「0S-61 最後の小学校生活
1972〜1973年
小学生最後の大イベントは、待ちに待った小松左京のベストセラー小説『日本沈没』の映画化だった。東宝中央にワクワクして出かけたのを覚えている。1万メートルの海の底、日本海溝まで潜っていく深海潜水艇わだつみの実写を遂に体験。パイロットの小野寺(藤岡弘)と、田所博士(小林桂樹)もかっこよかったぁ。長年リスペクトしてきたガメラ、ゴジラという二大怪獣映画からパニック映画という新ジャンルにステージアップした記念すべき日。豪華役者陣の重厚な演技と、敗戦から華やかに復興したのもつかの間、再び消えゆく国土を憂う日本人。生き残った国民は国際社会にどう受け入れられるのか……? 小6の心にはドデカすぎるテーマを目の当たりにして、ちょっと大人になった気分も味合わった。
また劇中で総理をはじめ国家機関の関係者に地殻変動とマントルの仕組みについて
説明する眼鏡をかけた学者の姿になぜか魅了された。その時点でその人物が東大教授の地球物理学者、竹内均とは知らなかった。後に科学雑誌『Newton』を発刊され、その編集長が、なんと映画で見たあのルックスの人物ではないかぁ〜と大感動。成人後、竹内氏の著書を通じてその生きざまにも影響を受けた。
73年〜74年、お正月映画『日本沈没』に心を躍らせた私は、その後半ズボンを脱ぎ、カンコー学生服(乃木服の百恵ちゃんと、カンコーの淳子ちゃんの選択肢だった)を着て福石中学校の門を潜ることになる。残された小学校生活の記憶はあまり鮮明ではないが、ハヤカワSF文庫のキャプテン・フューチャーシリーズを読みあさり、『子供の科学』を毎月購読していたと思う。
そんな春のある日。テレビで流れていたローカルニュースに、いきなり福石中学校が登場した。たぶん卒業式だったと思う。体育館に掲げられた日の丸の旗が降ろされ、生徒たちが『戦争を知らない子供たち』を大合唱したというショッキングなニュースだった。反戦どころか反体制とかアナーキズム、日教組、ヒッピー、ラブ&ピースもよく知らない12歳の私にはテレビで見たことしかないストリーキングに負けないインパクト放つ映像だった。しかも、この春からこの中学校へ入学する身である。一体、どんな学校なのか? 深海潜水艇わだつみ、キャプテンフューチャー、コメット号に憧れ、『子供の科学』を愛読していた少年には、計りき知れない世界が待ち受ける中学校に思えた。
もう一つ、小学校生活の大きな事件は生まれて芸能人と握手をしたことだ。四ヶ町の西沢本店(アルバ西沢)の屋上だったことを覚えている。ちょっとしたステージショーがあったかのか否かは記憶がない。しかし、あの屋上に折りたたみテーブルと椅子が置かれ、左とん平が座っていた。順番にサインと握手をいただいた記憶だけが鮮明に残っている。たぶん『ヘイ・ユー・ブルース』の大ヒットで、この地まで足を延ばしたのだろう。