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2012年06月04日

【フォロー】


今、日本人の生活を最もフォローしてくれているのは、内閣や地方自治体ではなく、コンビニのゴミ箱とトイレだと思う。

(まきたろうTwitter https://twitter.com/#!/syurooster より)ma.jpg

2011年06月11日

【私と政治 大震災編】

なんとも後味の悪い内閣不信任案騒動だった。戦後、最大の非常事態である今こそ、政治家諸先生方も党派を超えたチームプレーで国難を乗り切るための底力を見せてくれるかと期待したのが馬鹿だった。

こういうピンチに見舞われても国会は与野党揃って国民目線とずれた政争をくり返す組織だということがハッキリしただけ。

不信任案が否決された夜、六本木のカラオケ店で会合を終え出てきた小沢一郎の変な笑み(大先生はなぜかいつも肝心な時に本会議を欠席、料理店で会合しているる)。そんな小沢&鳩山由紀夫の言動を見ていても旧自民党時代の党内派閥となんら代わりなく国民のトラウマは深まる。

加えて谷垣禎一のヒステリックな菅降ろし論議。自民も公明もまるで震災を政権奪取に利用しているかのように見えてしまう。総理大臣をすり替えるだけで済ませようとする論争。造反、総選挙へ向けての体制固め。与野党揃って本当にくさくさした揚げ足取り議論ばかり。まったく鬱陶しい梅雨の政局劇を見せられたもんだ。

原発は長い自民党政権下で推進されてきた国のエネルギー政策だ。電力会社と民主党を槍玉に挙げる責任追及だけではなく、党派を超えて知恵を出し合い迅速な打開策と対応を具体的に示してくれることを民は願っている。
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今最も大事な事を後回しにして、不信任案も大連立もあったもんじゃない。政府は年に一度総理大臣をすり替えても支障がないかもしれないが、結果を出さないと飯が食えない民間で毎年社長を取り替えていたら会社はつぶれるだろう。こんなお粗末な運営をくり返すなら、国会も民営化を考えた方がいいのではないか。

次の総理大臣も、また次第に顔色が悪くなって、覇気も失せ、何も解決しないまま消えていくだろう。就任時と退任時だけ妙に晴れ晴れしい日本のリーダーを一体何人世に送り出すのか? 100年後の歴史の教科書を見てみたい。

それでも「俺にも一回総理大臣をやらせろよ」と目論む議員先生方、このままじゃ日本で一番かっこ悪い嫌われ者のお仕事に就くはめになってしまいますぜ。

菅直人に全責任を負わせた退陣劇で、震災復興は本当に前へ進めるのか? とにかく1日も早くオールジャパンで仕事(政治)をしたまえ!と声を大にしたい。

それができない政治家先生方のご都合主義があるのであれば、民も「議員全員不信任案」を国会にたたきつけようではないか。そう、次こそ総選挙で国民一丸となって白票を投じるしか術はない。

それでは最後にフットワークが重く、チームワークも悪い国会議員諸先生方へ一曲歌など進ぜましょう。久しぶりに日本の偉大なるロックンロールバンド「ザ・タイマーズ」の名曲「ギーンギーン」で、目をお覚ましくださいませ。

♪ギーン〜 ギーン〜 ギーン ギーン〜ギーン ギーン ギーン ギーン ギーン ギーン〜 ギーン〜 ギーン〜 ギーン ギーン〜ギーン ギーン ギーン ギーン ギーン ギーン♪

2010年06月16日

【48億の妄想】

pot115.jpgサッカーの支持率も、政党支持率も世論もテレビを通して一夜で変わる。テレビがなければ、何ひとつ判断できないのか? それとも私たちの思考はテレビに支配されているのか? そんなことばかり考えていたら、むかしむかし読んだ筒井康隆の『48億の妄想』という小説のことを思い出した。自宅のどこかに眠っているだろうと思われる文庫本を探して再読してみよう。

2008年11月12日

 【私と政治 番外編】

            

『顔写の巻』

ニンジンぷらぷら。二兆円ちらちら。わっちら逸民は馬じゃござんせんよ。ねぇ、親分。ひょっとしてこれまた選挙のための政治ってやつでござんすか? そういや、ちかごろ、まちなかに議員先生方の“顔写”ポスターが日に日に増殖してるでやんすね。ほらあそこにもぺたぺた。そこにもぺたぺた。「こら。言葉をつつしまんかい。先生方はまちの美化のことまで考えて、あのような明るい笑顔を貼って回ておられるんだ。見ろよ。どれも気品のある高貴なガンシャばかりじゃねぇか…」失礼したでやんす。たしかにお美しい顔写でやんすねぇ。

           
           
『はっぴー政権の巻』           

わらわは、はっぴーせっと票でまだまだ与党幕府に身を置きとうごじゃる。今回もはっぴーせっと票で、もちろん勝てるのじゃろうな?「……」な?「……」これ巻之太綺険Ρ厂腓匹Δ靴童を開かぬ? 答えぬか。勝てるのじゃろう? なぁ? 「…それがなんとも微妙な空気が民に蔓延しておりまして…」なにをざれごとをもうしておるのじゃ。幕府は不滅じゃぞ。「それが世論と申しますのがいつになく手厳しく…セットのおまけがつくかつかないか?生産元ソウカ堂の方々も困惑しておりまする次第…」いやじゃ。いやじゃ。わらわは負けとうない。いやじゃ。いやじゃ。そうでごじゃる、テレビが悪い。殿方らがテレビに出るたびに幕府の支持が落ち悪者あつかいされておる。平成の民はテレビでものごとを判断しすぎる。大殿どの迷走など、なにも今に始まったことではござらぬではないか。とにかくわらわはずぅ〜とハッピーでいたいのじゃ。何があっても負けてはならぬ。万歳、万歳、わらわはハッピーでごじゃる。
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『罷免の巻』             

ねぇねぇ、シュウギイン・ソウセンキョってさ、ヒレイダイヒョウとか、なんとなく分かってんだけどぉ、巻子ってセンキョ詳しい?「あたりまえじゃない。あんた行ったことないの。信じられない〜あれって国民のギムよ!」違うって。私だって行ったことはあるわよ。たださ、一緒に最高裁判所裁判官国民審査ってあるじゃない。あれって何なの?

「ばっかね。あれって、あれじゃんシンサじゃない。国民のギムよ!」分かった巻子。ギムは分かったからさ、どうやって選ぶのか教えてよ。「どうやってって、あんたそんなのも知らないの? いやになっちゃう。あれって国民のギムよ!」分かった。分かった。ギムは分かったって。だからさ、選び方を教えてって言ってんじゃないの。

「いい、あんた宝くじは買ったことある?」うん、ジャンボとかロト6も何回か、スクラッチとか買ったことあるけど、ぜんぜん当たんないからムカツク〜。「そう、ロトと一緒よ。ロト買うとき好きな数字選ぶでしょう。あの感覚。数字の代わりにピンっ閃いた名前を選べばいいのよ」えっ!? マジなの? ピンってきた人って言われても知らない名前ばっかりだったよ。投票所ではじめて見たもん。

「当たり前じゃん誰だって裁判官の名前なんか覚えている訳ないじゃない。それも国民のギムなのよ。第六感やインスピレーションがたいせつなの。あんた昔から霊感強かったからきっと向いているって!」だから霊感なんてないって、宝くじぜんぜん当たんないもん。だけどさ、選ばれた裁判官ってさらに偉くなったりする訳? 「もち。偉くなるんだろうね」いいな〜。ってことはシンサじゃなくてニンキトウヒョウってことじゃん? なんかおかしくない?

「おかしくないって。シンサって審査員のシンサでしょう。ずばりコレって思う人を決めればいいのよ」そうか。巻子ってやっぱし賢いね〜。「ばっか何いまさら持ち上げてんのよ」キャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッ。
※いまだ「罷免」という漢字を知らない二人は「政権が転んでもおかしい年頃」はとっくに過ぎているにもかかわらず、涙がでるほど戯れ笑いを続けるのだった。


それでは総選挙に向け日々知恵をしぼりご尽力されております全国の与野党議員先生方の万歳姿を祈願いたしまして、日本の偉大なるロックンロールバンド、ザ・タイマーズの名曲『ギーン ギーン』を捧げ『私と政治・番外編』を終わらせていただきます。
 
ギーン〜 ギーン〜 ギーン ギーン〜ギーン ギーン ギーン ギーン ギーン ギーン〜 ギーン〜 ギーン〜 ギーン ギーン〜ギーン ギーン ギーン ギーン ギーン ギーン〜

2008年10月24日

 【私と政治 2】

わたしが経験してきたこれまでの選挙戦を振り返っても「本気でこの人だ」と思った人物はいない。どの候補者もわたしの人生観や価値観と接点が少なすぎる。


議員は「先生」という代名詞で呼び合うが、わたしの認識ではティーチャーかドクターが先生であって、政治家に「先生」という立ち位置は求めていない。市議会議員〜県議会議員〜国会議員という年功序列的ステップ制が「先生」という気色の悪い代名詞の出どころか?


先生諸氏はやたらに黒塗りの車に乗りたがる。胸に金バッジや赤い羽根、緑の羽などをつけたがる。また住んでいる家がやたらにでかいお屋敷風情というのも、庶民との格差を大いに象徴している。


わたしが選挙権を得たばかりの頃、選挙が近くなると必ず友人知人、職場、取引関係などを介して熱心な支持者から、後援会への勧誘が繰り広げられていた。「ねぇ、名前を書くだけでいいから、お願い!」といった具合だ。まだ若くて青二才だったわたしは、多くの有権者がお付き合いで、与野党含めて複数の候補者後援者名簿に名を連ねる現実を知って唖然とした。
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後援会へかり出されて候補者の演説を聞くのも多くがそういった付き合いとしがらみで成立していた。議員たちの政策や人柄にふれるというより、消費者心理を巧にコントロールする霊感・催眠商法にも似た空気を放つ演説が多かった。


それでも地方の富と幸せを説く先生方の熱弁に市井の多くはささやかな希望を託し、国会へどんどん送り込んだ。「個」の言葉で表現しているのか「組織」の言葉で表現しているのか? なにも見極めないまま。その多くが自民党&公明党のハッピーセットのような票となって与党が運営されてきた。


そんなハッピーセット票で内閣継続モードを繰り返してきた偉大なる自由民主党が今大いに揺れている。


それでは最後に国家議員の全先生方にザ・タイマーズの名曲『ギーン ギーン』を捧げ、この国の未来にエールを送ることにする。

ギーン〜 ギーン〜 ギーン ギーン〜ギーン ギーン ギーン ギーン ギーン ギーン〜。お〜、エ〜イ!! ギーン ギーン ギーン ギーン ギーン〜〜〜〜〜〜〜ギーン ギ〜ン ギーン ギーン ギーン ギーン


2008年10月21日

【私と政治】

政治に関心がない、もしくは期待しないのは若者だけの特権ではない。わたしくらいの年齢になると政治に冷めてくる。その理由を書き記してみた。


テレビニュースでよく使われる「ある自民党幹部の声」という覆面コメントが嫌いだ。同じ党内部のことなのに他人事のように語るナレーションが実に気味が悪い。
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高度成長期に生まれたわたしの人生の尺だけで感じる政治への印象は、常に「選挙のための政治」を脱していないという一言に尽きる。


己の人生をかけて国策に取り組んでいる真摯な議員もたくさんいるはずなのに、個人の情熱や輝きはわたしたち有権者に伝わってこない。ただただ与党という組織の身勝手さと頼りなさだけが目立つだけ。辞めて解散。また作って辞めて解散…。


ドラマやバラエティ番組花盛りの時間帯に突然総理大臣が辞任記者会見を行い、各局が番組を中断、速報を流す。「え〜っ、ドラマの途中じゃない…」などと世の女子供の反感を買う。これ一つとっても国民目線に欠いた空気が読めない政界の都合や慣習と写る。


花束抱え同僚たちに見送られ黒い車に乗り込む元大臣の姿を見ても、責任を取って辞任という光景ではなく、まるで永年勤続者の勇退シーンのよう。


膿のように次々に出てくる政治家、官僚、省庁の不祥事。この体たらくなさまは、国策の名を借りた犯罪だと思う。しかし、「犯罪だ」とはっきり声にしないのが、この国の習わしか?。民間なら倒産を覚悟しなければならぬ失態にもかかわらず、トップが辞任するだけで組織が解体されることはない。


水戸黄門の悪代官・悪奉行のような政治家や官僚たちがすくすくと育ち甘い汁をズルズル吸い上げている。しかし、テレビみたいにご老公は一度も現れたことがない。せめて助さんか格さん、いや風車の弥七でもいい。


国民を騙し裏切り続ける政策や省庁の犯罪は、わたしたち国民の人生を脅かす暴力を使わない「政治的テロ」または「恐怖政治」だと感じているのはわたしだけなのか?


政治家も役人も「個」としての表現でなく「組織」としての表現ばかりを行ってきた古い環境にいま起こっている諸問題の病魔を感じる。


その古い環境へ議員を送り出しているのは、わたしたちだ。選挙および総裁選は子供の頃に体験した学級委員や生徒会長を選出するときの予定調和的な雰囲気とどこか似ている。「個」の輝きや魅力以前に学校という「組織」に漂う空気を大事にする。適任者を先生も生徒も無言のうちに了解し合っていた懐かしき人選。


2008年05月14日

   【自動車】

そんなに大きな町でないのに、どこへ行ってもやけに自動車が多い。
  
そんなに大きな町でないのに、道路に対して自動車のサイズも大きい。

高速道路がつながるに連れて、一般道を走る自動車の走行スピードが確実に速くなっている。

サイズが大きなうえ窓が黒くて運転者や前方の景色が見えない自動車も多い。
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ところが、自動車の変化に対して道路は昔と変わらない。

たまに歩いてみよう。たまにジョギングしてみよう。

歩道は歩きづらく、走りづらい。人間より自動車が偉いのが分かる。

たまに自転車やスクーターに乗ってみよう。
 
右腕すれすれを猛スピード追い抜いていく自動車は実に恐ろしい。

もはや、原付自転車がトロトロ走る制限速度を保てる公道はないに等しい。走るスペースさえ余裕がない。圧倒的に自動車の方が偉いことが分かる。

ところが、ところがである。「あ〜っ、バイクは邪魔だぜ」「お〜っと、この自転車は危ないぜ」「おいおい原チャリおばちゃんよ、早くいけよぉ〜」
 
とイライラしているのは何を隠そう自動車のハンドルを握っている時のわたし自身なのだ。

乗り物が変われば社会も違って見え「人」も変わるのだ。


2008年01月22日

  【 百万円の雨 】

 先日、約100万円する雨を見た。

 大宮市場で買った手作り日替わり弁当を食べ終え、窓外を眺めながら歯を磨いていると、雨が降ってきた。細い雨脚は、建物や車にかすかなしずくを残しただけで、本降りなることなく、すぐに止んだ。
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 佐世保市では小雨による水不足が続いている。さまざまな渇水対策が検討される中、初の人工降雨実験が行われた。市から依頼を受けた九大の研究チームが、飛行機に乗り込み、雲に液体二酸化炭素を散布。蒸発した炭素が空気を冷却して、雲の中に氷の結晶を作る。その結晶が成長して雨粒になって落ちる。というメカニズムらしい。

「実におもしろい…」と、テレビドラマ「ガリレオ」の名台詞が聞こえてくるような、自然科学の素晴らしさを秘めた興味深い実験だ。残念ながら、渇水に役立つまとまった雨を降らせることはできなかったが、理屈通りに上空に雨雲が垂れて、小雨がぱらついた。翌朝の新聞には「人工降雨 実用へ一歩」「人工降雨 成否微妙」などのタイトルが踊った。

 ちなみに、この実験の予算は1回約100万円ほどかかるそうだ。高いのか安いのか分からない。100万円あれば、水をどれくらい買えるのか? という素朴な疑問も浮かぶ。しかし、科学の進歩を考えるとうなずける金額にも思える。人類は優秀な学者たちのおかげで、豊かな文明を築いたきた。これまでもドラえもんのポケットが決してサイエンスフィクションではないことを、さまざまな発明と開発で予感させ、実現させてきた。科学は実に素晴らしく、頼もしい、人類の英知だ。

 だが、一方で科学がもたらした豊かさが、人類の危機も招いている。45億年も生きてきた地球の生命を、わずか一世紀ほどでことごとく傷つけているのは、先人達ではなく、今を生きているわたしたちなのだ。

 科学で雨を降らせることができるのなら、オゾン層も人工的に作って簡単に補うことができるんじゃないか? と、わたしたち素人は考えてしまう。これが人類のおごりなのかもしれない。自然界のメカニズムを科学療法で修復するということは、薬漬けの人体と同じ気がしてならない。

 約100万円の小雨を降らせた雲に、「どんな感じだった?」と地球の気持ちを聞いてみることができる人類の英知に未来を託したい。
 

2008年01月12日

  【 普 通 】

 車を運転中、携帯電話で会話したり、テレビやDVDを見ながらハンドルを握っているドライバーをごく普通に見かける。maki26.jpg

 その目撃頻度から推測すると、飲酒運転が隠れている可能性も有り得る。これは、ひっきりなしに行き交う車輌の中に凶器運転手が紛れていても誰にも分からないという現実の裏返しだ。

 耐震偽装、食品の偽装、賞味期限改ざん、接待ゴルフ、社会保険庁、厚生労働省、相撲部屋の不祥事……。

 いずれも表沙汰になる前、当人たちは携帯電話を使いながらハンドルを握るドライバーと似たような感覚で、ごく普通の行為として繰り返していたのではないか。

 常識や良心を捨てなければ成立しない「普通」は、まだまだいろんな場所でまかり通っていると考えられる。