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「血液の証明」


約半世紀におよぶわが人生。まったく血液型など気にせずに生きてきた。

ところが、昨今血液型ブーム。あの人A、やっぱりそうね。あの人B、なるほどね。あの人O、はいはいはい。あの人AB、ほらほらやっぱり。といった具合に、性格、習性、行動パターン、思考、胸の内など全て血液型でチェックされるシーンが増えた。

昔から血液型占い、血液型相性という類があるのを知っていたが、まったく興味を持ったことがない。ところが、『自分の説明書』なる本が大ベストセラーになるなどブームが広がり、小学生の娘までも「お父さんって、本当にA型?、あんまいAらしくなかね」などと突っ込んでくる始末。

「なにをぬかすか、わたしは正真正銘のA型だ。献血だってしたことあるんだぜ」
ところが家の外でも「O型ぽい」とか「Bやろ」「もしかして私と一緒でO型ですか」と、わたくしがAであることを否定する声を浴びることが増えた。

とどめは、この春、従兄弟連中が集まった法事の宴席だった。昔話に盛り上がっている最中、「○○ちゃんはO型やったよね」と問いかけ。「違う、僕はずっとA型だ」と答えると「うっそ〜」と声を揃えて驚いた。従兄弟たちにとってわたしがO型であった方が分かりやすいのか? 「どうして僕はいつもOやBって言われるんだ…」と愚痴をこぼしていると、側にいた父親が「人の血液型も途中で変わるかもしれん。もう一回検査ばしてみんばたい」とほくそ笑んだ。

う〜む、人の個性や生きざまは血液型で全て決まるわけじゃあるまいし。血液にそんなに縛られて暮らしたくないわ。と斜に構えてみるが、どうも気になる(この小心こそ素晴らしきAタイプではないのか)。どうして世間はこのわたしをAと認めたがらぬ。どうして。どうしてなの? 

そうこう思っていたらひじょうに他人との相性が気になってしかたなくなった。
「Oぽい」「Bぽい」と言われるAの俺は、一体何型の人と相性が合うのだろうか?
今まで気が合う、肌が合うと思ってつき合ってきた人々の血液型がものすごく気になってきた。血液型人間関係調査、題して『血液の証明』を決行することにした。

ところが、わたしは友だちが少ない。ときどき酒を酌み交わすなど気心知れた数少ない友たちに電話や電文で「君の血液は何型だったけ?」って改まって訪ねてみた。その行為自体が実に不自然で、恥ずかしかった。

しかし、この問題を解決しないとわたしは前に進めないのだ。勇気を出して聞くんだ、聞くんだジョー〜。勇気をふりしぼって調査した結果は以下の通りだった。

●ターボさん(O型) ●ハウリン伊達丸(AB型) ●醤キエロ(A型)
●イトウさん(AB型) ●ともぞう(O型) ●オガタさん(O型) ●ウラサキさん(AB型) ●ヤマガジョウさん(A型) ●千草ちゃん(O型) ●松健(A)……。

これがわたしの血液型人間関係か。何を意味するのか。とりあえずB型が一人もいなかった事実が分かった。だが、最初に書いた通り、相手の血液型を聞いてお付き合いしたことは一度もない。気が合う気が合わないは、血液型に関係ないと信じている。その人の人柄が一番の魅力だと思う。わたしはもうAでもBでもABでもOでもなんでもいいぜ。(卯月)