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2014年07月12日

赤ちゃん日記(17)

ファンタスティック・ハイハイ


カーペットの上で腹ばいになった菜々子が両手をつき、ゆっくりと顔を持ち上げた。

「ほらお父さん見て見て、ななちゃんがほら」

玲子が興奮した声で修次を呼んだ。

「おっ!ななちゃん!」と修次が傍らに駆け寄る。

「ここからが問題さね」

玲子が菜々子に顔を近づけ真剣なまなざしで見守る。


これがハイハイの始まりだ。

「よ〜し頑張れ〜」
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エールをおくる両親に向かい菜々子が「パブウ〜」といくらチャンみたいな声を愛らしく頬笑んでいる。

「見て見てかわいかよね」

菜々子のしぐさに玲子が修次の肩をたたきながら声をはずませる。


……うむ。確かに可愛い可愛くてたまらない。つらいことも一瞬に忘れてしまう至福の瞬間だ。


できればいつも今のような可愛い菜々子でいて欲しい。どうしてぐずったり、夜泣きで困らせたりするのだろう?


いや、自分だってきっと同じように父母をあれこれと悩ませ育ったはずだ。と頭では分かっているのに、泣きやまないわが子にげんなりしてしまう現実がある。


そういうとき、二十四時間子どもと一緒に過ごす母親たちが時に育児ノイローゼーに陥る心境も少しわかる気がする。


♪人生楽あらりゃ 苦もあるさ〜の歌の通り、子育ても山あり谷ありなのだ。


だが、われわれ男衆はこと育児に関して「苦」を避けている傾向も強いのではないだろうか……。可愛いシーンに触れるのもよいが、母親の目に見えない苦労も想像し、理解するという精神的サポートが案外大事なのかもしれない。

「お父さん! なんばボサーってしとると」

「あ、ごめんごめん。そうだっ。ビデオば撮ろうか!」

「そうね。最近撮しとらんもんね」

液晶画面の中に腹ばいになで手足をばたばたさせる菜々子の姿が浮かび上がった。バタフライのような動作がこれまた愛らしい。

「あらら、ななちゃん、反対よ。前に進まんば」

玲子の指令を振り切り、菜々子が突然お尻を振りながらバックを始めた。


まだうまく前進できないが、こんなに小さくても自力でわが身を移動できるようになったのだ……。


赤ちゃんってほんとうにすばらしい。

2014年06月25日

パパの赤ちゃん日記(16)


真夜中のドライブ

オムツも替えた。寝巻きも変えた。ミルクも飲ませた。が、眠ったと思うとすぐ火がついたように泣く。


午前二時十八分。修次と玲子は重たい瞼をこじあけながら、部屋中に轟く泣き声を聞きながら途方にくれていた。

「やっぱい、どこか具合のわるかっちゃろか?」

玲子が『赤ちゃん育て方百科』のページをめくりながら心配そうに呟く。


大人なら「頭いたい」「熱ある」「尻がかゆい」とか言葉で意思表示できるが、赤ちゃんの伝達手段は、泣く、もしくは笑うという動作が主だ。


いくら血がつながった親とはいえ、一体どこがどんなで、何がどうなのか、なかなか判断がつかない。
止まぬ泣き声という不安をかかえ夜は更けていく。

「よし! わかった!」
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修次は金田一耕助シリーズの等々力警部のジェスチャー付で平手を打った。


玲子はこの状況下でギャグをかます夫に一瞬あきれ、うつろな声で、

「なんがわかったと?」

「ドライブだよ! ドライブ! 会社の吉田センパイがいつか言いよらしたとさ。赤ちゃんは車の振動に安らぎを感じるって」

「ほんとね〜?」

国道から、みなとインターへ入り、大塔インターで下り、再び真夜中の国道を走っていると、菜々子が静かに眠りについた。

「さすが子どもさんを二人も育てとらす吉田さんね」と玲子が先輩のことを褒め称える。


黄色信号が点滅する交差点で朝刊を積んだバイクとすれ違う。

「うわぁ、もうこがん時間?」

自宅に戻り、布団に菜々子を寝かせ、修次と玲子は「ふ〜っ」と長いため息をもらしながら床に就いた。


それからどれほど時間が経ったのだろう。二人は再び菜々子の泣き声で目を覚ました。


カーテンが明るみをおび、もう朝が始まろうとしていた。(つづく)


2014年06月23日

パパの赤ちゃん日記(15)

夢をつんざく泣き声

「今日はカボチャばたくさん食べたとよ」

顔にパックを貼った玲子が声を弾ませる。


生後8ヶ月を過ぎ、菜々子の食事も離乳食が増えてきた。


お座りが上手になった、お母さんといっしょを見て笑った……菜々子の一日の様子を聞くのも修次の日課だ。


カボチャの煮付けを肴に発泡酒を飲みながら、ニュースステーションを見て、玲子の話に耳を傾け、ときおり笑ったり、相づちを打つ。


主役の菜々子は今宵はもう夢の中だ。今日も健やかに育ったわが子に乾杯!!

犬がはっはっはっと喉を鳴らして修次の背後から近づいてくる。あっち行けよ、息をひそませ無視する。しかし、うう〜んという唸り声と同時に犬との距離はさらに縮まる。


恐怖に修次の背筋が粟立つた。


がうんがうんと牙をむく犬の咆哮。うわぁ〜たすけて〜襲われるぅ。うんぎゃあ、うんぎゃあ〜。……あれ? 犬じゃないの? 赤ちゃんの泣き声? 犬はどこ行った?


おっ、ここはわが家の寝室じゃないか。夢か……。実に恐ろしい夢だった。それにしてもうるさい泣き声。脳の芯までキンキンと響く超音波のようだ。

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こんな夜中に泣きじゃくるのは一体どこの子じゃい!! おれは明日もお仕事だ。豆球の明かりがかすかに灯る部屋に目をこらすと、薄闇の中に前髪をたらして佇む女性の輪郭が浮かび上がる。


お〜っ! 出たぁ〜。妖怪!おっ!! 貞子……いや玲子じゃないか。


うんぎゃ〜うんぎゃ〜。
ななちゃんどうしたの? お母さんに抱っこされてそんなに泣いて。


修次は布団からはね起き、照明器具の紐を引いた。突然眩しくなった寝室に修次と玲子は目を瞬かせた。

「眠らっさんちゃん……」

「熱は? どこか具合のわるかっちゃなかと?」

「分からん……」

寝ぼけまなこの玲子が困惑しながらあやしている。


もしかして、もしかしてコレがかの有名な夜泣きなのでは。(つづく)


2014年06月16日

パパの赤ちゃん日記(14)

ぽんぽんもしもし

白衣の上にカーデガンを着こんだ看護師さんが現れた。

「夜遅くすみません」と修次と玲子は頭を下げた。

「こちらへどうぞ」

看護師さんの案内で、しーんと静まりかえった待合室から診察室に通された。


体温を測り終え、しばらくするとかっぷくのよい先生が白衣を羽織りながら診察室に入ってきた。

「どうもすみません」

夫婦揃ってまた頭を下げる。


顎にたくわえた髭と眼鏡の印象が歌手の上條恒彦を思わせる先生だ。
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「はい、ここに座って」

先生が補聴器を取り出しながら、丸椅子を差し出す。玲子が菜々子を抱いて座り、修次は二人の背後に佇んだ。


玲子が菜々子のシャツをめくる。嫌そうにむずかる菜々子の側に看護師さんが寄り添うようにして体を支えながら、「は〜い、ぽんぽんもしもししましょうね」と優しく声をかけてくれる。


「ぽんぽんもしもし」という言葉に修次の緊張もややほぐれた。


内診を終わった先生が説明を始めた。

「突発性発疹症ですね」

「トッパツセイ……?」

修次と玲子はほとんど同時に聞き慣れない病名を声にした。


不安がよぎる。

「いやいや、そう心配しないで。これくらいの時期に多い病気なんですよ」

九度近い熱が二、三日続き、熱がひく頃に赤い湿疹がでることがある赤ちゃん特有の病気らしい。

生まれて半年くらい経つと、母親からもらった免疫がなくなってきて、発熱や感染症をおこしやすくなるそうだ。

しかし、大人のように注射や座薬で強制的に熱を冷ますのは、あまり好ましくないらしい。


熱が出るのは身体がウイルスと一所懸命に戦っている証拠。抗生物質などを使って自然に治すのが理想的なのだ。


しかし、大人も九度近い高熱は大変に辛いもの。こんな小さな身体で大丈夫なのだろうか……やはり心配だ。

「風邪も流行っていますから油断は禁物です。薬を飲んで、安静にして、水分は十分に与えてやってください。ご主人、ご心配なく」

顎髭をなでながら頬笑む先生に、修次は背筋を張り、凜とした声で、
「どうもありがとうございました」と挨拶して、深々と頭を下げた。(つづく)


2014年06月14日

パパの赤ちゃん日記(13)

真冬の夜熱とマフラー

ピッピピ。菜々子の脇に挟んだ体温計が電子音を発し、測定終了を告げた。

「わっ!! 38度7分!」

玲子の顔がこわばり、修次に救いを求めるような視線を向けた。

「そ、そがんあると?」

「ねぇ、どがんしゅう?」

玲子にしては、珍しく語調が心細げだ。

「ミルクは飲んだ?」

「うん。食欲はまあまあ」

「なんか……顔とお腹に赤い湿疹の出とるっちゃん」

具合が悪いのだろう、菜々子は玲子にしっかり抱きつき、激しくぐずっている。

「もう9時半やろ、病院診てやらすやろうか……?」

修次は電話帳を開き、かかりつけの内科を探す。


娘の症状を大まかに伝えると、新生児だから小児科の専門医に診てもらった方がよいだろうと、アドバイスをもらい電話を切った。


ところが菜々子はまだ一度も小児科に通院したことがなかった。それに自宅近辺にも小児科医院はなかった。再び電話帳を開き、自宅からできるだけ近い医院を探した。


一軒目は院長不在という返事が返ってきた。


二件目は「これから連れてきなさい」という心強い応えが返ってきた。

修次が菜々子を抱っこして、三人で駐車場へ向かった。

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修次は真冬の寒気に震えながら、菜々子をダウンジャケットの懐に包み込むようにして歩いた。

「ななちゃん、もうちょっと、しんぼうしようね」

玲子が白い息を吐きながら、修次の肩から菜々子の首元にマフラーをかける。


それは独身時代に玲子が誕生日プレゼントとして編んでくれた懐かしいマフラーだった。


修次は菜々子の体温とマフラーのぬくもりを感じながら、玲子に向かって「大丈夫さ」と声をかけた。(つづく)

2014年06月13日

パパの赤ちゃん日記(12)

お父さんの初節句

ベビーカーにぬいぐるみ、洋服にオムツ……菜々子が生まれて、修次と玲子は互いの両親にいろんなものを買ってもらった。


孫はわが子以上にかわいいと聞くが、なるほど菜々子と接するときの祖父母たちの屈託のない笑顔は優しさに満ちている。


孫の誕生で、夫婦二人のときよりも両親たちとのコミュニケーションもより円滑に運ぶようになった。子どもの成長は家族間共通の楽しみになっていくものだ。


そんな浦福家にもうすぐビッグイベントがやってくる。初のひな祭りだ。


今度も両親に両親に高額なひな飾りの寄贈を受けることになり、恐縮してしまう。


男兄弟で育った修次には未知なる桃の節句。確かにひな人形は美しいが、その価値観は分からない。


生活はこれだけ欧米化しているのだから、GIジョーとバービー人形を飾ってもおかしくなさそうだが、決してそうはならない。


子どもに関する行事も結婚式と同じで、伝統や観衆を重んじ「普通に」という日本人らしい尺度でいろんな事柄が継承されている。


住宅事情もあり、立派な段飾りは置くことができない、どんな人形がいいのか専門店へ足を運んだ。nituki12.jpg


修次は段数やサイズで値段が上下するとばかり思っていたが、質やブランドで金額が変わることを知った。


その種類も実に豊富で目が眩むほど。修次は個人的にシンプルながらも味わい深い木目込み人形が気に入った。


しかし、家族の間では、やはり小さいうちはきらびやかなお姫様が喜ぶだろうという一般論に落ち着いた。


「あとはお顔で選んでください」というスタッフのアドバイスを受け、家族総出で売り場を行ったり来たりした。


顔ね。了解フェイスね! 顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔顔。


お姫様とお内裏様の顔ばかり凝視していた修次は玲子へ向かって、

「ねぇ、ひな人形ってなんか顔色の悪うなか?」

「なんば言いよると、白粉よ。ファンデーションばしとらすとたい。う〜ん美人は値段も高っかね。お父さんもちゃんと選ばんばよ!」


!? 玲子が初めて修次のことを「お父さん」と呼んだ。


「……ハイ!おかあさん」と修次も玲子に返した。 (つづく)

 

2014年06月05日

パパの赤ちゃん日記(11)

ミッション:お留守番〜後編

いろんな方法であやしてみたが、菜々子の機嫌はなおらない。


試しに最近購入した『おじゃる丸』のCDをかけてみた。


まったり まったりな〜
いそがず あわてず まいろうか〜♪ 


菜々子の体を揺すりながら、曲に合わせてハモってみる。が、変化なし。今の菜々子には子守歌には聞こえないようだ。


ほのぼのしたサブちゃんの歌声をバックに修次は、菜々子と二人で過ごす夜が心細くなってきた。


よし。きっと腹が減っているんだ。少し早いがミルクを飲ませてみよう。

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修次はほ乳びんに粉を入れ、180CCの目盛りまでお湯を注ぎシェイクした。続いて水道水をかけながら、容器を冷やすが、娘の激しい泣き声えに気をとられ、焦ってしまう。


玲子のマネをして、ミルクを自分の腕に一滴垂らして温度チェック。しかし、熱いのかぬるいのか? ちょうどいい塩梅が分からない。


さらに水を浴びせ冷却。今度は思い切って自分で試飲してみた。ありゃ、冷やしすぎ? ぬるいぞ。


修次は菜々子の頭をやや立てるように抱き代え、「は〜い、ごめんごめん、お待たせしまいちゃぁ。は〜い、ミルクでちゅよぉ」と幼児言葉を発しながら、びんの乳首を菜々子の口もとに運んだ。


菜々子はすぐさま乳首に吸いつき、必死で吸引し始めた。……やっぱり腹が減っていたんだ。修次は半時間ぶりの平静に安堵した。が、それもつかの間、菜々子が乳首を外してまた泣き声を上げた。

「お〜い、どうちたの?」

と再び乳首を近づけると、一度は吸いつくのだが、すぐに拒否したように泣きじゃくる。


同じ動作を数回繰り返すうちに、修次も泣きたい気持ちになってきた。


とほほ。慣れぬ授乳に困惑してしまったその瞬間、玲子のレクチャーが頭をよぎった。

「出のわるかっったら、キャップをゆるめて調整してね」

……そうだった!

修次に届いた玲子の声。それは『スパイ大作戦』の指令ではなく、映画『スターウォーズ』のオビワンからのお告げにも似ていた。


「フォースを使え」という声に導かれ、デススターを攻撃するルークの勇姿のフラッシュバックと同時に、

修次は素速くゴムでできた乳首キャップを回した。


あちゃぁ〜。ガチガチに締め付けとるもん!? ななちゃん、さぞ飲みづらかっただろうな。


さぁさぁ気をとりなおしてもう一杯。


菜々子がもぐもぐと乳首を頬張る。びんの中のミルクがどくんどくんとリズムを刻み、スムーズに流れていく。修次の顔にも笑顔が戻った。


修次の頭の中にスターウォーズのエンディングテーマ曲が流れる。


ミルクがすっかり冷めてしまったことなど忘れてしまって、満足げに授乳を続ける父。


冷めたミルクが旨いか?まずいか? まだ喋れない娘。


味ではなく、ここで飲みはぐれたら大変だと本能的に察したのか?


菜々子はすごい勢いで最後の一滴まできれいに「父と留守番乳」を飲み干した。


2014年06月04日

パパの赤ちゃん日記(10)

ミッション:お留守番

よし、もうちょっとだ。がんばれ〜なな〜。修次はホットカーペットの上にひざまずいた。


仰向けから自力で横向きになり、脚をぴくりぴくりと蹴り上げる菜々子のかわいいお尻を軽く押してやる。

「ヨイショ」

くの字に曲げた肘を頬の下に敷くようなポーズで、菜々子がうつぶせになった。

「やった。できた!」

修次はもう少しで、寝返りをマスターできそうな菜々子の成長を喜んだ。

「すごいぞ、ななちゃん」

菜々子を抱き上げ、頬ずりをする。まさしく親バカ。わが子が世界で一番かわいいのである。

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修次はそのまま、菜々子を頭上に持ち上げ、「高い!高い!」を大サービス。親心が伝わったか? 菜々子も笑みを浮かべ、フンガ〜、フガフガと声を出して笑っている。

「高い、高い〜」

感きわまったか、フンガ〜、フガフガと喜ぶ娘の口から透明の液体が、たら〜り、たらたらと落下。「たかっ…」と大きく口を開いたまま修次の声が止まり、お見事! 娘の糸引きヨダレが、したたり落ちた。


ウンガムガムガ、ゲッ。修次の喉は訳の分からぬ音を発し、愛する娘のヨダレを受け入れた。

「ななちゃん……」

お〜う、なんという優しさ、寛大さ、包容力。怒りどころか、不潔さも感じない。「口に入れてもまずくないわが子のヨダレ」ということわざがあってもおかしくない。これが「悟りの境地」というものだろうか。


いやいやいや。違う。現実はそんなに甘くない。菜々子のごきげんは、そうそう長く続かないのだ。ウルトラマンのカラータイマー10回分程度が限界かなぁ。


今日は玲子が高校の同窓会に出かけ、菜々子と二人っきりの初お留守番。案の定、父と娘のハッピーなひとときの終わりを告げるかのように、菜々子がぐずり始めた。


テーブルには玲子が準備していった、ほ乳びんと『ルンルンベビー』の缶が置いてある。「8時頃に一回飲ませてね。ひどうぐずったら、少し早めでもよかけんね」と玲子の声が、テープレコーダーから聞こえてくるテレビドラマ『スパイ大作戦』の指令のように脳裏に響いた。


修次はミッキーマウス絵柄の掛け時計に目を移す。
……おいおい、まだ6時35分じゃないか。


渋っ面の修次の腕の中で、菜々子が体を激しく動かし、泣き声を上げた。

修次ピンチ! 

「ミルクを飲ませても状況が変わらない場合、当局はいっさい関知しない。成功を祈る」と、また『スパイ大作戦』風の幻聴。

え〜っ!? まじぃ?

「なお、このテープは自動的に消滅する」……
お〜い、勝手に消滅しないで……。 (後編へつづく)

2014年06月02日

パパの赤ちゃん日記(9)

【ルンルンベビー】

おっと、すでにレジは長蛇の列だ。片腕にわが子を抱え、もう一方の手に紙オムツや粉ミルクをさげた母親たち。そっけない表情で並んでいる父親たちの姿も目立つ。


「ホラ、お父さん、もう一回オムツば取ってきて!」


紙オムツはお一人様一個限定商品なのか? 支払いを終えたある父親が奥さんから指令を受け、レジを通した商品を妻に手渡し、再び売り場の方へ走って行く。


凄い…。スーパーのベビー用品特売日を初めて体験した修次は、親たちのエネルギッシュな購買欲に圧倒されながら、慣れない足取りで、商品棚を物色していた。

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え〜と、フリフリ、モリモリ……あれ、ミルクの名前は何だっけ? あ、あった。これこれ『ルンルンベビー』だったな。


修次は玲子に頼まれたミルクの名前を確認する。何でも通常価格より七、八百円安いらしく、仕事の合間をぬって一役買うことになったのだ。


修次はルンルンベビー を二缶取ってレジへ並んだ。


それにしても平日なのに修次同様、ネクタイ姿の父親も多い。渋い面構えの中に「嫁さんに頼まれて仕方なく並んでいるんだぜ」とでも言いたそうな哀愁も帯びている。修次もそんな父親たちに同化して順番を待った。


ベビー用品はビールや煙草など修次の嗜好品と同じく、家計でのウェートが高くなってきた。でもビールも煙草もやめたくない。


同じ商品を少しでも安く手に入れるのは庶民の知恵であり、家庭の幸せを守る鍵だ。家族のために堂々と胸を張ってレジに並ぶぞ。と修次は自分に言い聞かせていた。(つづく)

2014年05月07日

パパの赤ちゃん日記(8)

【SOS】

もうすぐ生後4ヶ月。現在、菜々子の体重は6750グラム。身長62センチ。首も据わったし、表情もずいぶん豊かになってきた。


「今の赤ちゃん、何ヶ月くらいやろうか?」

修次と玲子はジャスコシティ大塔店(現イオン大塔ショッピングセンター)の売り場で新生児を抱いた若いカップルとすれ違った。親になるとよそ様の赤ちゃんにもすぐ目が向くようになる。


「あらぁ〜、よう肥えなさってかわいかぁ。何ヶ月にならすと?」

見知らぬ婦人が笑みを浮かべて語りかけてきた。

ふたりは笑顔を返し「ハイ、もうすぐ四ヶ月です」と口を揃えて応える。子どもを介してなにげないコミュニケーションも増えた。

「ほんに、よか顔しとらす。じゃ坊やまたネ〜」

婦人は菜々子に顔を近づけ破顔して、人混みへと消えた。

「ボウヤ!?」

一瞬、修次と玲子の表情がこわばった。

「やっぱい、赤っか服ば着せてくればよかったぁ〜」と玲子が悔しがる。


ベビー用品コーナーで衣類を見た後、食料品売り場で晩ご飯の食材を買った。

「じゃ、レジば済ませてくるけん、待っとって」

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修次は菜々子を抱きかかえたまま、レジの外に出た。長時間抱っこしていたせいか腕がしびれ、感覚がなくなってきた。ずっと5キロ入りにの米袋を抱えて歩いているようなもんだもんなーー玲子もたくましくなるはずだ……。


そんなことを考えていると、突然、菜々子がぐずりながら泣きだした。うわっ!! 体重を米袋に例えた罰か? ……ヨシヨシ、と声を出さずに呟きながら、体を揺すってやるが、泣き声は増すばかり。「ヨシヨシ」と声を出してあやしてみたが、一向に効果がない。


周囲の視線を気にしながら一所懸命、泣きやまそうと努力したが、泣きやむ気配はまったくなかった。

……お〜い! 玲子〜、玲子様はまだか〜。SOS!玲子! 早く〜うぅ。
修次は冷静さを装いながらもパニック寸前だ。

「はいはい、どうちた?」

おう、玲子だ、おい、もう少し慌てろ……。

「ワンワン泣かれて、遠くから見たら人さらいのごたっよ」と玲子がからかう。何でもいい早く助けて、タッチ、抱っこタッチだ。

毎日スキンシップしている玲子はいたって平静。


その姿は相棒が超ピンチでリングから必死で手を差しのばしているにも関わらず、コーナーで落ち着き払ってゆくっりと手を伸ばすだけのジャイアント馬場の救援のようにも見えた。

母は日々たくましくなるのダァー。 (つづく)

2014年04月26日

パパの赤ちゃん日記(7)

【大晦日の爆弾】

紅白歌合戦が始まった。修次は年越しそばを食べながら、リモコンでテレビのボリュームを上げた。

「ななちゃんの起きるけん、あんまいボリューム上げんでね」
「分かっとる」
 
二人ともひそひそ声で喋っている。


最近、菜々子はベッドに寝かせるとすぐ泣き、抱き上げると泣きやむことが増えた。

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空腹なのか? オムツが汚れているのか? どこか具合が悪いのか? と気を病むが、原因は分からない。もしかすると、これが「抱き癖」なのかもしれない。


しかし、抱っこは赤ちゃんの「心の栄養」とも例えられる大事なスキンシップだ。本人が安心するのなら、大いに抱いてやらなければならない。

ところが、抱いたまま根せつけるのは実に骨が折れる。「よし! 眠った」と思って布団に置くや、いきなり瞳がパチリと開き、ウンギャ〜と大声で鳴き始める。

そういう時は、また一からやりなおしになる。テレビゲームのように、プレイヤーの都合で放棄したり、「今日はここまで」とセーブしたりできないのである。


大晦日のこの日も、やっとの思いで寝かせつけたばかり。修次にとっても玲子にとっても、つかの間の戦士の休息だ。


あっ1? 修次が冷蔵庫の扉を開けて缶ビールを取ろうとした瞬間だった。お正月の食材がぎっしり詰まった庫内の手前に置いてあったキリン淡麗500m缶が床に落下した。

しかも二本も。

カキーン、コーンとキッチンに鋭い音がこだまする。

修次と玲子は動作を止め、ストップモーションで顔を見合わせ、息をひそめた。


……ウ……ウン……ウン……ギ……ギャ〜。ウンギャ〜ウンギャ〜。

玲子がベッドに走る。トントントン、と菜々子のお腹をやさしく叩いてあやしているが、時はすでに遅し。菜々子は顔を真っ赤にし、泣き声はさらにボリュームアップ。


なんたる不覚。寝た子を起こす爆弾に火をつけたのは自分だ。

「も〜う! なんしよるとぉ!」
口を尖らせ抗議する玲子に向かって修次は、
「こがんいっぱい冷蔵庫に物ば入れとっけんさ!」と交戦モードで立ち向かう。


そんな二人の言い争いも、紅白歌合戦のスマップの歌声もかき消してしまう勢いで、菜々子の泣き声は激しさを増す。

ウンギャ〜、ウンギャ〜。浦福家の一年をしめくくるかのように菜々子の泣き声は高らかと響き続けた。 (つづく)


※2000年1月掲載

2014年04月23日

パパの赤ちゃん日記(6)

【天使の残り香】


夫婦の間でこれまであまり使っていなかった言葉がひんぱんに飛び交うようになった。それは「うんこ」と「おしっこ」だ。


居間で玲子が菜々子のオムツをはずし、手に持った綿棒の先端にベビーオイルを塗っている。

「なんしよっと?」
修次が尋ねる。

「うんこのもう三日も出らっさんとさ……」
玲子は菜々子の足首を持ち上げ、尻を浮かし、片手に綿棒を持ったまま不安そうに呟いた。

「そいって浣腸?」
「そうよ。お尻に入れたり、くすぐってやったら、出やすうなると」

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女性は母親になると本当にたくましく見える。あやし方はもちろん、ミルクを与えるのも、オムツを交換するのも実に手際がよい。理屈で覚えるのではなく、毎日の実技の繰りかえしで習得しているリアリティを感じてしまう。


夜と休日しか接する時間がない修次は「カワイイ」という感情は湧くものの実技は苦手だ。実際に何をやっても玲子のようにうまくできない。


『子育てしない男は父親失格』みたいなコピーが流行ったが、はたして積極的に風呂に入れたり、オムツを替えたりするだけが、男の子育てだろうか?

確かに修次も入浴の手伝いは慣れてきた。が、それとは別に何か目に見えない大きな役割がある気がする。

例えば育児の不安や心配事を聞いいてあげるだけでもいい。母と子をセットで見守り、精神的に支える思いやり大切だと意識するようになってきた。


「ななちゃ〜ん、うんこ出ろ出ろ〜」
玲子が菜々子の腹部に大きく「の」の字を描きながらやさしくさすっていりながら、綿棒を肛門に入れた。

「わ!! 出てきよる!」
玲子が歓喜の声を上げ、菜々子の臀部に敷いていたオムツを素速くかぶせた。


う〜ん、うつろなまなざしで玲子が声を出すし、菜々子の用便にエールを送っている。赤ちゃんも大人と同じく用をたすときには立派に気張るのである。


「硬かごたっね。ガンバレ〜ななちゃん」
「……なな、ガンバレ〜」
修次も一緒になってエールを送る。


玲子がオムツをめくり、排便の具合を確認すると、ほんのりと便の臭気が漂った。乳幼児の場合、臭いはさほどきつくないのだが、さすがに修次も最初は抵抗があった。それが近頃はほとんど気にならなくなってきたから不思議だ。


新しいオムツに着替え、朗らかに頬笑む菜々子を覗きながら、玲子と修次は目を細める。

大便の残り香も、天使の香りに感じる幸せなる一瞬なのだ。


2000年1月掲載

2014年04月18日

パパの赤ちゃん日記(5)

【日晴れ】


修次は本棚から広辞苑を取りだしてページをめくっていた。


みーみーみーみー【宮参り】。
――神社に参詣すること。子どもが生まれて初めて産土(うぶすな)の神に参詣すること。


うぶすな……? 
うーうーうーうー【産土】。
――人の生まれた土地。生地。なるほど、生まれた土地の守り神にお参りに行くこと。


「おい! うちの守り神ってどこや?」
「知らん。昔から行きよる神社じゃなかと?」


男子だったら31日目、女子なら33日目に宮参りに行く習わしが残っているが、サラリーマンの場合は休日を利用するのが賢明だ。


12月5日・日曜日・先勝。修次と玲子の両親をはじめ、兄弟や近い親類が神社の境内に集まった。


主役の菜々子にとっては、初めての本格的外出だ。赤い祝い着をはおり、よく眠っている。古い習慣では修次の母親が赤ちゃんを抱き、玲子がその後ろに従うのが正式な宮参りスタイルらい。

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祈願料を支払い、順番を待つ間、大人たちは代わる代わる菜々子を抱き、記念撮影を行った。


待合室に順番を知らせるアナウンスが鳴る。浦福家関係者のほかに、厄入りの女性と交通安全祈願を行う男性の計3組が拝殿へと向かった。


最前列に修次と菜々子を抱いた玲子が座り、親族がその背後に一塊となって着座した。


神楽太鼓の音に、菜々子がピクっと反応し小さな瞳を開いたが、祈願中に泣くことはなかった。巫女さんが頭上で鈴を振る間も、きょとんとした表情でおとなしくしていた。


お神酒を飲み、境内へ出ると、大人たちはみんな口々に「ななちゃんは、おりこうねぇ」と言葉を交わし、再び代わる代わる菜々子を抱き、カメラの前でおだやかな笑みを浮かべている。


「じゃ、みなさんお昼を用意していますので、ホテル・サセボーンにある『味照』というお店に集まっていただけますか」


修次夫婦にとって「日晴れ」という行事は生まれて初めての体験。両親や知人のアドバイスによると、参拝後にちょっとした会食の場を設け、親類縁者で内祝いを開くのが一般的だということだった。ちなみに出産祝いをいただいた方々へのお返しも宮参り前後のタイミングが常識らしい。


菜々子の名前が朝刊の、お誕生欄に載った次の日から、自宅に通販会社からギフト商品の分厚いカタログが続々と届くようになった。修次も玲子もカタログの山に驚き、迅速な商魂に感心した。子ども誕生を機に実にいろんな社会勉強をさせられるものである。


まあ、形式はともかく、菜々子が健やかに育つように願いを込めてお祝いしなくっちゃ。


修次は縄を大きく揺すり、鈴の音が高らかと鳴り響く境内で改めて柏手を打った。(つづく)


99年12月掲載

2014年04月15日

パパの赤ちゃん日記(4)

【父も学習中でちゅう】


玲子と菜々子が実家から戻り、ついに家族三人の新生活が始まった。

約一ヶ月の間、菜々子は「泣く」「眠る」というパターンを繰り返すだけで、いつもまどろんだような顔つきだった。テレビCMで見るような表情豊かな赤ちゃんになるには、もうしばらくかかるらしい。


修次が冷蔵庫から缶ビールを取り出すと玲子が、
「ねぇ、お風呂、今日はあなたがいれてみん!」
「エッ!? おいが?」
「そうよ。首もまだ据わっとらんし、男の方が手のひらも大きかけん入れやすかとって」
「ほんとや?」
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浴槽からベビーバスにお湯を汲み、温度計で適温を測る。湯船につけ体を洗ってやる……修次も二度ほど手伝ったが、結構大変な作業だった。

玲子から簡単なレクチャーを受けた後、修次にタオルをかけた裸の菜々子が手渡された。

左手のひらを菜々子の首から後頭部に当て、親指と小指で耳たぶをやさしく包む。誤ってお湯が耳に入らないように防御するためだ。
「ここでよかとかね?」
「そうそう、最初は顔よ。ガーゼば湿らせて軽く拭いてやって」


左手で頭を支え、ガーゼを添えた右手で腰から尻のあたりを持ち、ゆっくり慎重に湯につけてゆく。菜々子はビクッとしたように目をつむり、小さな手のひらで側にあったタオルの端を力強く握りしめた。


湯の中では頭部を水面から出し、左手で全体を支え、右手で体を洗う。
「その調子!その調子!」

傍らかで玲子がエールを送るが、手が次第にだるくなってきた。しゃがんだままの低姿勢もつらい。と、その時、気持ちよさそうに湯につかっていた菜々子が突然泣き出した。修次の左手にも思わず力が入る。


「ハ〜イ! ななちゃんお風呂でちゅよ〜。気持ちいいでちゅね〜」
 
どこで覚えたのか? 玲子の口から幼児言葉が飛び出す。修次はバスルームに響く激しい泣き声に気をとられながら、娘の体をなんとか洗い終えた。


「はい、あとはかかり湯よ。少し持ち上げて」

玲子は菜々子の体を素早くバスタオルで包み込む。役目を終えた修次は、「なな〜、終わりまちたよ〜」と呟いた。

親は子どもの誕生と同時に幼児言葉も学習しているのである。(つづく)

99年11月掲載

2014年04月11日

パパの赤ちゃん日記(3)

【甘い香り】


出産費の支払いも済み、いよいよ退院。看護師さんが駐車場まで見送りに出てきてくれた。
「じゃ、次は一週間健診に来て下さいね。バイバイ! ななちゃん!」
 菜々子を抱いた玲子が後部シートに乗り込んだ。
「どうもありがとうございました」
 修次と玲子はウインドーを下げお辞儀をして産婦人科を後にした。


「よう眠とんね」
「さっき、ミルクば少し飲ませらしたとよ。あ、スピード出さんでゆっくり運転して」
「…うん、分かっとる」


チャイルドシートの義務化が決まったが、新生児の場合はベビーシートが必要だ。が、修次はまだ準備していなかった。
「朝刊の誕生の欄、コピーしとったばい」
「活字で見たら、菜々子ってよかよね」
「次はほら、ライフさせぼに写真ば載せんばっちゃなか」
「あ…わが家のアイドルね。まだ早かっちゃないと。もうちょっと顔のハッキリしてからがよかさ」と玲子が笑う。
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「おい!そがんピッタリくっつくなさ。赤ちゃんの乗っととばい!」
 修次はスピードを上げ接近してくる後続車をルームミラーで睨んだ。

そうか。今まで何げなく見ていた『赤ちゃんがのっています』『お先にどうぞ』というステッカーを貼ったドライバーたちの心境が初めて分かった。
 

菜々子が、か細い泣き声ををあげた。次第に激しくなり、ウンギャ〜と甲高い泣き声に変わっる。赤ちゃんは泣くものと頭では分かっているものの、修次も玲子も泣き続けるわが子に不安な表情になった。


修次は車をゆっくりと路側帯に寄せて、ハザードランプを点滅させた。玲子が素早くお乳を出すと、菜々子は目をつぶったまま吸いついた。
「あんまり出らんけど、少し落ちつかんやろうか」
「……」
 

病室で初めて菜々子を抱いたとき感じた甘い匂いが車内に漂う。なんともいえない不思議な香り…これが赤ちゃんの匂いだ。

まるで母親と一体化したように胸元で泣きやんでゆく小さな命を見つめながら、修次はようやく家族が一人増えたことを実感した。 (つづく)


99年11月掲載

2014年04月05日

パパの赤ちゃん日記(2)

【初仕事】


長女の名前は菜々子に決まった。命名…浦福菜々子。
「ななちゃん」「なな」「な〜ちゃん」
う〜ん、まだ実感がわかないが、かわいい響きだ。


修次は建設が進む県民文化ホール(現アルカスSASEBO)と駅の高架を横目に見ながら、菜々子が大きくなったとき佐世保って、どんな街になっているんだろう? と思いを巡らせ市役所へ向かって車を走らせていた。


妻と菜々子の退院まであと4日。玲子も元気で、病院の食事が美味しいと気に入っている。二人の退院までに済ませておかなければならない父としての初仕事がある。

それは出産届だ。

え〜と10盤窓口、戸籍年金課戸籍係。あった、あった。病院からの出産証明書を提出、規定の書類に記入する。第三子目からお祝い金が出るそうだが、今回は市からアルバムが贈呈された。


「あ、どうもありがとうございます」
「朝刊のお誕生欄に掲載をご希望でしたら、こちらに記入していただければ、掲載されますが」と職員の案内をうけ、住所・氏名を記入した。
「それとこちらが児童手当と乳幼児医療費助成の手続き案内です。お時間があれば、今日のうちに子育て家庭課で済ませてください」
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よし、これが玲子が言っていた児童手当の手続きだな。子どもができると、3歳未満まで毎月五千円の手当が支給される仕組みだ(掲載時・平成11年の制度)。

サラリーマンにとっては五千円でも実にありがたい助成金。なにがあっても申請を怠るわけにはいかない。


修次は喫煙コーナーで一服済ませ、2階の保健福祉部へ向かった。それにしても市役所っていろんな課があるものだ。子育て家庭課なんて部署は、親になるまでその存在すらしらなかった。


「あの育児手当の申請をしたいんですが」
「はい、こちらにどうぞ」


子どもが通院や入院した際、医療費の助成がうけられる、乳児児童医療助成の手続きも一緒に済ませた。ふだんは銀行の入金作業すら面倒に感じる修次だが、今日は不思議な充実感を覚えていた。


自然とわき上がるこの使命感こそ、親心の芽生えなのかもしれない。 
(つづく)

※99・11・5掲載

2014年04月04日

「パパの赤ちゃん日記(1)

ずいぶん長く更新していませんでしたm(_ _)m

           はじめに

この春から娘が高校生になります。16年前に娘をモデルにライフに『パパの赤ちゃん日記』と題した、父親目線の育児体験記を連載していました。

子どもの成長はほんとうに早く、小さい頃の思い出も忘れていくことばかりです。いま読み返すと出産、育児の奮戦を通じて親も子どもからいろんなことを教えられ共に成長していることを感じました。

1999年から約3年間掲載した古い記事ですが、いま子育て真っ最中のお父さん、お母さん方にエールを送れないかなと思って当ブログで連載してみることにしました。笑って読んでもらえたら幸いです。                    
                    2014年4月4日 らいふのまたろう

 第一話【ようこそ】

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玲子のやつ、一緒に練習した「ひーひーふー」うまくできたのかな?修次は新生児室をガラス越しに覗きながら考えていた。

「浦福」。五、六センチの小さな足の裏にマジックで書かれた文字を確認する。「女の子。2850グラム。私のおかあさんは浦福玲子です」と記されたピンクのネームプレートの前に佇む。うむ、2850…。大きいのか小さいのか? となりの保育器に入っている渡辺さんの赤ちゃんは男の子、3150グラムだ。

まだ顔をよく見ていないんだ。こっち向いて、こっち、違う違う。渡辺君じゃなくて、うちの子、うちの子、そうだ、うちの子にはまだ名前がない。はやく妻と結論を出さねば。

「お〜い」と心の中で呟いてみると、となりの渡辺君がもぞもぞと動きだして、こちらを向いた。ワォ!! 渡辺君、お猿さんみたいだぞぉ。「お〜い」今度は突然、うちの赤ちゃんが鳴き始めた。

おい、どうしたんだ。だいじょうぶか? どこか具合が悪いのか? 看護師さん!? ガラスの向こうに見える看護師さんは、冷静な表情で何か別の作業をしている。うちの子が、顔を真っ赤にして泣いている。修次は心細くなり、ナース控え室へ走った。
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受付の看護師さんが、きょとんとした顔で「どうかしました」と尋ねた。
「あの、うちの子が、ひどく泣いているんです」
「どちらの?」
「あの、うちの、うちの」
「あっ、浦福さんでしたね。ちょっと待ってください」
 しばらくすると担当の看護師さんが奥からでてきた。
「お子さんは、ただ泣かれているだけですけど」
「…ただって、ひどく、なんか苦しそうに…だいじょうぶなんでしょうか?
「はい。赤ちゃんはみんなあんな風にしかなきませんよ」
「…あ、…どうも」

ガラスの前に戻ると、うちの子も渡辺君も顔をクシャクシャにして泣いていた。わちゃ〜、うちの子もやっぱりお猿さんみたいだ!!

ようこそ地球へ。ようこそ平和なニッポンのサセボヘ。ボクがキミの父親の浦福修次です。ヨロシク!  (つづく)