「松千のマツケンと刺身のケン」
佐世保で新曲を制作中の松千と「木炭屋」で飲んだ。ハウリン伊達丸も加わり、遅ればせながらの新年会だ。
焼き鳥はもちろん、シメアジと生ビールの愛称も抜群。ジョッギ片手に「うまいっすね〜」と、ちぐりん(千草ちゃんのニックネーム)もご満悦だ。「お待たせしました〜ぁ」とメニューを運んでくれるのは、赤崎コンパ大學のベーシスト山ちゃんだ。ステージと変わらぬサービス精神あふれるスペシャルな接客付という楽しい飲み会だった。
ギタリスト松健はいつも通り、酒を飲んでも口数が少なくクール。食欲旺盛なる若者なのに肴を口に運ぶ回数が極端に少ない。グラスを傾けながら。真剣な眼差しで黙って人の話を聞いている。そこで、拙者が「松健も何か喋りなさいよ」と談笑の仲間入りを進めて、またまた新たなる“マツケン伝説”が生まれることになった。
実は彼、年頭に「今年はもっと喋るぞ!」というドデカイ抱負を身長156cm、体重45kgのボディに刻み込んでいたのだ。この夜、弾む会話をイメージトレーニングして宴に挑んだそうなのだが、ちょっと言葉を詰まらせたように訥々と話すテンポはいつも通り。不完全燃焼のまま酔っぱらい談義に加わっている松健の胸中を聞いてみると次のような言葉が返ってきた。
「人の会話を聞きながら考えを巡らせ、自分の意見がまとまった所で、よし発言しようと思うと、いつも話題が変わってしまっているんです」
ギターテクと歌はあんなに達者な松健なのだが、会話が苦手。その原因は彼のシャイな性格に隠れた思慮深さにあるようだ。
例えばこの夜、拙者が「刺身のケンやツマって必ず残るよね。僕は大根のケンってキャベツの千切りみたいに好きなんだ。大根もシソの葉も単なる飾りじゃない。生臭さを抑えたり、殺菌効果もある、しかも、ビタミンが多く含まれていて、動物性タンパク質を食べ過ぎて酸性になりがちな体を中和させたり、消化を助けたりする役割もある。洋食のパセリみたいな大事な野菜。つまりケンは食生活の知恵のたまものなんだ。それを、日本人は毎日大量にゴミとして捨てている。刺身と同じく残さずいただくことこそ、エコライフだと思う。そこで、僕は『ケンとツマも美味しく食べよう』を今年のテーマに掲げ実践したいと思う。皆さんどう思う?」
みたいな話しを浴びせると、ちぐりんは「え〜ぃ私も食べま〜す」と盛り上がる。伊達丸も「そうさ、そいがロックさ。ロックンローラーは絶対映画『アース』も、観とかんばって!」と語気を強めて手前勝手な世界観を言語にする。
このように脈略がありそうでない、無秩序な会話のやりとりが一般的な雑談、および談笑のグルーブ感だ。
ところが、松健は沈着冷静。ときおり、相づちを打つ程度で感情を表さない。この間も、彼は大人しく思考を反芻しながら、刺身のツマやケンに対する自己の論理をまとめる作業を行っていたのである。
「じゃ、この4人で刺身のケンとツマを守る会を発足しよう!」と勝手な会を発足させ乾杯したのとほぼ同時に、話題は伊達丸が振った映画『アース』に変わり、ちぐりんがお正月に観た『椿三十郎』へと移った。
松健がまとめ上げた刺身のケンとツマに対する独自の見解は言語となって発表されぬまま終わり、今度は映画についての話に耳を傾けながら、あれこれと思いを巡らせていたのだ。
ときおり、「自分は…」と、高倉健のようなストイックな口調で、仲代達也みたいな瞳をギラギラと輝かせ、言葉を慎重に選びながら話しを切り出す松健。決して人の話に割って入り、強引に自分の気持ちを挟もうとしない松健。それが松健の魅力なのではないだろうか。
言葉にならなかった彼の思いは音楽の中にフィードバックされてゆく。ぺらぺらお喋りの軽薄さがもてはやされる時代。言葉を抑えた彼の感情はギターの音色となって人々の心と会話する。音楽、歌詞、絵、文章などの表現手段が松健に一番適した言語伝達なのかもしれない。
以前は中学生に間違われていた松健。最近は髪を伸ばして、トイレでよく女性と間違われるそうだ。その思いは生の声よりも文章とイラストでうまく表現された。気になる方は、ライフさせぼ、1月25日号に掲載されている『松千TOKYOメール』着信27『空港のオアシス』をご覧あれ。無口な松健の心境がおもしろく綴られたエッセイに仕上がっているぞ。(睦月)