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「佐世保に緒形拳」

 今週火曜日にアルカスSASEBOで緒形拳のひとり舞台「白野」を観劇しました。僕が緒形拳さんの顔を初めて見たのは幼児の時に放送されていたNHK大河ドラマ「太閤記」の秀吉役だったと思います。

 その後、中学校から高校でよく邦画を観るようになって、スクリーンでたびたびその姿を拝見するようになりました。「砂の器」「鬼畜」「八甲田山」……やはり高校生の時に観た「復讐するは我にあり」の犯人役の印象が最も鮮烈で、緒形拳という名前を覚えるきっかけになった作品でした。

 その後も「家宅の人」など、いろんな作品を観てきました。実にさまざまな役柄を演じておられますが、主役でも脇役でも氏の姿がスクリーンに写し出されるだけで、次第に不思議な安心感を覚えるようになって行きました。

 善人を演じても悪人を演じて忍者や刑事を演じても、その役柄より緒形拳という1人の人間を観ている安堵感を先に感じるようになったのです。僕の勝手な思い込みですが、どこかひょうひょうとしていて、茶目っ気があり、鋭くて怖い……その人間くささがかっこいいんです。もちろん映像を通じて勝手に抱いたイメージですが、ロックンローラーみたいな「粋」な、かっこよさを長年感じながら見てきた役者さんの1人です。
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 そんな緒形さんの生の舞台を佐世保で観ることができる絶好の機会が到来。新国劇のことや原作「シラノ・ド・ベルジュラック」も不勉強ながら足をはこびました。
 
 暗めの背景に、真っ白な布が垂れ下がり、緒形さん直筆と思われる「月」とい書文字が描かれただけのシンプルな舞台。チェロの生演奏とわずかな効果音だけ、凛とした空気が張り詰める中、侍姿の主人公が登場。衣裳もメイクも替えずに1人でヒロインまで5役も演じるたったひとりの人物。その動作と台詞に、物語の中にぐいぐい引き込まれていきました。
 
 落語の話術も思わせる言葉の妙、「月」と描かれた垂れ幕が、月夜に見えてくる視覚効果、空間や間……古典芸能も思わせる日本的な「美」や「風情」といった世界観も持った作品だと思いました。

 年齢を積み、無駄な力を削り落としたようなスタイリッシュな芝居に、緒形さんご自身の人生もダブって見たような気がします。古稀を迎えたとは思えない役者の放つオーラは、僕にとって今も間違いなく「かっこいい」ままでした。それは、例えば60歳過ぎても、ひょうひょうとギターをかき鳴らしているキースリチャードの
ような、「男の心意気」を秘めた、かっこよさなのです。

 公演終了後に、緒形さんのブログを拝見してみると、佐世保滞在中に撮影された
夜景やイワシ、海軍さんのビーフシチューなどの写真がアップされていました。この街を訪れた白野弁十郎が残した置き土産みたいで、笑みがこぼれる、嬉しい写真でした。    (神無月)