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2014年05月29日

「バック・トゥ・ザ・早岐」

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昨日、くまモン来場で盛り上がった早岐茶市「後市」に行った。会場近くの「洋食の店グリーン」という立て看板が目を引いたので昼ご飯を食べることにした。


カウンター席だけの小さな空間だが、厨房や備品など年季の入った佇まいが郷愁を誘う。


ランチを頼み、ご主人とおかみさんと談笑。なんと創業40年、ずっと中町(早岐2丁目)で飲食店を営んできたそうだ。


そんな二人の記憶をひもとくと、伝統の茶市風情も近年になりずいぶん変化してきたことが分かった。


その昔周辺には旅館や木賃宿が点在。茶市に露天を並べる商人や生産者たちが宿をとり、毎夜どんちゃん騒ぎを行うほど景気がよかった時代があったそうだ。


コンビニやスーパーがない時代、人々は新茶や海産物、陶器、金物などさまざまな食材と生活用品を買い置き用としてまとめ買いするために、市に足を運んでいたようだ。


そんな茶市に出かけたお土産として人気を博したのが和菓子の「早岐けーらん」だった。

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当時は商品の運搬も船が主流。期間中は、早岐瀬戸から観潮橋の先まで船舶が停泊。食堂のご夫婦も海の幸、山の幸が海路で早岐に集まってきていた時代をご存じだった。


その光景を収めたモノクロ写真が早岐商工会に保管されている。昭和30年代に撮影されたもので、40年代初頭頃まで船がところ狭しと並んでいたらしい。
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鉄道に加え、定期連絡船が発着していた早岐は交通の要所として発展してきた。陸路と海路でいろんな物資と旅客が集うターミナルタウンだったのだ。


カウンターの端っこにちょこんと腰掛けた常連客らしきおばあさんの口から、早岐駅の前に映画館もありサーカスや見世物小屋もよく来ていた、という話も飛び出した。


交通の便により人、宿、店、娯楽が整っていった町。茶市は、活力に満ちた早岐を象徴する一大イベントだった。


「巨人軍は永久に不滅です」と長嶋茂雄が引退を決意した頃に、早岐に開業した小さな洋食店。ランチ皿に盛られたハンバーグ、魚フライ、ロースハムという豪華なラインナップに、人々のささやかな夢も一緒に乗っかっているような庶民の味がした。green.jpg


ご主人、おかみさん、ごちそうさまでした。


のれんを押して店を出ると、初夏の陽射しが照りつけた。約20分の昼食だったが、タイムトラベルから戻ってきた時差ボケなのか? 早岐の町並みが眩しかった。

2012年06月12日

「坂道のアポロンとJAZZと佐世保弁」

saka.JPGヒット中のアニメ『坂道のアポロン』。学園祭のライブシーンも音楽ファンば中心に話題ば広げよっよねぇ。「音色亭ブラウニー」のマスターでドラマーのターボさんも「ライブシーンのかっこよかっさ」とすっかり気にいっとっらすちゃん。サントラ盤まで買うてきて聴きよらしたもん。

そいと登場人物のさ、佐世保弁ば喋って、北高、九十九島、三ヶ町アーケード、三浦教会、眼鏡岩とか、見慣れた街並みのリアルに描き込まれとったい。そいけんが、今まで原作ば知らっさんやった新たなファンの心もつかんだごたっよ。放映に合わせ、町の本屋さんで、よーう品切れにないよったもんね。
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番組オープニングの主題歌に合わせ広がる街並みは、八幡神社から国道を挟み市役所を方向を望むアングルやったとね。50年前の時代設定とに、今に通じる景観は、佐世保人にはご当地アニメって感じのして倍楽しかとさ。

そのロケ地ば細こう調べて、アニメと実写ば対比させながら分かりやすう紹介しとらす『聖地巡礼(舞台探訪)特集』というサイトのあったとさ。「よ〜調べとらす〜」って感心すっけん、1回見てみてん。

そうそう、夏にはBlu-rayとDVDも発売さすとやろ。こいはもう「佐世保な記憶」に登録アニメたいね。
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ほんなこて聖地巡礼で県外からアポロンファンの来らすかもしれんよね。夏休みに向けてさ、佐世保バーガーだけじゃのうして、街中でmoanin♪のBGMばかけて歓迎すっぎよかっちゃなかと! とりあええず秋に音楽イベント『佐世保JAZZ』ば開催さすアルカスSASEBOや「いーぜる」のひかるさんはヘビーローテションでプッシュせんばやろ! なんて言うたっちゃ、JAZZの街やけんね。律ちゃんも喜ぶはずばい。

あ、そうそうJAZZって言うぎん、劇団「楽園天国」のJAZZば題材につくらした芝居『みなとまちさんせっと』も秋に再演さるっとってよ。こっちも今度は生バンドば入れてSing Sing Singば演奏さすとって。この夏から秋はJAZZたい!そいぎんた。

2012年03月23日

「佐世保北高、坂道のコラボ」

今年1月「第57回小学館漫画賞」(一般向け部門)に輝いた佐世保出身の漫画家、小玉ユキさんの代表作「坂道のアポロン」が、遂にアニメになってテレビに登場する。

物語の舞台は1960年代の地方都市。当時流行っていたジャズを題材に、高校生たちの瑞々しい青春像を描いた同作を「のだめカンタービレ」を大ヒットさせた、フジテレビの深夜アニメーション枠「ノイタミナ」がアニメ化。ジャズの名曲とかっこいい演奏シーンで織りなす音楽アニメとして注目を集めている。

とりわけ佐世保人が気になるのは、佐世保北高という名前こそでてこないものの、正門前の坂道など北高を思わせる背景。主人公の薫と千太郎が出会う屋上シーンで、自分が通った頃は錠をかけられ伝説のバリ封事件依頼、封印されたままだったなぁ、など懐かしい記憶を投影して読んでたりする楽しい作品だ。さらに登場人物たちの台詞が佐世保弁という点も親近感が湧く。skorabo.jpg

先日このアニメに参加している佐世保出身の声優、宝亀克寿さんから電話をいただいた。渋いバリトンヴォイスで活躍してきたベテラン声優で、最近では「ONE PIECE」の二代目ジンベエも担当している人物だ。ちなみに宝亀さんも北高OB。今回の仕事では、ライフさせぼ発行の「佐世保弁辞典」を片手に声優陣の皆さんに方言指導も行っているという嬉しい知らせだった。

小玉ユキさんのヒット作を声優さんが、佐世保弁辞典とコラボさせるとは、予想もしなかった展開。「こいは、絶対見らんばばい!」と放送スケジュールをチェック。

えーと、放送開始は4月12日。毎週木曜日24:45〜。九州の放送局は……、サガテレビ、テレビ熊本、鹿児島テレビ…!? あれ? 宝亀さ〜ん、おかしかです! テテテテテテテ、テレビ長崎の入っとらんとです。リアル佐世保弁アニメの佐世保で映らんとです。せっかくとにもったいなかぁ〜。BSフジが映る知人に録画ば頼まんば。

2012年03月13日

「真夜中のメッセージ・シーツ」


galki.jpg戸尾市場焼け跡の撤去作業は3月14日(水)から始まるそうだ。再建に向け被災者の皆さんも一致団結し始めた。火災があった深夜、市場周辺を真っ白なシーツを持って駆け回っていた一人の女性がいた。

近所の飲食店に勤務するこの女性は「夜が明け明るくなったら、市場がはっきり見えるから、お店の人が悲しむだろう…」と思い。自宅から持ち出したシーツに寄せ書きを集めるために、顔見知りの店をはじめ、まだ営業しているお店に駆け込み、応援メッセージを呼びかけた。

多くの人々が彼女の行動に共鳴し、真夜中のシーツは、あたたかい文字でいっぱいに埋まった。明け方前、シーツは火災現場から国道を挟んだ真正面に位置する南国食堂「地球屋」の店先に掲げられた。situ.jpg

道行くドライバーの目にもくっきり飛び込む「マケナイデ戸尾市場」の文字に被災に遭った市場関係者も「うれしかね…」と顔をほころばせる。洗い立てのような瑞々しいメッセージシーツは、今日も眩しいくらい白い輝きを放っている。 

2012年03月11日

「戸尾市場火災から3.11を思う」

海路でいろんな品々が運ばれたその昔。早岐茶市、朝市のように佐世保の「市」は海とつながって発展した。市民の台所としてこの街の食文化を育んできた戸尾市場も、その前身は湊町の海岸に集まっていた露天商だったという。

大正時代に京町や山県町、勝富町界わいが栄え始めたのを機に、露店がここに移動したのが市場の始まりらしい。tono.jpg
その後、商港が湊町から万津町に変わり、戸尾の利便性はさらに高まり、新鮮な海の幸、山の幸、生活雑貨などいろんな物が揃う市場として発展。東京のアメ横にも通じる風情を持つ昭和テイストあふれるスポットとして観光客にも人気が高い。

 その独特の雰囲気や人情、佐世保らしい歴史と地域性は、若い世代にもリスペクトされていて昨年、戸尾川をテーマに有志が集い「戸尾川活性化計画ほぼフェスさせぼ実行委員会」が発足。第1回目のイベントを戸尾川が流れ込む万津町で開催。今後川をさかのぼり戸尾市場でも同イベントを開きたいと意欲を燃やしていた。
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その市場が3月7日(水)の夜8時40分頃出火。消防による懸命な消火活動が行われたが、約10店舗が営業を行っていた一棟が全焼してしまった。

上から望むとまるで爆撃を受けたような惨状。生活の支えとかけがえのない想い出を一晩で無にしてしまった商店主の方々の心労を察してしまう。

市場のがれきを呆然と見つめながら、東日本大震災の焼け野原のようながれきの荒野を思い出す。街の一角だけでも、こんなに失われるものは多く、空虚感に包まれる。一瞬に命と想い出、産業、風土、歴史、文化まで飲み込んだあの未曾有の災害が人々に与えた絶望感がいかに計れ知れないものであったであろうか。
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今日は3月11日(日)。島瀬公園では地元ミュージシャンたちによる『がんばろう、ニッポン2012』というチャリティライブが開かれている。その横では市民有志が戸尾市場火災を見舞う募金を呼びかけている。夕方からはキャンドルを灯し、東日本大震災の犠牲者を追悼した後、原発問題などを語り合う集会も開かれる。

そして今、佐世保の街にも追悼のサイレンが高々と響く。2012・3・11 14:46 黙祷。


2012年02月22日

「早岐駅」

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「チェッカーズ」デビュー前の藤井フミヤさんが国鉄職員として仕事をしていた若き日、初めて配属されたのは佐世保市早岐駅だったそうです。「昔、早岐駅に藤井フミヤの勤めとったとって!」と当時のことを知らずとも、誰かの受け売りで、ちょっとした佐世保自慢のひとつとして語り継がれています。

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さて、その早岐駅に、長崎駅の車両基地が移転することになり一昨年夏より駅周辺整備工事が着工。列車の自動洗浄装置が設置されたり、駅東口に広場ができたり、様変わりするそうです。
 
早岐駅が開業したのは115年前の明治30年(1897)。門司に本社があった九州鉄道が長崎線拡張のために設けた駅で、その後、路線を延伸しながら長崎本線、佐世保線の分岐駅として明治、大正、昭和、平成という4つの時代を歩んできた歴史深き駅です。hiki3.jpg


自動ドアも自動改札口もないレトロな駅舎をはじめ、珍しい「0番」乗り場やホームに設置された洗面台、SL時代に活躍したレンガ造りの給水塔、転車台など、今も構内には鉄道の歴史を静かに物語る遺構も残っています。工事にともない姿を消す設備などもあるようなので、この帳面にも今の光景を記しておかねばと思い筆をとりました。
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昨年、佐世保鉄道事業部の協力で同駅を取材。旧国鉄時代に機関区に勤務されていたOBの方の貴重な話も伺い月刊誌「99VIEW」で特集記事を組みました。その時に紹介できなかった写真なども交え、鉄道の町として栄えてきた早岐のシンボルである駅の歴史を記憶にとどめておきたいと思います。


写真は駅舎正面入口の柱に今も残る建設当時のプレートと蒸気機関車時代に活躍したと言われるホームの洗面台。それではまた次回!雑記帳の「佐世保な記憶」をお捲りください。  


2011年10月08日

「エクラン東宝閉館」

 
明治19年(1886)、佐世保村に海軍鎮守府が置かれ、閑散とした村の空気が一変。日清戦争の勝利に沸き、小さな村は軍港としてモダンな街並みに生まれ変わって行く。eku3.JPG中心部には海軍相手の料亭や遊郭が軒を連ね、特需景気で人口が一気にふくれあがり村から市になった。

そんな中、歌舞伎などを上演する「弥生座」という芝居小屋がオープンした。ある日、「活動写真」が登場。スクリーンに映し出された日露戦争の凱旋パレードに、観衆はただただ感嘆。またたくまに街中の評判になった。この芝居小屋が現在の栄町にある「エクラン東宝」の前身だという。約1世紀にわたり佐世保市民に娯楽を提供してきた老舗映画館「エクラン東宝」が9月30日fに突然閉館した。客足が遠のいた経営不振が原因だ。eku4.JPG

同映画館が2スクリーンの東宝直営館として新築開館したのは平成2年(1990)。その前は「日活」「東館」を併設し、名画座や成人映画上映館の時代もあった。個人的な想い出をひもとくと高校時代初めて日活ロマンポルノを鑑賞した映画館でもある。根岸吉太經篤弔痢惘麝襦戮鬚呂犬瓠藤田敏八、若松孝二監督作品に出会ったのもここだった。エクランになってからは子どもと一緒にドラえもんやジブリ、ゴジラ、ガメラも楽しんだ。

ハイビジョン画像で自宅でもクオリティの高い映画鑑賞が可能になった現代。3つの時代を銀幕に映してきた老舗映画館の幕切れは、まるでフイルムが切れたような、実にあっけないTHE ENDだった。

2010年10月15日

「佐世保弁物語3」


【ほかんと】
佐保美「すーすーすーはどがん?」佐一郎「う〜ん、なんかさむかごたっね。ほかんと、なんかなか」「そうね、なかなかなかは?」。中央公園の噴水広場でベンチに腰かけ、ワインバーの屋号を思案中の二人。親しみのある佐世保弁でネーミングできないかという、佐一郎の思いで、佐保美が一生懸命知恵をしぼっていた。「佐保美さん、今度三川内につき合ってくれん。器ば三川内焼で揃えたかとさ」「よかよ、いこうで」。※「ほかの」の意味

【ほんなこと】
「あ〜ほんなこと、よかお湯やね」。湯船の中で笑顔をこぼす母ひろ子と久しぶりに、世知原町「山暖簾」の温泉を楽しむ佐保美。「今度、佐一郎さんと三川内にいくと。お店の皿や器ばみつけに」「そうね。ほんなこと、よか人と知りおうたね。もうプロポーズはさしたとね」「そがんと、まだにきまっとたい、お母さんなんばいいよっと」。ちょっと照れくさそうに、国見山の景色に目を移す佐保美だった。※「本当に」の意味の九州弁。「ほんなこて」と言う地区もある。

【めんまわる】
「佐一郎さんもう指輪買ったとかな? まだアクションなしですか?」「うん、まだなんもいわっさん。このキャンディばもう一個買おうっと」。佐保美と恵は玉屋1階の「ラウンド菓子」売場で量り売りのお菓子をカゴに入れながら会話していた。「今ね、店の名前ば考えよっとさ。恵なんかよかネーミング思いつかん? 佐世保弁で」「えっ、佐世保弁で名前つけるんですか?」「そう、たぶん方言ばローマ字で表記すっちゃん。あっ!! 」。佐保美が突然、恵の肩に手をかけ寄り添うようにふらついた。「佐保美さんどうした!?」「ゴメンゴメン。お菓子ばっかい見よったら、めんまわっただけ」……。※「目がまわる」のハイパーなまり。

【ゆうけん】
三川内で皿や器を買いそろえた佐一郎と佐保美は「させぼ四季彩館」に立ち寄って物産品を見て回った。「佐世保名物のなんでんあっとねぇ。あ、佐一郎さんさっき店の名前のひらめいたとばってん」「なん?」「じゃ、ゆうけん(言うから)ね。『コンケン』ってどがん?」「……こんけん?」「うん、こんけん。『出てこんけん』とかゆうたい。店によけいお客さんのこらすごと、縁起もようなか?」。佐一郎がレジに走り、「すいません。なんか書くもんなかですか」とメモ用紙とペンを借りている。紙の上に「K」の文字をすべらせ「Konken」と綴った。
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【ゆうけん】
「あっ!! よかねぇ。かっこよかやん。こいにしゅうか」「よかった、コンケンコンケン!」と喜ぶ佐保美の無邪気な姿を見ながら、佐一郎は胸の中で「じゃ、おいもゆうけん(言うから)。佐保美ちゃんも、おいについてコンケン!」と笑顔でテレパシーを送った。が、佐保美は「あ! まぜん婆の売ってあっ、買うとこお〜っ」と陳列コーナーに手をのばした。※「言うから」の意味。

【よか】
「よか眺めやろ」。ここはハウステンボスジェイアール全日空ホテル12階。佐一郎が鉄板焼「大村湾」でディナーをご馳走してくれた。シェフの素晴らしいナイフさばきに見とれているうちに、目の前で美味しく焼き上がっていく牛肉や魚介類の数々。佐保美は「おいし〜い」を連発して喜んだ。ご馳走をたっぷり楽しんだ後はテーブル席に移動して気分を変えてデザートタイム。スイーツを食べていると、「こちらは女性のお客様だけにご用意ささせていただいております」とおしゃれなフタ付の器が運ばれた。「うわぁラッキーなんやろ?」。※「良い」の意味

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テーブルに運ばれたデザートのフタをそっと持ち上げた佐保美の目がまん丸になった。「なんこい!!」皿の上にはジュエリーケースがぽつんと置かれている。驚く佐保美に佐一郎が、「知り合いのシェフに頼んで、おいなりのちょっとした演出たい。開けてみて」。「本当に買うたと!! 恵からほら例の事件。事情ば聞いたっちゃん、店の準備でいろいろお金のいる時にプレゼントはよかとに…」。佐一郎はコップの水を少し喉に流し、軽く深呼吸して「佐保美ちゃん、プレゼントじゃなか……プ、プ、プローポーズばい。はよ開けて指につけてくれん」。

きたぁ〜、マジ……こいがプロポーズの瞬間?……佐保美は全身が高揚していく感覚を必死におさえながら指輪ケースのフタを開ける。ぽん、ぽんと遠くから聞こえてくる音。ハウステンボス場内の花火が始り、周りのお客さんたちが「わ〜きれい」と窓の向こうに咲く大輪に目を奪われている。


「うわ、なんかうそんごたっ」と花火ではなく指輪を手に取りじっと見つめる佐保美。そっとリングを指に通して、佐一郎に向け手をかざしす。「よう似合う、よかった。……ね、佐保美ちゃん。おいの店ば一緒に手伝ってくれん?」「エッ!! お店ば」「すぐじゃなくてよかけん。考えてみてくれん。ずっと二人でおりたかとさ……け、け、っこんしゅう」。ぽん、ぽん。花火の音。あまりに突然で、まばたきのような「結婚」という二文字。佐保美はなんだか心だけ宙に浮いているような感覚のまま「う、うちも……すいとっよ」と答えるのが精一杯だった。

※続きはまた、そのうちに。

ライフさせぼ『佐世保弁辞典〜らいふさせぼ編』より。

2010年08月25日

「佐世保弁物語2」

【そいから】
佐一郎は夏目漱石が好きだ。久しぶりに『坊ちゃん』でも読み返そうと金明堂書店の文庫コーナーに佇んでいた。友情を選ぶか? 恋を選ぶか? 三角関係の微妙な心理を描いた『それから』の背表紙がなぜか気になった。soikara.jpgかといって佐一郎は別に三角関係に悩んでいるわけではない。もし無意識に天びんにかけているものがあるとしたら、ワインバー開店の夢と、会うたびにときめきが増していく佐保美の存在かもしれない。新潮文庫『そいから』……おっと失礼、『それから』を手にレジへ向かった。

【ちいった】
佐保美は同僚の恵と飲みに行くため、親和銀行京町支店のATMで一万円を引き出した。預金残高を確認しながら、母の「ちいった貯金しとかんばよ」という口ぐせを思い出した。※「少しは」の意味。

【つかいにっか】
佐保美と恵はイカの造りを肴にハイボールを飲みながら談笑していた。「この携帯、液晶ばぶつけたけん、つかいにっかっちゃんね」「佐保美さんみたいに、めちゃ方言を使う人には佐世保弁変換ができる携帯があれば便利ですよね」「そいよかねぇ。『ど』ば押したら『どけ行く』『どがんすっ』『どがんしよっと』って候補がいっぱい出てくる携帯(笑)。どっちみちもう古うなったけんがドコモ京町店に行って機種変更しゅーっと」。※「使いにくい」の意味。

【つっぽがす】tuupo.jpg
佐一郎は比良町で見つけた古民家の内装工事を友人の順ちゃんに頼むことにし、打ち合わせをしていた。「この壁ば、つっぽがしたらカウンターの長うとれんかね?」。順「柱はどこかね……あぁ〜、こけあっ。たぶん大丈夫やろ」※「穴をほがす」の意味。

【なきよっ】
「佐保美あんたなんばなきよっと」「なんもなきよらん」。サンドウィッチをほうばりながら、ビールを飲んでいた佐保美の目は確かに涙で潤んでいた。「どがんしたと、なんかあったとね」と心配する母、ひろ子に「どがんもしとらんって、もうなんもゆわんでさ」と語気を荒げ、キッチンを飛び出し自室に閉じこもってしまった。※「泣いている」の意味。

【なごうなっ】
「今日、仕事なごうなっと? 内装工事の終わったけん見にこん?」。佐保美は佐一郎からのメールに「大丈夫、くっけん!」と返信。仕事を終え、比良町の古民家に向かった。二人っきりで開店準備の前祝いに祝杯をあげようと、玉屋のサンドウィッチと缶ビールを買って、胸をはずませドアを開けた。するとカウンター越しに佐一郎と親しげに話をしている女性の後ろ姿が目に飛び込んだ……。※「長くなる」の意味。年配の人は「横になる」ことを「いっとき、なごうなっとかんね」などとも使う。

【なして】
「あっ!!」と振り返ったのは同僚の恵だった。「恵なしてこけおっと?」訳(どうしてここにいるの?)。「いや、ちょっと。あっ、もう私かえらんば」。恵はばつが悪そうに立ち上がる。「おってよかさ。そいより、二人って知り合いやったと? どがん関係? うちぜんぜん知らんやったとばってん」「あっ、うん。そうそう妹の同級生で……」「そうそう」と慌てて取りつくろう二人。その時、恵の手からあるものがひらりと床に落ちた。それは永田宝石店のジュエリーカタログだった。「ちょっと、二人ともなんばこそこそしよっと。うちもう知らん。かいっけん」。佐保美は怒って内装の終わった佐一郎の店を飛び出した。※「どうして」の意味。

【なんか】 
サンドウィッチと缶ビールを持ったまま帰宅する途中、佐一郎から電話がなったが、佐保美は無視して出なかった。しばらくするとメールのバイブが3回震えたが開きたくなかった。帰宅後、母の手料理を断り、ぬるくなった缶ビールのプルリングを引き、サンドウィッチをやけ食いしていると、こらえていた涙がポロポロとあふれ出した。「どがんしたと、なんかあったとね」と心配する母の声がとてもつらくて、自室に閉じこもり声を出して泣いた。※「何か」の意味のほか「長い」も「なんか」で表現できる。例「涙が枯れてしまっても眠れない佐保美。それは、とてもなんか(長い)夜だった」。

【ぬけん】
佐一郎は佐保美にプロポーズを決意。指輪をプレゼントしようと、こっそり恵に頼んでどんな品がいいか相談していたところ、恵と佐保美がはち合わせするというドジな結果を招いてしまった。その後、怒った佐保美との関係はいまひとつ。永田宝石店で買った指輪をまだ渡せずにいた。そんな指輪を遊び半分で自分の指に装着してみたところ抜けなくなってしまった。「あれ、ぬけん」と慌てふためくドジ続きの佐一郎だった。※「抜けない」の意味。

【はがいか】
真相を知らないままの佐保美は佐一郎と恵にだまされたような気がして「あ〜はがいか」を連発。そんなモヤモヤを一新しようと「まるた美容室」で髪を短く切ったら、気分も少し軽くなった。※「歯がゆい」の意味。sahomi.jpg

【ばかんごたっ】
髪を短くカットした翌日、同僚の恵が「誤解を晴らしたい」と先日、佐一郎の店ではち合わせした理由をうち明けてくれた。「えぇ〜なんね。そがんことやったと……あの日、もう少し残業してから店に行けばはち合わせせんやったとたい」
と佐一郎のおちゃめなプロポーズ大作戦の失敗に同情しながら「なんか、うちだけはらかいて、ばかんごたったね」。※「馬鹿みたい」の意味。

【はずれん】
はずれにくいイヤホンやコンタクトはありがたいが、指輪は困る。「あ〜、あせったばい」。佐一郎は佐保美のために購入したピンキー&ダイアンの指輪をケースの中にそっとしまった。※「はずれない」の意味。
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【ふとか】
佐保美と恵は仲なおりのしるしに「蜂の家」でシュークリームを食べた。「味も昔のまんまでボリュームも変わらんよね」「そうね、ふとかよね」「このひょうたん型のスカッチソースもなつかしかね〜」※「大きい」の意味。

続きはまた、そのうちに。 

ライフさせぼ刊『佐世保弁辞典〜ライフさせぼ編』より。

2010年08月05日

「8月8日に蜂の家カレーが88円!?」

緊急情報! 緊急情報!

2010年8月8日(日)佐世保市本島町で、すごい記念イベントが開かれる。
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1951年(昭和26年)に開業した洋食レストランの老舗「蜂の家」が60周年を記念して、佐世保市民に感謝の気持ちを贈ろうと、名物メニュー「蜂の家特製カレー」を、なんと88円で提供するそうだ。


蜂(ハチ)の屋(ヤ)にちなんだ「88」な一日。

当然この日のメニューは蜂の家カレーOnly。午前11時から午後8時まで約2000食分を準備するらしい(1人1食限定)。通常780円が88円とは、大胆×ビックリ×嬉しい=華麗(カレー)なる食の感謝祭である。

まだ食生活が豊でなかった戦後、調理人兄弟が創業。スパイス料理を勉強していたお兄さんシェフが、日本人の口に合うように研究を積み重ね生み出した「甘みと辛みの独特のハーモニー」は、家庭では味わえない欧風カレーとして、たちまち人気を広げた。ちなみにラーメン一杯50円の時代。このカレーは120円だったという。戦後いち早く外食の贅沢気分と「食」の喜びを与えた佐世保を代表するカレーなのである。hachinoya1.jpg

甘いものもまだまだ乏しかった時代、弟さんシェフが生み出した名物のシュークリームも加わり、カレーと同様に60年経った今も、その味のベースは大切に守り続けられている。

外観写真は、今年の「ライフdeライブ」の打ち上げで夜が明けちゃって、「みぞぐち食堂」でシメた後の記念写真。FM長崎の風間みなみさんをはじめスタッフの方々と一緒に佐世保らしいロケーション「シュークリーム」前でハイポーズ! ちなみにカメラマンはミュージシャンの松本浩太さん♪

佐世保の外食&洋食文化を担ってきた「蜂の家」さん。60周年本当におめでとうございます。


2010年07月14日

「佐世保弁物語」

ライフさせぼが発行した「佐世保弁辞典」に収録されている『佐一郎と佐保美の物語』を、つなげて読んでみよう。物語仕立てで佐世保弁の使用例が分かるぞ。
※印に方言の意味も紹介しておく。


【おい】
「おい!君」と見知らぬ人に声をかけられた佐一郎は「えっ!? おいのことですか?」と首をかしげた。※「俺」の意味。

【おーてみてん】
「よかけん一回、おーてみてんね。よかひとけんが…」「そうね」佐保美は叔母がすすめた縁談に「赤い糸」のような予感を覚えた。※「会ってみたごらん」の意味。

【かずゆっ】
添乗員の佐保美はバスに戻った乗客を数え終え、「あれ? 一人たりん。もう一回かずゆっけん」と運転手に伝え、再び人数を当たった。※「数える」の意味。

SSS.jpg【かずんでん】
ソムリエの佐一郎は、新種のフルーツワインをテイスティングするためグラスに鼻を近づけ、後輩に「よかにおいばい。かずんでん」とグラスを差し出した。※「嗅いでみて」の意味。

【かわん】
佐保美は何度試着しても決めきらない修子にあきれはて「ねぇ、買うと? 買わんと?」と苛立った。すると修子は「やっぱい買わん。もう一回アルバで見てみるけん」悪びれた様子もなく微笑んだ。※「買わない」の意味。

【きこゆっ】
添乗員の佐保美は、両手をメガフォン代わりにして「後ろの方は聞こえていますかぁ〜、次の金立パーキングエリアで休憩ですね」と告げた。しばらく間を置いて後部座席にいた老人が「ようきこゆっよ」と応えた。 

【きゃあないた】
佐保美はゴキブリを見て「キャ〜ァ!」と悲鳴を上げて泣いた。その日以来職場で「キャアナイタ」という、あだ名で呼ばれている。※「きゃあ」=「ひどく」、「ないた」=「疲れた」の意味。

【くろうならんうち】
佐保美は初めて佐一郎とデートした。弓張展望台から望む九十九島の夕日は、二人をつなぐ糸のように真っ赤に染まった。「食事に行こうか?」という誘いに「今日はくろうならんうちに帰らんばけん…」と佐保美は心と裏腹な言葉を返してしまった。※「暗くならないうちに」の意味。saseben.jpg

【げんきんなか】
昨夜初めてのデートで佐保美から食事を断れた佐一郎は、どこかしょんぼり見えたのだろうか、同僚の松永シェフから「どがんかしたとね。なんか、今日はげんきのなかね〜」と声をかけられてしまった。※「元気がない」の意味。

【こけ】
〜コッコ〜とニワトリの鳴き声で目覚めた。一体何時頃だろう? 枕元に置いていた目覚まし時計を探すが見当たらない。佐一郎は「…おかしかね、こけおいとったとに…」と呟いた。※「ここ」の意味。

【こみんか】
佐一郎は古民家を利用したワインバーを開き、独立することを決めた。物件を見ながら「思ったより、こみんかですね」と不動産屋に呟いた。※「小さい」の意味。「こまか」「こみか」とも言う。

【さがいよっ】
風邪をひいて仕事を休んだ佐保美の携帯に同僚の恵からメールが届いた。「具合はどうですか、熱は下がった?」「うん、ねとったらだいぶさがいよっ」と変換しづらい方言をひらがな打ちで返信。※「下がってる」の意味。

【しけ】
「しけね、今日は海のしけとっけん、船ば出せんよ」佐一郎と佐保美は瀬渡し船で釣りに出かける予定だったが悪天候のため「海きらら」に場所を移し、クラゲやイルカを見て楽しんだ。※「困った」の意味。

hana.jpg【すいとっ】
佐一郎と佐保美は、いしだけ動植物園で象のハナ子を見ていた。「この象、うちたちの子どもんときからずっとおるよね…」「おいはこまか時、こいの鼻ばさわったことのあっとばい」「へぇ〜」と微笑み合う二人。突然、佐一郎が真顔に戻り、「佐保美さん、大事な話のあっとばってん…」「えっ!?」と驚く佐保美は(…いきなりプロポーズ? まさかハナ子の前で「すいとっ」ってゆわすとやろか…?)と想像おふくらませるのだった。」※「好きだ」の意味。席が空いているときなども「すいとっ」と使う。ちなみに佐世保人に親しみの深い象のハナ子は今年40歳。来園38周年を迎えるんだって。

【せまか】
「思ったよりせまかやろ」佐一郎はワインバーに改装する古民家に佐保美を連れてきた。「こいぐらいが、ちょうどよかさぁ。レトロ感のあってよかぁ」と佐保美は屋内を見回しながら、「大事な話」って仕事を独立する事やったとか、と心の中で呟くのだった。

続きはまた、そのうちに。 

ライフさせぼ刊『佐世保弁辞典〜ライフさせぼ編』より。

2007年02月16日

「ぽると」

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 以前、長崎市在住のロックンローラー、狩須魔緒さん(ファンタージーズコアのヴォーカリスト)と話しをしたとき、「あのネオンの中にレコード会社を作るのが夢だったんですよ」と語った。その憧れの延長で「ポルトレーベル」というレーベルを立ち上げたということだ。
 
 残念ながら、かつて戸尾町上空にそびえた、このボール型看板は15年前(H4・春)に老朽化にともない撤去されてしまった。ビルの屋上で佐世保の名菓「ぽると」をアピールした大型球形ネオンだ。
 
 銀座にあった森永製菓のネオンをヒントに昭和40年頃建造された。もちろん企業の広告塔なのだが、昭和という時代の中心市街地を輝かせた実にシンボリックな存在だった。

 昭和の佐世保人は、消費者金融の看板ではなく、ちゃんぽん、ラーメンの香り漂う駅地下街やアーケードを歩いたり、このネオンを見たときに「佐世保に帰って来たぜ」と実感していたのである。

 玉屋のおもちゃ売り場を見下ろせるレストランや屋上のモノレールと同じく、僕ら“20世紀少年”に夢を見せてくれたシルバーメタリックの「ぽるとボール」。それは「ウルトラマン」の科学特捜隊、「ウルトラセブン」のウルトラ警備隊に通じる近未来感をも放っていた。現在この一角は開発で新地になった。当時の名残りはなにもない。  (如月)

2006年12月08日

「ピカデり」

P1010018.JPG P1010004.JPG 久しぶりに「まちの記憶」を紐とこう。
 小生は高校時代このピカデリという映画館で「エデンの東」や「小さな恋のメロディー」など名作リバイバル上映をよく楽しんだ。

 昭和32年の開館から洋画専門館として親しまれてきた映画館だが、昭和の後半は東宝作品の直営館に変わった。近年では「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」で行列に並んで映画を楽しんだ記憶を持つ人も多いはずだ。

 明治時代に鎮守府が置かれ、村から市へ大きく成長した佐世保は海軍の街として料亭や娯楽施設も早くから栄えた。昭和の初めには九州有数の劇場といわれる佐世保座という洋館づくりのおしゃれな劇場(後の第三中央〜日活中央〜東宝中央)をはじめ、千日劇場など本格的映画館が街のあちこちにできた。
 
 敗戦後、米海軍の街としての顔を持つようになると、今度はキャバレーやダンスホール、レストランが続々誕生。しかし、朝鮮動乱の特需景気がおさまると、キャバレーやホールはどんどん映画館に姿を変えた。昭和の佐世保人の想い出でもあるカズバ、グランド、スバル、ピカデリー、テアトルダービー、国際、富士……などだ。
 
 東宝中央や東映もそうだったが、洋館を利用した劇場には2階席が独特の雰囲気を放っていた。特にカズバやピカデリといった大型館の2階特別席は別料金が必要だったので、子供の頃は憧れの場所だった。

 ちなみにこのピカデリは2年前に閉館した。 地方にもシネコンスタイルが普及した現在、ホール感覚の昔の劇場に昭和の想い出が蘇ってくる。白黒写真はオープンしてまもない頃の同劇場だ。

 ゴジラシリーズから百恵&友和シリーズ、「日本沈没」「八甲田山」「悪魔の手毬歌」「太陽を盗んだ男」などを観た東宝中央。「未知との遭遇」「人間の証明」「エレファントマン」などを観た東宝プラザ。
 
 まんがまつりから松田優作の遊技シリーズまで観た東映。「十戒」「大地震」「ジューズ」「エイリアン」など大作にふれたカズバ。
 
 「燃えよドラゴン」「エクソシスト」などに驚いた太陽。盆と正月はスバル座に行けば寅さんに会えた。
 
 休憩時間に首から箱を下げてサンドウィッチやジュースを売り歩いていた日活のおばさんの姿も懐かしい。

 映画館にも「まちの記憶」がたくさん眠っている。      (師走)
 

2006年08月21日

「まちの記憶」

 映画「オールウェーズ」はDVDになっても人気。コンビニにスーパーヨーヨーが付いた復刻版コーラが並ぶ。食玩おまけも昭和を題材にしたものが目立つ。昔は「回顧」という言葉に、縁側でエコーでもくゆらせながら「あの頃は芋ばっかり食ったな…」と爺さんが記憶を辿っているようなイメージを持っていた。が、近頃は30代そこそこの輩が「わ、懐かしい!」と学校給食のレプリカフィギュアなんかを手に取って喜んだりする。
 
 拙者も「スイカの漬け物食いたいぜ!」「くじらのステーキ食いたいぜ!」とキース・リチャードの字幕スーパー口調(英国で「ぜ!」はどう表現するのか?)で昭和を懐かしむことが増えた。せいぜい20年〜30年前の記憶だが、平成の世では得ることができない何かを求める感がある。

 それは深い郷愁や回顧というより、アルバムをめくりながら想い出を整理している感覚にも似ている。今の人間は日々膨大な情報を頭にぶち込んでいる。脳のメモリー容量のことはよく知らないが、眠っているときに見る「夢」が脳内をシャフルしているようなことを何かで書見した覚えがある。
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 もしや、最新データ優先の頭の中は、自己の古いデータを整理する作業ができなくなているのか(?)。 過去を振り返る映画、音楽、アニメ、ヒーロー、フィギュアはそういった古いデータを開くツールとして大活躍しているのかも。          

 そこで、拙者もツールを探してみた。名づけて「まちの記憶」! ありましたぞ。旧佐世保駅舎解体中の写真だ。「わ、懐かし〜い! 鞄と手荷物をたくさん持ってこの回廊を行き来したよね〜」わずか4年前の光景であるが、すでに「プチ懐かし」の感覚。人の頭の中と同じく都市の記憶も日々消去の連続。ごみ箱の中こそ大切な記憶の宝庫なのではござらぬかあ〜。(文月)