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「バック・トゥ・ザ・早岐」

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昨日、くまモン来場で盛り上がった早岐茶市「後市」に行った。会場近くの「洋食の店グリーン」という立て看板が目を引いたので昼ご飯を食べることにした。


カウンター席だけの小さな空間だが、厨房や備品など年季の入った佇まいが郷愁を誘う。


ランチを頼み、ご主人とおかみさんと談笑。なんと創業40年、ずっと中町(早岐2丁目)で飲食店を営んできたそうだ。


そんな二人の記憶をひもとくと、伝統の茶市風情も近年になりずいぶん変化してきたことが分かった。


その昔周辺には旅館や木賃宿が点在。茶市に露天を並べる商人や生産者たちが宿をとり、毎夜どんちゃん騒ぎを行うほど景気がよかった時代があったそうだ。


コンビニやスーパーがない時代、人々は新茶や海産物、陶器、金物などさまざまな食材と生活用品を買い置き用としてまとめ買いするために、市に足を運んでいたようだ。


そんな茶市に出かけたお土産として人気を博したのが和菓子の「早岐けーらん」だった。

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当時は商品の運搬も船が主流。期間中は、早岐瀬戸から観潮橋の先まで船舶が停泊。食堂のご夫婦も海の幸、山の幸が海路で早岐に集まってきていた時代をご存じだった。


その光景を収めたモノクロ写真が早岐商工会に保管されている。昭和30年代に撮影されたもので、40年代初頭頃まで船がところ狭しと並んでいたらしい。
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鉄道に加え、定期連絡船が発着していた早岐は交通の要所として発展してきた。陸路と海路でいろんな物資と旅客が集うターミナルタウンだったのだ。


カウンターの端っこにちょこんと腰掛けた常連客らしきおばあさんの口から、早岐駅の前に映画館もありサーカスや見世物小屋もよく来ていた、という話も飛び出した。


交通の便により人、宿、店、娯楽が整っていった町。茶市は、活力に満ちた早岐を象徴する一大イベントだった。


「巨人軍は永久に不滅です」と長嶋茂雄が引退を決意した頃に、早岐に開業した小さな洋食店。ランチ皿に盛られたハンバーグ、魚フライ、ロースハムという豪華なラインナップに、人々のささやかな夢も一緒に乗っかっているような庶民の味がした。green.jpg


ご主人、おかみさん、ごちそうさまでした。


のれんを押して店を出ると、初夏の陽射しが照りつけた。約20分の昼食だったが、タイムトラベルから戻ってきた時差ボケなのか? 早岐の町並みが眩しかった。