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「佐世保ラーメン伝」

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 佐世保のラーメンは、九州ラーメンの源流と言われる久留米や長浜より、ややあっさり薄味のとんこつスープが主流だ。具はチャーシュー、モヤシ、キクラゲ、ネギとオーソドックスで、なかなか旨い。どちらかというと佐世保バーガーよりも身近に親しんできたふるさとの味の一つとも言える。
 
 その起こりは朝鮮動乱の特需景気に沸く昭和27年(1952)にさかのぼる。それまでチャンポン麺しかなかった佐世保に中華麺の製造が広がり、屋台の中華そば店が急増した。「喜楽」「お富さん」「お栄さん」「丸徳」「草木ヶ原」「末広」など今も愛されている老舗ラーメン店の先代たちがほぼ同時期に移動式の屋台営業を始めた年である。
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 だが、それより何ヶ月か早く一台の屋台がすでに佐世保の街に現れていた。大阪の空襲で家を失い父親の実家がある佐賀県に移り、別府に転居。製麺所で麺打ちを覚え、料理人にスープの出し方を習い、中華そば屋を始めた新郷譲次さんの屋台だった。別府市から進駐軍がいなくなり、景気が静まったのを機に特需に賑わう佐世保を目指したと言う。

 当時、市内には中華麺がなく新郷さんは大川製麺所という所に作り方を持ち込んで製造を依頼。やうやく商売をスタートさせたのだが、保健所の職員が困った面持ちで新郷さんを訪ねてきた。闇市を中心とした露店業者へ衛生面などを理由に行政指導が始まり、夜店公園通りにハーモニカ長屋風のバラック造りの建物を整備。その中に業者を収めた矢先に、新郷さんの移動式屋台が現れたのである。毎日、営業中止を求めにやって来る市の職員に新郷さんは「分かりました。私もお役人について回ってもらって、商売するほど面の皮は厚くありませんから…」と言い残し、わずか1ヶ月で屋台を閉じた。この新郷さんが現在の「大阪屋」の創業者だ。

 ところが、皮肉なことにその直後、中華そば、うどん、焼きそば、焼きうどん、おでんなどを売る屋台が続々と登場。全国的に闇市が取り締まられた後に屋台業が自然発生的に広がったと言われる時代、行政側もなす術がなかったのか、後に営業権を与えることになったようだ。最盛期の昭和30年代初頭には、佐世保駅から島瀬公園までの国道沿いに約170軒の屋台が軒を連ねていたと、かつてあるラーメン店の主人に教えてもらったことがある。蝶ネクタイ姿のバーテンがいてハイボールなどを出す、屋台バーも珍しくなかったそうだ。

 ちょうどその頃、福岡の久留米ラーメンや長浜ラーメンが有名になってきていた。札幌ラーメンや東京ラーメンなどご当地ラーメンも全国に知られるようになって「中華そば」から「ラーメン」という呼び名が一般的になる。新郷さんは屋台を辞めた翌年、昭和28年に当時の潮見町にあった「御座候屋」の隣に佐世保初の中華そば専門店を開店させた。屋号は生まれ故郷の大阪に想いをはせ「中華そば大阪屋」と名づけた。新郷さんは、久留米の白濁とんこつスープとは対照的に「澄んだスープこそ命」をテーマに自家製麺を使った正統派の中華そば作りをベースに試行錯誤し、オリジナルの味を追求した。昭和32年に現所在地、下京町の自社ビルに移った。今も湯気の中のシナチクが中華そば時代の名残りを静かに物語っている。
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 佐世保の老舗ラーメン店の多くが独自の味を研究したのは昭和30年初頭の屋台時代だと思われる。個性の強い?岡派の影響も受けつつ、お客さんの口に合う旨いラーメン作りにしのぎをを削った“佐世保ラーメン創成期”だったのだ。しかし、昭和39年、東京オリンピックの開催にともない、全国で美化と衛生面を掲げ、屋台を廃止する運動が高まる。道路交通法が改正され屋台が厳しく取り締まれるようになっていった。営業権も一代限りとなり、佐世保の街からも次第に屋台の灯りが減り、店舗を構えるラーメン店が主になっていった。


 9年前の冬、地球屋の原さんと飲みながら屋台巡りをしたとき市内にはまだ「旭屋」など7軒の屋台が残っていた。おでんや串焼き専門の屋台「黒百合」など居酒屋感覚の個性派屋台も人気だったが、もう姿を消した。現在は市役所ヨコの人気屋台「まるに」と駅前の「みつる」ぐらいしか目にしなくなった。raa1.jpg闇にうっすらと灯る赤い暖簾から上がる湯気と人々の笑い声……見知らぬ者同士がコの字になって酒やおでん、ラーメンを楽しんだ昭和の一コマ。コンビニの灯りよりぬくもりを観じる灯りだったように思える。

 昭和の屋台文化に育まれたルーツを持つ佐世保ラーメンの歴史は約55年。後発のお店や平戸の名産品、焼きあごでダシをとる「あごらーめん」なども加わり、チェーン店の席捲を受けながらも、30軒ほどの地元ラーメン店が、それぞれの味と風味を平成の今も楽しませてくれている。そんな中、先月初めに「大阪屋」の二代目新郷悟さんが先代から引き次いだ味と伝統を守りながら、21世紀に送る新たなる佐世保ラーメンをデビューさせた。 〈つづく〉

※写真は9年前に撮影した佐世保市の屋台風景。   (霜月)