジャンプしながら右腕を振り上げてしまう。

映画『エイリアン3』のシガニー・ウィーバーみたいな短髪頭で目の周りに血行不良をおこしたような“目のクマ”メーク(?)の後藤まりこが歌い走る。お行儀の悪い“おきゃん”なライブパフォーマンスはさらに加速していく。これぞ目を点にさせる五感で感じるロックなる日本語表現。嘘つきバービーと仲が良いバンド…と聞いた風の噂が説得力を帯びてくる。オーディエンスの心身を解き放すように弾き出されるジャジィーなサウンド。後藤まりこはステージ袖のやぐらに這い上がり群衆を扇動しマイクを放り投げた。かなり古い例えで恐縮だが、初めて動く忌野清志郎や戸川純、遠藤ミチロウ、町田町蔵を見た時に似た衝撃を覚えた。
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常識や日常はもとよりロック的お約束からも一端抜け出した場所。世間から見るとそこは「負の力」の「たまり場」なのかもしれない。そこから新たな音と言葉を生み出すことこそロック的醍醐味だと思う。ミドリは「負の力」も「正の力」も壊した場所から音と言葉をはき出しているような実にオモロイ!バンドだった。


10Feetのサウンドによる観衆ウェーブやタオルプロペラ。リッキーG、モンキーマジックを迎えて心地よいサンセットタイム。陽気なビークルのロックを聴きながら麒麟淡麗また一本。焼きちゃんぽん食べながら麒麟淡麗また一本。思い思いのスタイルで音楽にふれることができる稲佐山。

日が沈み幻想的な照明が浮かび上がったステージにブンブンサテライツが現れた。わたしは再びスタンディングエリアに立っていた。MCなしノンストップで展開する無国籍でスタイリッシュなロックサウンドに酔いしれながら、またまた若者に全身をもまれながら右腕を振り上げていた。

さすがに翌朝、足腰、右腕を鈍い筋肉痛が襲った。「運動会に参加したわけではないのに…年だぜ」。自戒したものの、少年少女に魂を揉んでもらったおかげで心だけは妙に清清しかった。若者たちがが一つになって笑顔になれるお祭りは社会の豊かさ。時には大人目線を伏せて少年少女に魂を揉んでもらう覚悟も大切なのかもしれない。アイタタタ……。(葉月)

2008年08月01日

「ジュリーが佐世保へやって来る♪」

タイガース時代の活躍はよく知らない。が、ソロになってから歌番組やレコード大賞、紅白に出演していたジュリはティーンズだったわたしに鮮烈な印象を与えたアーティストの一人だ。

それはグループサウンズブームが去った後の昭和40年代後半から50年代。「危険なふたり」「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」「サムライ」「ダーリング」「LOVE抱きしめたい」「カサブランカダンディ」「OH!ギャル」「TOKIO」「恋のバッド・チューニング」「ス・ト・リ・ッ・パー」「おまえにチェックイン」「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」……。次々と発表される個性的な楽曲はまるでわたしの青春BGMのように日々どこかで鳴り響いていた。

昭和40年代のロックはまだまだ洋楽が主流だった。日本のロックは、市民権を得ることなく“和製ロック”という枠から飛び出せず試行錯誤していた黎明期だったと思う。そんな中、わたしは吉田拓郎の33回転レコード『今はまだ人生を語らず』を何度も聴きながらフォークとかニューミュージックというカテゴリーを越えた「不思議なかっこよさ」を密かに感じていた。そしてモーリスを買った。

やがてキャロルや甲斐バンド、ダウンタウンブギウギバンドを知り、カルメンマキ&オズ、遠藤賢治、シーナ&ロケット、パンタ&ハル、RCサクセション、サザンオールスターズなど日本語によるロック表現を確立し個性を放つミュージシャンたちが続々と現れた。中学生から高校生にかけて初めて歌謡曲ではなく、日本のロック存在を認識するようになった。

そんな時代と交差しながら、ジュリーは演歌やニューミュージックなど具だくさん、幕の内弁当のようなブラウン管の中から茶の間に向けてロックスピリットを放って楽しませてくれた。まだビデオも一般的でなくPVも普及していなかた時代だ。テレビの歌謡ショーという枠の中で斬新なビジュアルとサウンドを見せつけ、るラジカルな姿勢が痛快だった。特にジュリー&エキゾチックス時代のバンドサウンドが一番好きだった。海の向こうのミックジャガーやデビッド・ボウイなどロックスターに負けないオーラを発光していた。
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セックスピストルズ登場後、パンクからニュー・ウェーブ、ニューロマンティクスと目まぐるしく変化していくブリティッシュロックシーンと平行するように、日本でも東京ロッカーズやめんたいロックというムーブメントが巻き起こった熱き80年代初頭。既存の価値観にとらわれない自由な表現を行うユニークなロックバンドが競うように登場し始めた頃、手軽なテレビを介して楽しめたジュリーの楽曲は今も色あせないわたしの中のロックだ。

さらにもう一つの大きな出会いは長谷川和彦監督の傑作『太陽を盗んだ男』である。一個人が原爆を作って国家を脅迫すると言う破天荒な題材の映画なのだが、爆弾を盾にとり個人的な要求を繰り返す主人公の姿に核実験を繰り返し、国策を巡って敬遠し合う核所有国の現実が重なり冷戦の病理も感じさせる作品だった。そんな重いテーマを理屈でなくハリウッドにも引けを取らない極上の娯楽作品として見せつけたのがゴジこと長谷川監督だ。その感性と手腕に高校生だったわたしは衝撃と感動を覚えた。長谷川監督もわたしの青春にとってロックな人物だ。そして銀幕の中で主人公、城戸誠をクールに演じていたのもロックな人……ジュリーだった。

時は過ぎ、21世紀。わたしも四十半ば過ぎ。ジュリーは還暦を迎えて全国ツアーを展開中で、明日8月2日(土)にわたしの住む佐世保市にもやって来る。70年代〜80年代にリアルタイムで聴いたヒット曲ももちろん聴きたいが、60歳で新譜をリリースしてバンドサウンドを引っ提げ全国のステージに立つ現役ロッカーの生きざまにぜひふれておきたくチケットを買った。しかも、ツアーギタリストは元ルースターズ(Z)の下山淳。熱烈なるルースターズ(S+Z)ファンだったわたしにとって申し分ない豪華なプログラム。年を積んだ下山淳のギターリフも大いに楽しみたい。さらに会場がアルカスSASEBOではなく昭和の名残り漂う佐世保市市民会館というのもいい。ロックな気分を増幅させてくれるのではないだろうか。

先日母親に「今度、沢田研二ば観に行くちゃん」と告げたところ、「あら、あんたは昔よくマネしよったもんね」と言葉が返ってきた。うむむ、ちょっと恥ずかしかった。ジュ、ジュ、ジュリ〜! (葉月)

2008年03月31日

「長野友美と黒七味」

 
 京の都に住む歌謡い長野友美嬢より2通の郵便が届いた。先週、ミディレコードより処女作となる作品集(1stフルアルバム)「何もない日々」が全国発売されたばかりの新進気鋭の歌謡いからの便りだ。
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 郷土、佐世保でのレコ初記念ライブとして、本年のライフdeライブに出演を依頼した。同封されていたのは四月二十六日の公演本番用セットリストやセッティング表などである。イラスト仕立てのセッティング表にも絵心豊かなあの方の愛嬌が浮かぶ。

 これら書類と別の封書には、竹筒入りの黒七味と言う代物と「桜のつぼみふくらむ頃」と一筆添えた便せんが収まっていた。元禄十六年(1703)創業という香煎、薬味の老舗「原了邸」製造されている祇園名物だ。

 歌世界と同じく、おこころざしも誠に雅である。京都伝統の薬味を送って下さるとは、ありがたや、ありがたや、でござる。

 早速、朝夕、味噌汁や漬け物、麺類などを食す際、筒を一降り。その名のごとく、黒褐色のしっとりした粒が出てくる。芥子だけでなく黒胡麻、白胡麻、山椒などで調合された深い香りと味わいはなるほど美味。「これは平凡な日々の食卓に豊かな風味を運ぶ魔法の筒じゃ」と笑みこぼるる逸品食生活を堪能し、京人気分を楽しませていただいておる次第だ。

「なまずの空」「九十九島」「何もない日々」……第一回作品集に収録された全九曲の楽曲。それは何もない日々の中に隠れた輝きを切り取って見せる絵描きの腕も思わせる。静寂という白地にアルペジオと声という筆を走らせて描いたような奥深い歌詞世界。それは人生に豊かな風味を添える黒七味にも似て実に小気味よい。

 歌で表現を行う楽師・長野友美、その正体は風流人ではなかろうか。(弥生)

2008年02月18日

「心拍子♪」

 先週半ば、歌謡いの真弓と久しぶりに会った。四年半活動した佐世保を後にして山梨の実家へ戻るということだった。

 その翌日、歌謡いの、ともぞう(長野友美)と久しぶりに会った。週末にガァネットで『長野友美とベイツカンガルーの眠れぬ夜のレストラン』と名打ったライブを開催するために京都より舞い戻った。

 思えば、三年ほど前、この二人は弾き語りというスタイルながら、まったく異なった個性を放っていた。その歌声と歌詞世界は、例えば赤い炎と青い炎のような違いだった。一時期、『懐中電灯』という音楽イベントを共同企画していた時期もあったが、それぞれ個別の活動へと移行した。

 真弓は先週末、長崎空港から故郷へ向かった。

 僕は本年のライフdeライブのテーマを決めきれずにいたが、真弓とともぞうに会い、「心拍子」という言葉が浮かんだ。

 心で拍子をとりたくなる音楽は人さまざまだろう。真弓もともぞうも、それぞれ拍子が合う人たちに熱い支持を受けてきた。歌いながら心が拍子をとるという状態は幸せな瞬間だと思う。自分に合う、また人と同調する拍子は生きていくために欠かせない感性なのではないか?

 と言うことで今年のテーマは「心拍子」に決めた。

 ライブを終えた、ともぞうは本日夕刻に佐世保駅から京都へ向かった。

 そして、ライフdeライブVol.6の全出演者は本日FM長崎で放送されたG Radio℃の中でDJマークが発表してくれた。(如月) 

2008年01月30日

「松千のマツケンと刺身のケン」

 
 佐世保で新曲を制作中の松千と「木炭屋」で飲んだ。ハウリン伊達丸も加わり、遅ればせながらの新年会だ。

 
 焼き鳥はもちろん、シメアジと生ビールの愛称も抜群。ジョッギ片手に「うまいっすね〜」と、ちぐりん(千草ちゃんのニックネーム)もご満悦だ。「お待たせしました〜ぁ」とメニューを運んでくれるのは、赤崎コンパ大學のベーシスト山ちゃんだ。ステージと変わらぬサービス精神あふれるスペシャルな接客付という楽しい飲み会だった。

 
 ギタリスト松健はいつも通り、酒を飲んでも口数が少なくクール。食欲旺盛なる若者なのに肴を口に運ぶ回数が極端に少ない。グラスを傾けながら。真剣な眼差しで黙って人の話を聞いている。そこで、拙者が「松健も何か喋りなさいよ」と談笑の仲間入りを進めて、またまた新たなる“マツケン伝説”が生まれることになった。
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 実は彼、年頭に「今年はもっと喋るぞ!」というドデカイ抱負を身長156cm、体重45kgのボディに刻み込んでいたのだ。この夜、弾む会話をイメージトレーニングして宴に挑んだそうなのだが、ちょっと言葉を詰まらせたように訥々と話すテンポはいつも通り。不完全燃焼のまま酔っぱらい談義に加わっている松健の胸中を聞いてみると次のような言葉が返ってきた。


「人の会話を聞きながら考えを巡らせ、自分の意見がまとまった所で、よし発言しようと思うと、いつも話題が変わってしまっているんです」

 
 ギターテクと歌はあんなに達者な松健なのだが、会話が苦手。その原因は彼のシャイな性格に隠れた思慮深さにあるようだ。

 
 例えばこの夜、拙者が「刺身のケンやツマって必ず残るよね。僕は大根のケンってキャベツの千切りみたいに好きなんだ。大根もシソの葉も単なる飾りじゃない。生臭さを抑えたり、殺菌効果もある、しかも、ビタミンが多く含まれていて、動物性タンパク質を食べ過ぎて酸性になりがちな体を中和させたり、消化を助けたりする役割もある。洋食のパセリみたいな大事な野菜。つまりケンは食生活の知恵のたまものなんだ。それを、日本人は毎日大量にゴミとして捨てている。刺身と同じく残さずいただくことこそ、エコライフだと思う。そこで、僕は『ケンとツマも美味しく食べよう』を今年のテーマに掲げ実践したいと思う。皆さんどう思う?」

 
 みたいな話しを浴びせると、ちぐりんは「え〜ぃ私も食べま〜す」と盛り上がる。伊達丸も「そうさ、そいがロックさ。ロックンローラーは絶対映画『アース』も、観とかんばって!」と語気を強めて手前勝手な世界観を言語にする。ken1635.JPG

 
 このように脈略がありそうでない、無秩序な会話のやりとりが一般的な雑談、および談笑のグルーブ感だ。

 
 ところが、松健は沈着冷静。ときおり、相づちを打つ程度で感情を表さない。この間も、彼は大人しく思考を反芻しながら、刺身のツマやケンに対する自己の論理をまとめる作業を行っていたのである。


「じゃ、この4人で刺身のケンとツマを守る会を発足しよう!」と勝手な会を発足させ乾杯したのとほぼ同時に、話題は伊達丸が振った映画『アース』に変わり、ちぐりんがお正月に観た『椿三十郎』へと移った。

 
 松健がまとめ上げた刺身のケンとツマに対する独自の見解は言語となって発表されぬまま終わり、今度は映画についての話に耳を傾けながら、あれこれと思いを巡らせていたのだ。

 
 ときおり、「自分は…」と、高倉健のようなストイックな口調で、仲代達也みたいな瞳をギラギラと輝かせ、言葉を慎重に選びながら話しを切り出す松健。決して人の話に割って入り、強引に自分の気持ちを挟もうとしない松健。それが松健の魅力なのではないだろうか。
 
 
 言葉にならなかった彼の思いは音楽の中にフィードバックされてゆく。ぺらぺらお喋りの軽薄さがもてはやされる時代。言葉を抑えた彼の感情はギターの音色となって人々の心と会話する。音楽、歌詞、絵、文章などの表現手段が松健に一番適した言語伝達なのかもしれない。
 
 
 以前は中学生に間違われていた松健。最近は髪を伸ばして、トイレでよく女性と間違われるそうだ。その思いは生の声よりも文章とイラストでうまく表現された。気になる方は、ライフさせぼ、1月25日号に掲載されている『松千TOKYOメール』着信27『空港のオアシス』をご覧あれ。無口な松健の心境がおもしろく綴られたエッセイに仕上がっているぞ。(睦月)
 

2007年12月11日

「九十九(くじゅうく)詩人」

  
 一昨日、アルカスSASEBOで羽田健太郎追悼チャリティコンサートを鑑賞した。「天国へ引っ越したハネケンにエールを送ろう!」というテーマで、生前に親交の深かったジャズピアニスト、前田憲男さん等がゲストで訪れスタンダードから、羽田作品、ミュージカルナンバーなどいろんな楽曲が奏でられた。
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 どうして、佐世保市で羽田さんの追悼コンサートが開かれたかと言うと、3年前に西海国立公園50周年記念して市民の生涯学習事業を展開している「させぼ夢大学」という団体が企画・製作した『九十九(くじゅうく)詩人』という歌曲を羽田さんが作曲したのが縁だ。

 全国的に行政などが著名音楽家にイメージソングなどを発注するのは、さほど珍しいことではない。が、この九十九詩人は偶然にも今年他界された羽田健太郎さんと阿久悠さんという日本の音楽シーンに数え切れない業績を残した二人のコラボ作品なのである。

 今年、春には羽田さんは佐世保市、西海パールシーリゾートに建立された記念歌碑の除幕式に元気な姿で列席されていた。

 その羽田さんが九十九島でボートやヨットを楽しみ海や島々にふれて曲をつけ、昭和歌謡を常にリードしてきた作詞家阿久悠さんに詩を頼んだ。CDとして音源も残り、市にとって贅沢な顔合わせで実現した新たな財産が誕生。そして大変貴重な遺作となった。

 さらに、この曲を歌ったのは羽田さんの長女であるソプラノ歌手、羽田紋子さんだ。3年前にアルカス大ホールのステージに立ち、父親が奏でるピアノに美しい歌声を乗せニュー九十九島ソングとして披露した。

 そして今回、真っ白なドレス姿の紋子さんが再び同じステージに登場。亡き父親が九州の西端に残した作品を前田さんのピアノ伴奏で歌い上げた。 

 改めて生で聴いてみて、九十九島というリアス式海岸の自然美を讃えただけでなく、内海の穏やかなイメージがよく表されている曲だと感じた。九十九島はカヤックなどマリンスポーツにも適していて、女性や子ども連れでも安全な岩場が多く、気軽に釣りを楽しめるスポットも人気が高い。
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 点々と広がる緑の島々が天然の防波堤的な役割も持っていて、1年中穏やかなのが特徴だ。荒々しい波が打ち寄せる外海と違い、どちらかと言えば母親のような包み込む優しさを持つ女性的な海……それが九十九島だ。

 紋子さんが歌う九十九詩人のメロディと歌詞には自然と人を調和させるような優しさに満ちていた。ステージトークで紋子さんは、今年、出産して母親になったことを告げた。母になったソプラノ歌手の豊かな歌声は九十九島の波や風のような心地よさをホールいっぱいに響かせ、観る者を安らかな海へと誘いだ。

 人のぬくもりや想い出、別れを九十九島の情景に綴った3番の歌詞は、自然を愛しむ心に普遍的な人間愛を描いてあるようにも思え、二人の故人が次世代へ託したメッセージのようにも聞こえた。

 そんなステージを見守るというより、一緒に参加しているかのような楽しそうな面影を残す遺影がステージ壁面に大きく映し出されていた。音楽で人々に幸せを届けてきた音楽家らしい素敵な笑顔(コンサート)だった。 (師走)

2007年12月05日

「九十九島(くじゅうくしま)♪」

 
 今度は三橋美智也が歌ったという「九十九島」というレコードが出てきた。水前寺清子が歌った「佐世保ばやし」の記事を読んだ読者の方から、「うちに九十九島というレコードがあった」と一報が入った。

 前回「佐世保ばやし」の原盤を教えてくださった黒髪町のTさんに続き、またまた黒髪町にお住まいの方、Mさんからだった。ジャケットを見ると1980年にプリントされたもので比較的新しい。アンコールシリーズと記してあるので、再販企画もののようだ。「踊りつき」という帯文字がなんとも味があるジャケットだ。B面は「長崎ぶらぶら節」が収録されていて、歌詞カードには確かに振付図解書も添付されている。

「佐世保ばやし」にも振付ガイドが添付されていた。今のように娯楽が豊富ではなかった時代、盆踊りや日本舞踊などで踊れる民謡調の曲というニーズが、このようなご当地ソングが生まれる背景にあったこことが伺える。

 Mさんはカセットテープにダビングまでしてくださった。ラジカセで聴いてみると、やはり盆踊りテンポで、♪平戸佐世保にヨ 切なく聞こえたヨ アー サイ サイ 九十九島の音〜などの歌詞が歌われている。間違いなく西海国立公園くじゅうくしまを舞台に描いた一曲である。
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 前回の調べで、かつて「九十九島せんぺい」のCM曲として三橋美智也が歌った「九十九島」という曲が使用されていたという資料を発見した。この曲がせんぺいのCMに流れていたのだろうか?

 昨年わたしがプローデュースした佐世保市のミュージシャンによるオムニバスCD「MUSIC ISLAND99♪」の参加ミュージシャンの1人、長野友美嬢(元ともぞう)は、この音源の存在を知ることももなく、同タイトル「九十九島」という「美しき天然」へオマージュを捧げたワルツテンポの弾き語り超大作を完成させた。

 ミディレコードから初アルバムを発表するために現在京都に住みレコーディングなど準備をすすめている長野友美嬢に電話で、「過去に九十九島というご当地ソングが作られていたぜ!」と連絡すると、「誠でござるか。それはびっくりでござる。是非聴いてみたいものでござるなぁ」とたいそう驚いた。今度、Mさんにいただいたカセット音源を郵送してやろうと思う。

 今度はミッチーが歌った九十九島が出てきた…と呟くと、事務所の女子が「えっ!!」と反応した。どうももう1人のミッチーという有名人を想像したようだ。 (師走)

 
※今月8日(土)発行の月刊誌99VIEW12月号で『田中穂積からサンディトリップまで 歌い続けられる九十九島』の特集記事を書きました。三橋美智也が歌った『西海の火祭り音頭』の写真や内山田洋とクールファイブのヒット曲『西海ブルース』の作曲者、尾形よしやすさんのインタビュー記事なども掲載しています。

※サンディトリップが作った九十九島イメージソング『風音(かざおと)』は、パールシーリゾートに続きJR九州にも気に入られて、12月1日から始まった『佐世保キャンペーン』に使用されています。福岡発のみどり号が佐世保駅に到着した際にホームに彼らの音楽が流れているそうですよ。

2007年11月21日

「嘘つきバービー」

 
 髪の毛を幽霊のようにだらりと垂らした下駄男_uso84.JPG

 ベースギターを引きずりながら のそのそと歩いてやって来る

 薄暗い客席で誰かが囁く

「チューニングは大丈夫?」と

 
 髪の毛を幽霊のようにだらりと垂らした椅子男

 胴体を椅子に結わえ 座らされているよかのような奇異な動きで
 
             エレキギターをかき鳴らす
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 髪の毛を幽霊のようにだらりと垂らした裸男

 貞子のような緑の黒髪を振り乱しながら ドラムを叩く

 三人衆の容姿と形相は 落ち武者のよう

 三人衆の容姿と形相は 妖怪大戦争のよう

 三人衆の容姿と形相は 山に籠もる仙人よう
 
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 電気も消さず あくせくと消費に励む 日出づる国 

 勧善懲悪を愛し 悪逆に手を染める 日出づる国 

 あの輩たちは 我らの胸に棲む欲望と虚無の写し絵か

 音と言葉と動作で 我ら民を 驚かせ 笑わせ 不安にさせ 踊らせる

 客電がつき 我に返った人々は

 狸に化かされたような不思議な面持ちで会場を後にする

 これ全てロックンロールの名を借りる 心の解放楽士
 
 イワシタ! チブ! トヨダ!

 童謡演劇楽団…?「嘘つきバービー」の仕業である 

 今宵も どこかの町で じゃんが じゃんが じゃんが じゃんが 

 頭にバケツを かぶって踊り狂う
 
 どろろどっきんぐに 化かされぬよう ご用心 ご用心


※佐世保出身のロックバンド「嘘つきバービー」が、またまた全国ツアー敢行中。北海道から関東〜関西〜九州、20ヶ所以上のスケジュール。じわじわとファンを獲得しながら、津々浦々にその存在を知らしめている。最終日は12月25日(日)夜8時より地元佐世保「ガァネット」で、元スターリンのヴォーカリスト、遠藤ミチロウ氏の弾き語りロックと二本立てという超ド級のプログラムが展開。ツアーバンドとして感性と妖気を増幅中である彼らの最新舞台VS日本パンク界の重鎮に注目だ。(霜月)

2007年11月20日

「佐世保ばやし」

 先月、このノートで書いた「九十九島の音楽」について新たな情報が舞い込んだので、追って報告することにした。

 平和堂レコードの倉庫に眠っていたシングルレコード、昭和50年代に佐世保レコード商組合がレコード会社に発注して製作したと記した「佐世保ばやし」についてである。実はこの曲それより、およそ10年前にすでにレコード化されていた事実が分かった。

 写真がそのジャケットだ。前回紹介した昭和53年リリース版は、歌手ではなくて、島々を見下ろすカップルを主役扱いしていたのに対して、こちらはデビュー間もないチータこと水前寺清子さんを大々的に使用しているのが特徴だ。suizennji.JPG

 資料を提供してくださったT氏の記憶によると、昭和40年代初め、佐世保の歌を広めたいと「佐世保婦人会議所」のメンバーたちが取り組んで生まれたレコードだったようだ、ということである。確かにジャケットの右上に「佐世保婦人会議所選定」というコピーがクレジットされている。

 レコードに製造年月日は記録されていなかったが、歌詞カード下に「佐世保玉屋」の広告がプリントしてあった。「バラは愛の花ことば 感謝はタマヤの合ことば」というコピーの横に創業50年の記念ロゴが入っている。そこに1967の数字を発見。村上龍の「69」の2年前、昭和42年に製作されたものであることが伺える。

「昔から町内の盆踊りで流れていた」「今も東浜町の夏祭りで使っている」という年配の方々からの声もあり、もう一枚の原盤があるのかもしれない…と、推測していた矢先、T氏が自宅に保存していた当時のレコードを見つけ出し、ジャケットをカラーコピーして送ってくださり、謎が解けた。

 という訳で、本日のトリビア。国民的大物歌手、水前寺清子が若き日に佐世保市の名所である九十九島(くじゅうくしま)などを歌った「佐世保ばやし」のシングルレコードは昭和42年版と53年版の二種類がある……へえ〜ぇ へえ〜ぇ へえ〜ぇ……の「90へぇ」。


※「九十九島と音楽」はこのノートからスピンアウトしてライフさせぼ発行の月刊誌「99VIEW」12月号(12月8日発行予定)で特集記事を組むようになった。       (霜月)

2007年11月01日

「九十九島(くじゅうくしま)と音楽」

 軍港として栄えた佐世保市は、明治時代に佐世保海兵団軍楽隊楽長を務めていた田中穂積が作曲した日本最初のワルツと言われる「美しき天然」(作詞:武島羽衣)という名曲が生まれた場所だ。
 
♪ちゃ〜ら、ちゃちゃちゃ、ちゃ〜らら、ちゃらら〜らら〜ら〜、というスローワルツの覚えやすいメロディーは、サーカスのジンタやチンドン屋の演奏として親しまれ日本中に広がった。その後植民地下の朝鮮半島へ渡り人々と共に遠くロシア、中央アジアまで流れ、今も歌い継がれていたことが作家、姜(きょう)信子さんの研究などで明らかになっている歴史的な曲だ。
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 どこの町にもご当地ソングはあるものだが、佐世保の場合はこの『美しき天然』のように西海国立公園である九十九島(くじゅうくしま)を題材にした曲が、戦後もたくさん作られている。昭和35年には銘菓「九十九島せんぺい」のCMソングとして三橋美智也さんが歌った『九十九島』という曲が誕生している。地元の尾形よしやす氏が作曲した『西海ブルース』は昭和53年に内山田洋とクールファイブによる全国版としてヒットを放った。

 その他、團伊久磨さんが昭和44年に作曲した管弦楽と合唱のための『西海讃歌』も有名。西海国立公園制定50周年の一昨年は記念事業も多く開かれ、「させぼ夢大学」が九十九島の新しい歌を残そうと、羽田健太郎さんに作曲を、阿久悠さんに作詞を依頼。昭和の音楽界をリードした偉大な二人が共作で生み出した『九十九詩人(くじゅうくしじん)』という曲がお披露目され、CDとなって学校や公共施設、式典などを通じて多くの市民に配布された。惜しくもお二人とも今年他界されてしまい、佐世保市にとって大変貴重な遺作ともなった。
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 ちなみに私も同じ年、地元ミュージシャンに九十九島のある佐世保での暮らしを題材にした曲を作ってもらい『MUSIC ISLAND99♪』というライブイベントを企画、開催した。『小さな、船の旅』(Mayumi)、『僕らの唄』(赤崎コンパ大學)、『九十九島』(長野友美)、『風音』(サンディトリップ)の4つの歌が誕生。オムニバスCD『MUSIC ISLAND99♪』を製作して、ライブにきてくれた方々にプレゼントした。それぞれ、今もライブで大事に歌い続けてくれている。
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 インペリアルレコードからメジャーデビューして活動を行っている松千も九十九島でヨットに乗った時の心模様を歌った『虹色のいたずら』という作品を1stシングル『ショー』の中に収めている。

 そして、私自身はも記憶はないが、水前寺清子さんが九十九島を熱唱した『佐世保ばやし』という一曲があることを市政100周年年に佐世保市が発行した記念誌「佐世保辞典」で知った。そのオリジナルレコードがなんと「平和堂レコード」の倉庫に眠っていたのである。この秋の仮店舗移転のおりに約300枚の在庫が発見された。社長に話を聞くと、昭和50年代初頭に佐世保レコード商組合のメンバーが「佐世保の盆踊り曲を作ろう」と企画して、レコード会社に製作を委託。人気歌手の水前寺清子さんを起用したオリジナル曲が完成。島瀬公園で商店街が開催していた盆踊り大会のメイン曲として使用されていたそうだ。hayasi03.JPG 
 
 早速、私も入手したが、残念なことにプレーヤーがなくまだ再生していない。佐世保辞典の解説には、現在でも盆踊りやおくんちで欠かせない曲として親しまれている、と記されてるが、どんな曲なのか。現在は「おくんち」の規模も縮小されているので、今も欠かせない曲かどうかも定かでない。B面の『佐世保ん娘』の、ぶっ飛んだ歌詞も興味をそそる。チータこと昭和を代表する大物歌手が、どのようなパンチの効いた歌唱力で佐世保を歌い上げているのか気になる。
 
 クラブのDJに頼んでみようか? いやいやプレーヤーを持っている知人に再生してもらおう。当時のお値段は600円と記されている。なんともプレミアムな佐世保限定のお宝EP版なのである。   (霜月)

 

2007年09月05日

「スカイジャンボリー07体験」

 シャトルバス発着地である長崎港ポートパーク駐車場に着いた。拙者は七星特別仕様薄味を、伊達丸は駱駝をポケットから取り出しライターで火をつけ、禁煙の旅でしばらくんの間切れていたニコチンを補充した。

 ここで佐世保のロックバンド「アトミックコックビーチ」のドラマー野上くんと合流。シャトルタクシーに乗り込み3人でスカイジャンボリー07の会場、稲佐山公園へ向かった。野上くんは大のスカジャンファンで、毎夏稲佐山に登っている。スカジャンデビューとなる拙者たちにとって、初登山のルートを案内してくれるポーターのような頼もしい“まなか”だ。車中もスカジャンの魅力を語ってくれた。

 標高333メートル。ぞろ目のお山、稲佐山。頂上から望む夜景は全国的に有名だ。昼間はロープウエイと並び頂上にそびえる電波塔の姿も実にシンボリィックである。観光名所として名高いこの山の8合目辺りに稲佐山公園が広がる。なんと2万人規模のコンサートに対応できる野外ステージを備えた公園だ。佐世保と人口の差をはあるにせよ、市民が屋外でコンサートを楽しむというコンセプトのもとに立派な野外ステージがちゃんと機能していること自体に文化の差を感じてしまう。DSC_0002.JPG
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 お〜う!! すごい人出だ。ステージに向かってゆるやかに傾斜した芝を埋め尽くす勢いで人々が陣取っている。まるで公園に巨大な人の絨毯を広げたような光景だ。干尽公園時代のサンセット99ジャズライブの空間にも似た雰囲気だが、なにしろ規模が違う。ぱっと見た目で1万人くらいいるのでは?と思ってしまった。

 野上くんのガイドでとりあえず、客席中間辺りにクーラーボックスを置いて陣地をキープ。ステージ間近のスタンディングエリアにも近いし、動き周りやすい場所がベストポジションなのである。「よう、こいだけ若者の集まるね。凄かね」と伊達丸と第一印象を交わす。
 
 トップバッターの10ーFEETからボルテージは最高潮に達したような開放感たっぷりのサウンドが響き渡った。丘の傾斜に波打つの人間ウエーブも圧巻だ。よしよし、せっかく公共交通機関を利用してここまで来たのだ。飲みましょう。飲みましょう。う〜っ!! 照りつける夏の太陽。青い空と緑の抜けるようなコントラスト。ピクニック気分の芝の香りの中で飲む麦酒のうまさはをなんと例えればよいのやら。太陽光線に負けない勢いで音楽パワーが放射されているような気持ちよさ。これぞ人類が太古から続けてきた魂を揺する生命パワーの証、「祭り」の基本なのではなかろうか。音楽を介して誰もが自由なスタイルで参加できるお祭り気分こそ夏フェスの醍醐味なのである。DSC_0108.JPG
 
 超ハッピーな気分にさせてくれたファンキーモンキーべービーズ。リッキーGのレゲエもロケーションにぴったりだなあ。おっ!!クロマニヨンズでロッカースピリットに火がついたのか?いつの間にか伊達丸も上半身裸で会場内を行ったり来たりしているぞ。DSC_0106.JPG あらあら、ザ☆ホネホネロックスのギタリスト、ヨウコちゃんも来てたの? あ、こちらがアシッドドライブのリーダーさん、あれhatchじゃない? と佐世保のミュージシャンたちも九州を代表するこの夏フェスに数多く足を運んでいた。いや〜楽しいね。楽しいね。乾杯!乾杯!麦酒何本飲んでも、すぐ汗になって澄み渡る8月の空の彼方に飛んでいくぜ〜We Love Musicだあ!

 九州圏内はもちろん、関東方面からも人を惹きつける魅力を発信するイベントに成長したスカジャン。オープニングからラストまで変わらぬ会場の一体感を肌で感じながら、音楽文化を核とするFM長崎のプロデュース力に感心した。実に素晴らしい音楽イベントだ。楽しかった。また来年も日焼けしながら、心に音楽を焼きつけたい。 (長月)

2007年05月18日

「DJマークのこと」

 昨年に引き続きライフdeライブのMCはFM長崎のパーソナリティ、DJマークにお願いした。お目当てのグループ演奏だけでなく、全出演者のステージを一つのショーとして客席に届けるのがこのイベントの目的でもある。ただBGMを流しているだけでは、観客の入れ替わりは否めない。そのためにはバンドの転換時をどうつないでいくかが大きなポイント。司会・進行役の力がものをいう。

 特に昨年からバンドサウンドをメインにプログラムしている。今回は全てロックバンド。表現スタイルもサウンドも大きく異なる。バラエティな顔ぶれながら、聴く側の好みもハッキリ出てしまうリスクも感じる。舞台監督のハウリン伊達丸と一緒に練った、これまでで一番の冒険企画だ。
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 喋りが上手なプロの司会者は山ほどいる。DJマークも喋りで食べているプロの一人だ。理知的で柔らかいボイス、場の空気を読む力、語彙、アドリブ力、冷静さ、気配り……歯切れがよくて親しみやすいトークセンスの持ち主だ。
 
 彼の生まれ故郷は焼物の里、波佐見町。実家は陶器の卸商社だ。幼い頃から陶器市などで商売のお手伝いをしていた。見知らぬおじちゃんおばちゃんたちとテンポよく言葉をやり取りする対面販売が喋りのベースになっているのかもしれない、と本人が語っていたことがある。

 佐世保南高校時代はバンドを組むなど音楽に傾倒。現在もギタリストとして活動しているミュージシャンという顔も持つ。以前彼を取材した時「音楽は絶対に自分を裏切らない大切なものですね」と瞳を輝かせた。

 音楽に関われる仕事に就きたい……長崎大学卒業後、FM長崎に入社した。音楽が一日中流れる職場。商いを通じて育んだ人と心を交わす言葉は、大好きな音楽と一緒に電波に乗った。

 中でも同局のパーソナリティ平川歩美さんと夕方4時から生放送でオンエアしている『Gラジ』は、二人の個性と感性が特に輝く人気番組だ。ボケとツッコミを思わせる軽快なコンビネーションは、二人が合わせ持つリズム感から生まれる喋りのデュオにも感じる。
 
 FAXやメールによるリスナーとのコミュニケーション、多彩なゲストアーティストへのインタビュー……楽しい会話の中に二人の音楽へ対する情熱と豊かな知識が、さりげなく盛り込まれていて、全国にも通用する音楽情報番組としてのテイストを感じさせる。

 二人のトークデュオはライブで流れる。月〜木までの夕方、長崎駅の公開スタジオ「かもめスタジオ」から放送される。移りゆく景色と人の流れを目の前に路上ライブを行うミュージシャンに似た視点で音楽の楽しさを発信している。

 佐世保のミュージシャンたちもマークと平川歩美さんにシンパシーを感じている人が実に多い。それはジャンルに関係なく音楽という共通語を分かち合える親近感からきているようだ。ライフdeライブがFM長崎とコラボレーションするようになり、佐世保の音楽の息吹は電波を通じてさらに広がりを増していることも特に今年はひしひしと感じた。

 アルカスSASEBOのステージでマイクを持つDJマーク。ラジオで『Gラジ』を聴くときと同じ安心感と親しみが会場を包み込む。音楽好きのマークが次はどのバンドを、どのような言葉で紹介して、ステージに登場させるのか……? ラジオと同じく音楽とリスナーを結ぶ架け渡し役として、今年も力を発揮してくれた。
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 イベント司会者ではなく、彼自身が出演者として、多くの観客に受け入れらていることがライフdeライブの新たな魅力なっているのである。

 後日、ハウリン伊達丸に「昨年以上にマークに助けられたね。今後はマークが紹介する佐世保のミュージックショーというイメージをもっと前に出して行きたかね」と問いかけた。「そうね。マークのMCは若者でも年輩者にも伝わる安心感のあるよね」と感想が返ってきた。「次回も欠かせんね!」「そうね。ライフdeライブのエド・サリバンみたいな存在になってきたもんね」

 そうだ。伊達丸が言う通り、さまざまなアーティストたちを紹介していたアメリカの人気テレビ番組「エド・サリバンショー」みたいな構図ができつつあるのだ。いつか平川歩美さんとDJマークが揃ってステージに並ぶ佐世保のサリバンショーを創ってみたい。マーク来年もよろしく!  (五月)

2007年05月12日

「ライフdeライブVol・5写真箱」

_MG_5581.JPGライフdeライブの写真でござるぞ。
出演/★ザ・チューチューチュートルズ ★赤崎コンパ大學
   ★THE ROWS ★嘘つきバービー
_MG_5970.JPG _MG_6087.JPG _MG_5890.JPG _MG_5732.JPG _MG_5831.JPG _MG_5850.JPG _MG_6063.JPG _MG_5770.JPG _MG_5630.JPG _MG_6105.JPG _MG_5667.JPG _MG_5710.JPG _MG_5568.JPG _MG_5568.JPG

2007年05月09日

「ザ・ロウツとROCKな朝…」

★打ち上げ 
 
 飲んだ。飲んだ。飲んだ。

 ライブの打ち上げだ〜。約40名の大宴会。いつもそうだが、宴の時間はあっという間に過ぎる。

 もっと語り合いたいのに全員と言葉を交わせないまま時は過ぎゆく。顔、笑顔、顔、笑顔、顔、笑顔。

 一次会から二次会、三次会へと所と酒、肴を変え、下京町、三浦町、京坪町あたりをロックンロール人民が、わいわいがやがや大移動。

 語り、飲み、語り、飲み、悦楽の酔いと、恍惚の睡魔。

 それでも顔、笑顔、顔、笑顔。いつもは布団の中で夢を見る時間。
我らは、キキキキと笑い声を上げ、グラスを片手に夢を語るロックンロールなる酔いどれ人民になる。

 いつの間にか、夜空が青く明るみを帯びてきた。
あれだけいたロックンロール人民はいつのまにか5人(宮本氏、ミッチャン、おにいちゃん、伊達丸、拙者)になった。夜の帳にケラケラと美しき笑顔を振る舞って消えた彼らは、いまいずこか?DSCrow2.JPG  

 残された我らは、ネオンが消え、シャッターが閉じた歓楽街をとぼとぼ歩いておるが、まだまだ語り足りぬ。「最後はラーメンでシメますか!」5人で「お栄さん」の暖簾を目指した。

 拙者と宮本氏はラーメンができるまで、まだまだビールを酌み交わし、明けゆく夜に抵抗した。が、やがて湯気をたてラーメンがテーブルに運ばれた。これで楽しかった宴もいよいよクライマックスだ。

 DSrow0040.JPG特に今年は数カ月にわたり、ライブに向けて電話で打ち合わせを行ってきた宮本氏との別れが名残惜しい。しかも、一昨日は彼の誕生日だったなんて。宴会まで知らなかった。なんたる偶然。いろんな意味で感慨深いライブだ。

「やっぱい佐世保のラーメンは旨かぁ」と宮本氏が久しぶりの故郷の味に喜びの声を発して、スープを啜る。

 拙者はサザエさんやちびまるこを見ながら、楽しかった休日を噛み締め、月曜日というブルーな現実へスイッチをチェンジしていく小学生のような切ない思いで、ハッピーな宮本氏の笑顔と佐世保ラーメンの旨味を酔っぱらい脳味噌に刻んだ.
 
 「じゃ、また」「本当にありがとう」「元気で」「楽しかったです」
別れ際に交わす言葉は単純だ。これぞ、終わりなき気持ちのキャッチボールなのである。

 昼間より清清しいコンビニの明かり。新聞配達のバイク。車内にかすかに響くAMラジオ。
夜空が青色から白色に移る。タクシーの座席で、見慣れた街並を眺めながら、ロックンロール人民どもが現実に帰って行く朝を感じた。row_0046.JPG

 

♪THE ROWS 
 
 この日の午後、宮本氏が率いるロックバンド、THE ROWSは佐世保駅、フレスタSASEBOのパティオの特設ステージに再びその勇姿を現わした。

 早朝、「お栄さん」の前で別れたギターのミッチャンがアコギの弦を張っていた。
 
 昨日のライフdeライブと同じ皮ジャンスタイルだが、ベース以外はアコースティック。
毎週金曜日の夜、吉祥寺の路上で行っているアコースティックスタイルのライブも故郷で奏でた。
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 オリジナル曲に加え、カヴァー曲も披露。体に染みついた音楽感の幅広さも見せつけ、ギャラリーからはアンコールの声が飛び交った。最後は持ち歌の「ホワイト・リムジン」を熱唱。
 
 27日(金)の「ひととき」のアコースティックライブ。28日(土)のライフdeライブ。そして、29日(日)フレスタSASEBOで再びアコースティックバージョン。

 ゴールデンウィーク序盤の3DAYS佐世保ツアーを大成功させた4人は、器材を山のように積み込んだツアーカーに再び乗り込み1000kmを越す道のりを経て東京へ帰っていった。
 
 ザ・ロウツのロックンロール・ウェイに栄光あれ。   (五月)

2007年04月02日

「ライトinガァネット」

DSCF1233.JPG マクドナルドを通り過ぎると、背の高い女性が拙者に気づきニヤニヤ笑って出迎えた。「こんばんは、えらい今日はかわいいですね。パーカーなんか着ちゃって!どうしたんですか?」と、うた歌いのMayumi嬢がオフの拙者の姿をからかった。

 Mayumi嬢や音響技士のユリさんなどと喫煙コーナーでしばらく談笑しながら煙を吹かし店へ入った。

 地下につながる12階段を降りる。人、人、人。ステージ前に設けられた約70席は満席だ。カウンターの中でママが一人でドリンクオーダーに追われている。

 アーケード脇にポツンと佇むパーラー風の喫茶店「ガァネット」。地下に広がる店内は昼と夜でその表情を変える。今宵はライブが開かれる日だ。3月21日にフルアルバム『光りのピース』をリリースした松千が同店を拠点に開催しているイベント「ライブスイッチ」が10回目を迎えた。DSCF1165.JPG DSCF1179.JPG

 彼らにとって10回目の節目であり、レコ初全国ツアー「ピース・オブ・ライト」の初日であり、佐世保で初めてとなるワンマンライブという、おめでた3連発の記念すべき夜だ。

 本日はチケット完売。満席ということで拙者の席はカウンターの中に決定。忙しく働くママの邪魔にならないように、業務用冷蔵庫の上に腰を下ろして大人しくステージを見つめた。なかなかよきアングルじゃ〜。缶ビールのプルリングを抜きながら、臨時VIP席で久しぶりに松千のライブを堪能できる喜びを噛み締めた。

 大きな拍手でマツケンとちぐりんが、鮨詰め状態の花道に登場。熱い手拍子を受けながら、アップテンポ曲「ショー」でライブがスタートした。

 およよ〜。マユケンがエレキギターを弾いているではありませぬか。繊細でブルージーなアコもいいけど、エレキの音色もかっこいい〜ぞ!マツケン! てな具合でアルバム収録曲を中心に会場一体化となった松千ワールドが次々に展開。

 メジャーデビュー後、全国各地にライブ活動を広げた二人。さらに楽曲とステージングの幅が広がり、以前よりひと回り大きくなっているのを感じた。きっといろんなライブ会場で経験を積んだ結果だろう。二人のハートがますます豊かになったことを実感させる見ごたえのあるステージだ。

 中盤にはゲストMayumi嬢を迎えセッション。終盤にはなんと地元小学生ベーシストと「ハローフレンド」をセッションというサプライズのおまけつき。現在全国ネットで流れている東芝テックのCMソング「ライト」では、観客が皆で揃って蛍光スティックをふりかざすという幻想的な一幕も。DSCF1191.JPG
 
 あ〜なんとアットホームなライブだ。マツケンとちぐりんの人柄と唄心は確実に人々の心に届いているぞ。ママ「もう一本ビールちょうだい」と拙者もいい気持ち。いい心持ち。ついでに顔も赤らめ、いい面持ち。

 二人がライブを始めたホームグラウンド「ガァネット」。ここを満員にする。それはメジャー、インディーズに関係なく、佐世保のミュージシャンの一つの目標だ。とても小さなステージだが、500人、1000人規模のホールを埋めたのと変わらぬ達成感と緊張感が味わえる特別な場所だからだ。

 この夜、松千がお客さんと一緒に放った「光のピース」は、ここガァネットを皮切りに全国の人々の心を照らす旅に出る。松千!いってらっしゃい。ママ!ビールもう一本、ちょうだいなあ〜。  (卯月)  

2007年02月23日

「5.3 GO! MUSIC死す 」

 拙者がプロデュースしておりまする「ライフdeライブVol・5」の出演者がようやく固まりました。己の信じるロック道を歩んでいる骨のある4組が顔を揃えてくれることになりました(ライフHPから4組のオフィシャルサイトへジャンプできます。詳細をお楽しみ下さい)。拙者も20年前にタイムスリップして思いきり「レッツ・ロック」してみる心づもりでおります。

 本年も舞台監督を務めるハウリン伊達丸氏は現役のロッカーでございます。弦が切れてしまう爆音ギター&ヴォーカルでJポップとの狭間で少々消沈気味の日本のロックへ長年魂を送り続けておりますが、その音心もいささかハウリ過ぎ(?)てどこへ届いているのやら……?と思うこともあります。が、そんなロッカーだけに、今回のプログラムには特に心強いのです。ガァネットで「サタデー・ナイト・ライブ」、小佐々町で「冷水ロックフェスティバル」を築き上げてきた人物でもあります。今回のライブでよき参謀役として、本領を発揮してくれると楽しみにしております。

 司会・進行は昨年に続き、喋るミュージシャンとも言えるFM長崎のDJマーク氏。そしてまもなく完成するフライヤーのタイトル文字を画家の、まつかわゆきこさんに手がけてもらいました。ロックが分かる絵描きさんだけあって、狙い通り躍動感あふれるタイトル文字が生まれましたぜ! 3月上旬に印刷され、街のあちらこちらに配布いたしますので、こちらもお楽しみください。


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 さてさて、ここからが、本題でありまする。昨年まで毎回5月3日に標準をあえ合わせ、「LIFEdeLIVE 5.3 GO!MUSIC」のタイトルで開催して参りました本音楽イベントでございますが、本年は4月28日開催の運びとなりました。5月3日のゴロ合わせで生まれ、少しずつ愛着が出てきたタイトルでありましたが、今回から「ライフdeライブ」という名称のみで開催することにいたします。

 理由は単純です。アルカスSASEBOのイベントホールが5月3日に、すでに他の催しで空いていなかったのでございます。公共ホールの宿命でありますので、これはいた仕方ございません。ただ時折、「!?今年は5月3日じゃないんですか?」という質問を受けることがございますので、この場を借りて説明させていただきました。

 来年以降の開催日程は未定ですが、今回を機に5月3日に執着する必要はなくなりましたので、ゴールデンウィーク頃という緩やかなスタンスで企画を練っていければと考えております。

 そういう訳で、フライヤーやポスターをはじめFM長崎など情報媒体を通じて4年間、発信して参りました「5月3日はゴー!ミュージックの日」と言うキャッチとロゴは他界いたしました。かわいがって下さいましたミュージシャン及び関係者、オーディエンスの皆様方、大変お世話になりました。ありがとうございました。そしてサヨウナラ。「ゴー!ミュージック」……。合掌。  (如月)

2007年02月14日

「ともぞうのこと 二」

  【明け方の星はどうして はじまりの空にほんの少しだけ
  さびしさ散らして消えてゆくの 答えの出なかった昨日と
  また同じところにいるわ 遡って 遡ってみたけれど】
                 「明け方のブルース」作詞作曲/長野友美

 
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  平成十七年五月三日。第三回目となる『ライフdeライブ・ゴーミュージック』を開催した。
 
 出演はクラシック畑から飛び出したボーカル、ヴァイオリン姉妹ユニット「BONO」。『真夜中のラジオ』がヒット中の「赤崎コンパ大學」。三年連続出場となる「松千」は、インペリアルレコードからメジャーデビューが決まり、今回でライフdeライブを卒業。全国進出へのはなむけライブも兼ねた企画を練った。
 
 話題の三組に加えて、急きょ出演を決めたともぞうにはすでに演奏時間枠も限られていたためオープニングを飾ってもらうことにした。
 
 客電が落ち、ホールのざわめきが消えた。司会者に招かれ仄白く浮かぶ舞台に、大きな花びらの髪飾りをつけたともぞうが、ほつほつと歩いて現れた。椅子に腰かけギターを鳴らした。会場に三ヶ月前に私が体験した意識の中の静寂が蘇った……日常の雑音をかき消して無から生まれてくるような音色と言葉。それは、澄んだ空気の中で海や野山の有機物と向かい合った時に覚える、研ぎすまされた感覚にも似ている。

『明け方のブルース』『何もない日々』……ともぞうが紡ぎ出す歌は平凡な日常をスケッチしているような写実性に富んでいる。ストレートな感情や大きなメッセージが描かれることは少ない。毎日行き来する道ばたの佇まい、空、星、月、海、川、木々……四季の移ろいをこつこつと写生しながら、そこに自己を対峙させる絵描きの目を感じる。美術館で絵画鑑賞をしているような面持ちで舞台を見入る観客たち。ともぞうの歌(絵心)に何を感じているのだろうか?

 ともぞうは曲間にMCでなく自作詩の朗読を挟んだ。それは日常の具象化ではなくファンタジーの世界を抽象画で表現したような『歌うたいみたいな彗星の話』という詩だった。黙々と演奏を終え「ごきげんよう」の言葉を残し舞台を後にした。百均ショップで見つけた造花の髪飾りがライトに映えた。飄々としたその姿はもの静かながら、パンクバンドに負けない鮮烈な印象を人々に焼きつけた。 IMG_0440.JPG

 出演者の中で最も若年ながら風格すら感じさせた松千の演奏終了後、出演者全員が舞台に揃い二人のメジャーデビューを祝って喜納晶吉の『花』を大セッション。BONO姉妹のピアノとヴァイオリンの艶やかな音色で華やかさが増し、会場のあちこちに笑顔の花が咲いた。ほのぼのしたムードに舞台の上でマイクを握るともぞうの顔もほころんだ。      (如月)

2006年12月13日

「ともぞうのこと」

          【来春メジャーデビューが決まった地元シン
          ガー長野友美さんが今月23日に神戸へ居を
          移すために旅立つ。寂しくなるが、彼女の門
          出を心から祝福したい。そんな彼女のひとと
          なりを綴ることにした】らいふの まきたろう


 平成十七年二月四日、日曜日。立春だが、空は寒々しい灰色だった。人々は凍てつくような強い寒気に耐えながら、アルカスSASEBOの広場にテントを設営してスマトラ沖・地震津波を救済するためにチャリティバザーとチャリティーコンサートを開いた。020.JPG 

 私は撮影の手を休め、一杯百円のチャイを買った。外套の襟を立て、紙コップの温もりを掌に当てながら暖をとっていると、透き通るような女性の歌声が聴こえてきた。素朴な弾き語り演奏だったが、その声と詩がなぜか心に引っかかった。

 毛糸帽子と外套に身を包み、かじかむ指でコードーを押さるそのうた歌いの姿は女性だったが、名を「ともぞう」と名乗っていた。最近の流行歌は少々苦手になっていた私は、凛とした声質と、心模様や情景を写実的にとらえた奥深い詩情世界に郷愁を覚えた。それは、音を発しているのに時間が止まったような静寂を感じてしまう不思議な心地よさだった。    

 多くの軽音楽人は大なり小なり国内外の流行歌に刺激をうけながら模倣と創造を繰り返し、独自の音世界を追い求めるものだ。が、彼女は何に触発されて詩を書き歌にしているのか、すぐには伺えなかった。「今どき、なぜ若い女性がこんな歌をっているのか?」それが正直な印象だった。

 演奏終了後。私は彼女に駆け寄り声をかけた。五月に私が企画する「ライフdeライブ」に出演して欲しいと用件を伝えた。010.JPG 
 
 ともぞうは、演奏の緊張から解き放たれたように、洟をすすりながら微笑んだ。ためらうことなく「はい。ぜひ、お願いします」と朴訥な言葉で承諾した。その面持ちになぜか、文庫本に載っている中原中也の顔写真を思い出し、文学の香りを感じた。 
 しかし、彼女は文士ではなく、絵師だった……。

 ともぞうは、父親から譲り受けたヤマハのギターを収めたケースを提げ、笑みを浮かべ会釈すると、♪また冬が戻ってきたような風〜、の中へと帰って行った。〈つづく〉              (師走) 


2006年11月20日

「アーケードで、あとしまつ!?」

DSC_0011.JPG 
 本日夕方、アーケードをデーモン閣下が闊歩した。「エッ!!本物?」と立ち止まる人。写メを撮る人。「すいません」とサインを求める人。ちょっと照れくさそうにサインをしていた彼ら。その正体を道行く人々はきっと気になったに違いない。

 彼らは聖飢魔||のカヴァーバンド「跡紫魔||(あとしまつ)」。12月3日に三ヶ町のROGIQで開く初ライブ『地球デビュー記念黒ミサ〜悪魔が来たりて1・2・3!ダァ〜ッ!』のPRのため街頭でフライヤーを配っていたのだ。
 
 声を聞きたくて、デーモン閣下に何かコメントをちょうだいよ!と頼むと「佐世保の征服が始まるので、助かりたければ、われわれのミサに集え!」 お〜皆さん、声も似てますぜ。本物に! ライブ前売りは666円。当日料金は6,666円だということ。ミサ開始は3日夜8時30分。(霜月)

2006年11月14日

「ウクレレを抱いた渡り鳥」

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 先日、「ウクレレを抱いた渡り鳥」こと藤井康一さんのライブを初体験した。ワイワイ緒方さんの大プッシュアーティストなので「生をこの目に焼きつけとかんば」と、正直少し義務感に肩を押されて、できたてほやほやのライブハウスROGIQへ向かった。
 
 ところがどっこい、こりゃ凄い。観てよかった。久しぶりにライブの面白さが全身に蘇り、鈍っていた五感を覚醒した。これぞ舞台、表現者、エンターテイメント。佐世保でこのような一流芸を観ることができるとはラッキー。これは、私が最も好むロックンロールの「気」を発している表現ではないか。
 
 ウクレレに、ボイスパーカッション、ボイスサックス、ボイスエコー、ボイスエフェクター、ボイス効果音……たった一人で会場を笑いで包み「気」を飛ばす。牧伸二さんを師匠とあおぎ、ウクレレを弾き始めたそうだ。昔テレビで観た牧伸二さんのオリジナル漫談ネタまでカバー「やんなっちゃった」は時が経っても絶品だ。
 
 客席でごきげん顔だったスーツ姿の社長さんや、弾き語り詩人の友蔵様までステージに上がり「チャンポンダマンボ」「テキーラ」に合わせダンス・ダンス・ダンス。アルカスのホールではなく、佐世保に今までなかった小劇場的空間もいい演出効果を放っていた。会場全体が笑顔を共有できる極上のライブパフォーマンス。たった1本のウクレレで世界を飛び回り、歌で笑える逞しき想像力に栄光あれ。   (霜月)

2006年10月20日

「風音せんぺい」

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 サンディトリップのKAZUくんとAYUMIちゃんから、今月29日にタワーレコードで全国リリースするミニアルバム『風音(かざおと)』と、九十九島せんぺいの手みやげをもらった。
 
「この町に住んで感じることを歌にしたい」と地元で創った音を地元から発信することにこだわって創作とライブ活動を続ける二人。おみやげもやっぱり地元名菓なのだ。
 
 新譜のテーマ曲となっているこの『風音』という楽曲、今年の春に開かれた九十九音楽祭のスペシャルプログラムで拙者がプロデュースした「MUSIC ISLAND99♪」でライブと非売品CDで発表した九十九島のイメージソング。AYUMIちゃんが展望台などに足を運び九十九島から受けた心情風景を詩におこし、KAZUくんが曲をつけて生まれた。
 
 穏やかな内海に点々と浮かぶ九十九島の持つ優しさが伝わってくる心地よいリズムとメロディーで親しみやすい曲に仕上がった。二人が、ふるさとへの想いをさらにつのらせた1曲。新たにレコーディングしなおされ、アルバムになって堂々登場だ(全5曲入)。   (神無月)
 
※10月28日と29日の午後4時30分から平和堂前で発売記念インストアライブも行うそうだ!