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2007年11月30日

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「佐世保のクリスマス」

 佐世保では年末になると島瀬公園をメイン会場に「きらきらフェスティバル」、ハウステンボスでは「光の街」というイルミネーションイベントが開催される。

 それらと連動して、数年前から佐世保重工業株式会社(SSK)では、クレーンい電飾をほどこしクリスマスムードを演出している。
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 SSKは、佐世保を代表する造船産業を築いてきた会社だ。明治、大正、昭和の海軍時代に海軍工廠(こうしょう)だった施設を使って敗戦後に会社を設立。船艦武蔵の修理などを目的に建造された全長343mの第4ドッグなど、敷地内にはその歴史を物語る建物など近代遺産が今も点々と残っている。

 佐世保らしい景観でもあるドッグとクレーン群の中、毎夜、灯りを発しているのは大正2年に英国人技師によって建造されたイギリス製250トンクレーン。高さは42m、ブーム部分は82m。125トンの吊り上げ機が2機装備されているので、通称250トンクレーンと呼ばれている。

 同社で最も古いクレーンで94年間経った今も現役。船のクランク軸やガスタンクの積み込みなどで現在も大活躍中だ。国内でも珍しくなったこのクレーンは、SSKのシンボルと言える。

 風当たりの強い地上42mの場所にタール塗装した枠を備え、レタリングを活用し、金網で「SSK」の文字も製作。60ワットの赤色灯251個、白色灯251個、計538灯を一つ一つ丁寧に差し込み部分を固定し、球が風に揺れて割れないように工夫されている。


 山の手から佐世保港を見下ろす夜景に美しく映えるクレーン型の電飾。海軍から造船と3つの時代を静かに見守り続けてきた長老クレーンの輝きは、最も佐世保らしいクリスマスイルミネーションかもしれない。  (霜月)

2007年11月21日

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「嘘つきバービー」

 
 髪の毛を幽霊のようにだらりと垂らした下駄男_uso84.JPG

 ベースギターを引きずりながら のそのそと歩いてやって来る

 薄暗い客席で誰かが囁く

「チューニングは大丈夫?」と

 
 髪の毛を幽霊のようにだらりと垂らした椅子男

 胴体を椅子に結わえ 座らされているよかのような奇異な動きで
 
             エレキギターをかき鳴らす
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 髪の毛を幽霊のようにだらりと垂らした裸男

 貞子のような緑の黒髪を振り乱しながら ドラムを叩く

 三人衆の容姿と形相は 落ち武者のよう

 三人衆の容姿と形相は 妖怪大戦争のよう

 三人衆の容姿と形相は 山に籠もる仙人よう
 
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 電気も消さず あくせくと消費に励む 日出づる国 

 勧善懲悪を愛し 悪逆に手を染める 日出づる国 

 あの輩たちは 我らの胸に棲む欲望と虚無の写し絵か

 音と言葉と動作で 我ら民を 驚かせ 笑わせ 不安にさせ 踊らせる

 客電がつき 我に返った人々は

 狸に化かされたような不思議な面持ちで会場を後にする

 これ全てロックンロールの名を借りる 心の解放楽士
 
 イワシタ! チブ! トヨダ!

 童謡演劇楽団…?「嘘つきバービー」の仕業である 

 今宵も どこかの町で じゃんが じゃんが じゃんが じゃんが 

 頭にバケツを かぶって踊り狂う
 
 どろろどっきんぐに 化かされぬよう ご用心 ご用心


※佐世保出身のロックバンド「嘘つきバービー」が、またまた全国ツアー敢行中。北海道から関東〜関西〜九州、20ヶ所以上のスケジュール。じわじわとファンを獲得しながら、津々浦々にその存在を知らしめている。最終日は12月25日(日)夜8時より地元佐世保「ガァネット」で、元スターリンのヴォーカリスト、遠藤ミチロウ氏の弾き語りロックと二本立てという超ド級のプログラムが展開。ツアーバンドとして感性と妖気を増幅中である彼らの最新舞台VS日本パンク界の重鎮に注目だ。(霜月)

2007年11月20日

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「佐世保ばやし」

 先月、このノートで書いた「九十九島の音楽」について新たな情報が舞い込んだので、追って報告することにした。

 平和堂レコードの倉庫に眠っていたシングルレコード、昭和50年代に佐世保レコード商組合がレコード会社に発注して製作したと記した「佐世保ばやし」についてである。実はこの曲それより、およそ10年前にすでにレコード化されていた事実が分かった。

 写真がそのジャケットだ。前回紹介した昭和53年リリース版は、歌手ではなくて、島々を見下ろすカップルを主役扱いしていたのに対して、こちらはデビュー間もないチータこと水前寺清子さんを大々的に使用しているのが特徴だ。suizennji.JPG

 資料を提供してくださったT氏の記憶によると、昭和40年代初め、佐世保の歌を広めたいと「佐世保婦人会議所」のメンバーたちが取り組んで生まれたレコードだったようだ、ということである。確かにジャケットの右上に「佐世保婦人会議所選定」というコピーがクレジットされている。

 レコードに製造年月日は記録されていなかったが、歌詞カード下に「佐世保玉屋」の広告がプリントしてあった。「バラは愛の花ことば 感謝はタマヤの合ことば」というコピーの横に創業50年の記念ロゴが入っている。そこに1967の数字を発見。村上龍の「69」の2年前、昭和42年に製作されたものであることが伺える。

「昔から町内の盆踊りで流れていた」「今も東浜町の夏祭りで使っている」という年配の方々からの声もあり、もう一枚の原盤があるのかもしれない…と、推測していた矢先、T氏が自宅に保存していた当時のレコードを見つけ出し、ジャケットをカラーコピーして送ってくださり、謎が解けた。

 という訳で、本日のトリビア。国民的大物歌手、水前寺清子が若き日に佐世保市の名所である九十九島(くじゅうくしま)などを歌った「佐世保ばやし」のシングルレコードは昭和42年版と53年版の二種類がある……へえ〜ぇ へえ〜ぇ へえ〜ぇ……の「90へぇ」。


※「九十九島と音楽」はこのノートからスピンアウトしてライフさせぼ発行の月刊誌「99VIEW」12月号(12月8日発行予定)で特集記事を組むようになった。       (霜月)

2007年11月19日

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「アジサカコウジの踊りに行くぜ!!」

 今年もアルカスSASEBOでコンテンポラリーダンスイベント「踊りにいくぜ!!」が開催された。今回のポスター、チラシを描いたのは、任天堂DSのゲームソフト『大人力検定』のイラストも手がけるなど幅広い活躍を見せている佐世保出身のイラストレーター、アジサカコウジ氏だった。
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 アジサカ氏は、パソコン出力画と絵筆によるアクリル画による人物画を数多く描き、国内外で個展を開いている。じっとこちらを見つめる無機質な表情やスタイリッシュな曲線美……自由な楽しみ方を秘めたポップでかつシュールなタッチで人気の高い作家だ。僕にとって彼の絵は一度見たら忘れられない「気になる絵」というのが、第一印象だった。

 例えばウルトラホーク、マジンガーZの造形美と同じく直感的の“かっこよさ”を構図の中に感じた。かつ西洋美と日本テイストの折衷的な香りもした。明るさを落としたアクリル世界には、個人的に小学校の時に夢中になったポプラ社発行のジュニア向け「江戸川乱歩シーリーズ」の表紙画に通じる昭和の郷愁も感じてしまった。

 作者の意図は定かでない、僕の勝手な印象だ。そんなアジサカ氏に一度「九十九島音楽祭」の中で僕がプロデューサーを担当した『MUSIC ISLAND99♪』のポスターを描いてもらったことがある。僕は「九十九島でアコースティックギターを弾いている女性を描いて欲しい」と発注した。その時、感じたことは、どこに貼っても浮き上がり過ぎず、しかも空間に埋没してしまわないオシャレな存在感だった。広報用のポスターなのに、ファッションの一つでもあるかのように街の中にスーッと溶け込んで行った。そこに時代を表現するポップセンスを感じた。

 そのアジサカ氏がアクリルでダンスの世界を描いたのが今回の作品だ。「気になる絵」に謎解きは不必要なのだろうけれども、長崎のアトリエにいる氏に久しぶりに電話をかけて、どんな思いで描いたのか聞いてみた。ajiakajp2.JPG

 氏もアート的な肉体表現であるコンテンポラリーダンスに好感を持っているようで、ダンサーが表現できないダンスを絵の世界に投影してみたかったと語ってくれた。誰もが想像する躍動感を抑えて、あえて静止している切り絵のような動作を描くことで、コンテンポラリーダンスの本質を表現しようと考えたそうだ。

 アジサカコウジ氏が絵筆で踊ったコンテンポラリーダンス『踊りに行くぜ!!』。個展では原画も展示されたそうだ。イラストのほか絵付きエッセイやシネマンガなどホームページでもクールでコケティッシュなアジサカコウジの世界が堪能できる。僕はシネマンガの『ガズパソロボ』『郷愁』が大好きだ。新作を楽しみにしているのだが、仕事が忙しそうでまだ拝見できない。

 余談だが、電話の雑談の中で美食家のアジサカ氏は福石観音入口の、さぬきうどん店「池田屋」を大絶賛。天神町にある隠れた名所居酒屋「たけや」にも一度行ってみたいと、興味をしめしていた。アーティストは「食」にもどん欲なのである。(霜月)
 


2007年11月08日

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「佐世保ラーメン伝」

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 佐世保のラーメンは、九州ラーメンの源流と言われる久留米や長浜より、ややあっさり薄味のとんこつスープが主流だ。具はチャーシュー、モヤシ、キクラゲ、ネギとオーソドックスで、なかなか旨い。どちらかというと佐世保バーガーよりも身近に親しんできたふるさとの味の一つとも言える。
 
 その起こりは朝鮮動乱の特需景気に沸く昭和27年(1952)にさかのぼる。それまでチャンポン麺しかなかった佐世保に中華麺の製造が広がり、屋台の中華そば店が急増した。「喜楽」「お富さん」「お栄さん」「丸徳」「草木ヶ原」「末広」など今も愛されている老舗ラーメン店の先代たちがほぼ同時期に移動式の屋台営業を始めた年である。
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 だが、それより何ヶ月か早く一台の屋台がすでに佐世保の街に現れていた。大阪の空襲で家を失い父親の実家がある佐賀県に移り、別府に転居。製麺所で麺打ちを覚え、料理人にスープの出し方を習い、中華そば屋を始めた新郷譲次さんの屋台だった。別府市から進駐軍がいなくなり、景気が静まったのを機に特需に賑わう佐世保を目指したと言う。

 当時、市内には中華麺がなく新郷さんは大川製麺所という所に作り方を持ち込んで製造を依頼。やうやく商売をスタートさせたのだが、保健所の職員が困った面持ちで新郷さんを訪ねてきた。闇市を中心とした露店業者へ衛生面などを理由に行政指導が始まり、夜店公園通りにハーモニカ長屋風のバラック造りの建物を整備。その中に業者を収めた矢先に、新郷さんの移動式屋台が現れたのである。毎日、営業中止を求めにやって来る市の職員に新郷さんは「分かりました。私もお役人について回ってもらって、商売するほど面の皮は厚くありませんから…」と言い残し、わずか1ヶ月で屋台を閉じた。この新郷さんが現在の「大阪屋」の創業者だ。

 ところが、皮肉なことにその直後、中華そば、うどん、焼きそば、焼きうどん、おでんなどを売る屋台が続々と登場。全国的に闇市が取り締まられた後に屋台業が自然発生的に広がったと言われる時代、行政側もなす術がなかったのか、後に営業権を与えることになったようだ。最盛期の昭和30年代初頭には、佐世保駅から島瀬公園までの国道沿いに約170軒の屋台が軒を連ねていたと、かつてあるラーメン店の主人に教えてもらったことがある。蝶ネクタイ姿のバーテンがいてハイボールなどを出す、屋台バーも珍しくなかったそうだ。

 ちょうどその頃、福岡の久留米ラーメンや長浜ラーメンが有名になってきていた。札幌ラーメンや東京ラーメンなどご当地ラーメンも全国に知られるようになって「中華そば」から「ラーメン」という呼び名が一般的になる。新郷さんは屋台を辞めた翌年、昭和28年に当時の潮見町にあった「御座候屋」の隣に佐世保初の中華そば専門店を開店させた。屋号は生まれ故郷の大阪に想いをはせ「中華そば大阪屋」と名づけた。新郷さんは、久留米の白濁とんこつスープとは対照的に「澄んだスープこそ命」をテーマに自家製麺を使った正統派の中華そば作りをベースに試行錯誤し、オリジナルの味を追求した。昭和32年に現所在地、下京町の自社ビルに移った。今も湯気の中のシナチクが中華そば時代の名残りを静かに物語っている。
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 佐世保の老舗ラーメン店の多くが独自の味を研究したのは昭和30年初頭の屋台時代だと思われる。個性の強い?岡派の影響も受けつつ、お客さんの口に合う旨いラーメン作りにしのぎをを削った“佐世保ラーメン創成期”だったのだ。しかし、昭和39年、東京オリンピックの開催にともない、全国で美化と衛生面を掲げ、屋台を廃止する運動が高まる。道路交通法が改正され屋台が厳しく取り締まれるようになっていった。営業権も一代限りとなり、佐世保の街からも次第に屋台の灯りが減り、店舗を構えるラーメン店が主になっていった。


 9年前の冬、地球屋の原さんと飲みながら屋台巡りをしたとき市内にはまだ「旭屋」など7軒の屋台が残っていた。おでんや串焼き専門の屋台「黒百合」など居酒屋感覚の個性派屋台も人気だったが、もう姿を消した。現在は市役所ヨコの人気屋台「まるに」と駅前の「みつる」ぐらいしか目にしなくなった。raa1.jpg闇にうっすらと灯る赤い暖簾から上がる湯気と人々の笑い声……見知らぬ者同士がコの字になって酒やおでん、ラーメンを楽しんだ昭和の一コマ。コンビニの灯りよりぬくもりを観じる灯りだったように思える。

 昭和の屋台文化に育まれたルーツを持つ佐世保ラーメンの歴史は約55年。後発のお店や平戸の名産品、焼きあごでダシをとる「あごらーめん」なども加わり、チェーン店の席捲を受けながらも、30軒ほどの地元ラーメン店が、それぞれの味と風味を平成の今も楽しませてくれている。そんな中、先月初めに「大阪屋」の二代目新郷悟さんが先代から引き次いだ味と伝統を守りながら、21世紀に送る新たなる佐世保ラーメンをデビューさせた。 〈つづく〉

※写真は9年前に撮影した佐世保市の屋台風景。   (霜月)    

2007年11月01日

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「九十九島(くじゅうくしま)と音楽」

 軍港として栄えた佐世保市は、明治時代に佐世保海兵団軍楽隊楽長を務めていた田中穂積が作曲した日本最初のワルツと言われる「美しき天然」(作詞:武島羽衣)という名曲が生まれた場所だ。
 
♪ちゃ〜ら、ちゃちゃちゃ、ちゃ〜らら、ちゃらら〜らら〜ら〜、というスローワルツの覚えやすいメロディーは、サーカスのジンタやチンドン屋の演奏として親しまれ日本中に広がった。その後植民地下の朝鮮半島へ渡り人々と共に遠くロシア、中央アジアまで流れ、今も歌い継がれていたことが作家、姜(きょう)信子さんの研究などで明らかになっている歴史的な曲だ。
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 どこの町にもご当地ソングはあるものだが、佐世保の場合はこの『美しき天然』のように西海国立公園である九十九島(くじゅうくしま)を題材にした曲が、戦後もたくさん作られている。昭和35年には銘菓「九十九島せんぺい」のCMソングとして三橋美智也さんが歌った『九十九島』という曲が誕生している。地元の尾形よしやす氏が作曲した『西海ブルース』は昭和53年に内山田洋とクールファイブによる全国版としてヒットを放った。

 その他、團伊久磨さんが昭和44年に作曲した管弦楽と合唱のための『西海讃歌』も有名。西海国立公園制定50周年の一昨年は記念事業も多く開かれ、「させぼ夢大学」が九十九島の新しい歌を残そうと、羽田健太郎さんに作曲を、阿久悠さんに作詞を依頼。昭和の音楽界をリードした偉大な二人が共作で生み出した『九十九詩人(くじゅうくしじん)』という曲がお披露目され、CDとなって学校や公共施設、式典などを通じて多くの市民に配布された。惜しくもお二人とも今年他界されてしまい、佐世保市にとって大変貴重な遺作ともなった。
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 ちなみに私も同じ年、地元ミュージシャンに九十九島のある佐世保での暮らしを題材にした曲を作ってもらい『MUSIC ISLAND99♪』というライブイベントを企画、開催した。『小さな、船の旅』(Mayumi)、『僕らの唄』(赤崎コンパ大學)、『九十九島』(長野友美)、『風音』(サンディトリップ)の4つの歌が誕生。オムニバスCD『MUSIC ISLAND99♪』を製作して、ライブにきてくれた方々にプレゼントした。それぞれ、今もライブで大事に歌い続けてくれている。
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 インペリアルレコードからメジャーデビューして活動を行っている松千も九十九島でヨットに乗った時の心模様を歌った『虹色のいたずら』という作品を1stシングル『ショー』の中に収めている。

 そして、私自身はも記憶はないが、水前寺清子さんが九十九島を熱唱した『佐世保ばやし』という一曲があることを市政100周年年に佐世保市が発行した記念誌「佐世保辞典」で知った。そのオリジナルレコードがなんと「平和堂レコード」の倉庫に眠っていたのである。この秋の仮店舗移転のおりに約300枚の在庫が発見された。社長に話を聞くと、昭和50年代初頭に佐世保レコード商組合のメンバーが「佐世保の盆踊り曲を作ろう」と企画して、レコード会社に製作を委託。人気歌手の水前寺清子さんを起用したオリジナル曲が完成。島瀬公園で商店街が開催していた盆踊り大会のメイン曲として使用されていたそうだ。hayasi03.JPG 
 
 早速、私も入手したが、残念なことにプレーヤーがなくまだ再生していない。佐世保辞典の解説には、現在でも盆踊りやおくんちで欠かせない曲として親しまれている、と記されてるが、どんな曲なのか。現在は「おくんち」の規模も縮小されているので、今も欠かせない曲かどうかも定かでない。B面の『佐世保ん娘』の、ぶっ飛んだ歌詞も興味をそそる。チータこと昭和を代表する大物歌手が、どのようなパンチの効いた歌唱力で佐世保を歌い上げているのか気になる。
 
 クラブのDJに頼んでみようか? いやいやプレーヤーを持っている知人に再生してもらおう。当時のお値段は600円と記されている。なんともプレミアムな佐世保限定のお宝EP版なのである。   (霜月)