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「悪人」

2回観た。震えた。涙出た。4年待った甲斐あり。
劇場には女性客多し。シクシクとすすり泣きが聞こえてきた。 


スカイラインが三瀬峠を越え福岡市街に向かう冒頭から、最近ごぶさたしていた映画的緊張感に引きづり込まれる。解体作業現場に向かうワゴン車のフロントガラスに広がる道筋が、事件現場に向かう警察車輌から見た峠の光景に移り代わったところから、その緊張感はさらに深まりを増す。


轟音を発して廃屋を取り壊す作業現場のシャベル……殺人という非日常的な破壊を象徴するかのよう。のどかな漁村……房枝が台所でグサッと包丁を入れ、さばかれていくまな板の上の魚にも、祐一の携帯動画に保存された下着姿の佳乃にも生々しい「生命」を感じる。


料理をちゃぶ台に運びながら「今日警察のこらしたとよ…」と祐一に語りかける房枝。黙々と口に箸を運ぶ祖母と孫の夕飯。ご飯を噛みながら房江が細々と論じる人の善悪……静かなシーンだが、現実を良識で整理していく人間の情が逆に痛々しく心に突き刺ささり、まるで最後の晩餐のよう。/panfu2JPG.JPG


光代のメール着信から物語が後半に向かって加速し始める。メールでの無機質な出会いと実際に言葉を交わして進展する有機的な性交。ベッドシーンも最近の邦画では珍しく必然性を持ってきちんと描写されている。佐賀駅での別れ際、バックミラーに映る光代の後ろ姿が印象的。


呼子名物イカの造りを目の前に殺人を告白する祐一。イカの目玉に映り込む回想シーンにより事件の真相が明らかになっていく。物語前半に蓄積された「負」を全部受け入れ背負ってくれるような光代の力強い存在感。救世主が現れたように、観る側は、いつのまにか光代の言動に救いと希望を覚え始める。


祐一の少年時代と現在の、行き場のない微かな希望を象徴するかような灯台。「あんたには大切な人はおるね」という佳男の台詞を皮切りに始まるクライマックスの映画的ダイナミズムは圧巻だ。


オープニングからエンディングまで弛むことない映画的緊張感は『張り込み』『砂の器』『青春の殺人者』『復讐するは我にあり』『事件』などで味わった感覚にもどこか似ていて、近年慣らされてきたテレビドラマ映画の空気とは明らかに異なっていた。


いい原作がいい映画になる条件とは一体何だろう?


黒澤明、市川昆、今村昌平、大島渚、野村芳太郎、長谷川和彦、伊丹十三……銀幕に「今」を描き続けた昭和の名匠たちが放っていた映画監督の「作家性」を久しぶり味合わせてくれた素晴らしい日本映画だ。


今の社会では、祐一と光代より増尾や佳乃の方が一般的で分かりやすい若者像かもしれない。経済や文化をメディアを動かしているのも増尾や佳乃が持つ「軽さ」がエネルギーになっていると思う。だからこそせめて映画の世界くらいは「軽さ」ばかり追わず、社会のすそ野で生きる等身大の人間をきちんと描く「重み」も大切にして欲しい。そういう意味でも「李監督に座布団5枚!!」って気分!