「ともぞうのこと」
【来春メジャーデビューが決まった地元シン
ガー長野友美さんが今月23日に神戸へ居を
移すために旅立つ。寂しくなるが、彼女の門
出を心から祝福したい。そんな彼女のひとと
なりを綴ることにした】らいふの まきたろう
平成十七年二月四日、日曜日。立春だが、空は寒々しい灰色だった。人々は凍てつくような強い寒気に耐えながら、アルカスSASEBOの広場にテントを設営してスマトラ沖・地震津波を救済するためにチャリティバザーとチャリティーコンサートを開いた。
私は撮影の手を休め、一杯百円のチャイを買った。外套の襟を立て、紙コップの温もりを掌に当てながら暖をとっていると、透き通るような女性の歌声が聴こえてきた。素朴な弾き語り演奏だったが、その声と詩がなぜか心に引っかかった。
毛糸帽子と外套に身を包み、かじかむ指でコードーを押さるそのうた歌いの姿は女性だったが、名を「ともぞう」と名乗っていた。最近の流行歌は少々苦手になっていた私は、凛とした声質と、心模様や情景を写実的にとらえた奥深い詩情世界に郷愁を覚えた。それは、音を発しているのに時間が止まったような静寂を感じてしまう不思議な心地よさだった。
多くの軽音楽人は大なり小なり国内外の流行歌に刺激をうけながら模倣と創造を繰り返し、独自の音世界を追い求めるものだ。が、彼女は何に触発されて詩を書き歌にしているのか、すぐには伺えなかった。「今どき、なぜ若い女性がこんな歌をっているのか?」それが正直な印象だった。
演奏終了後。私は彼女に駆け寄り声をかけた。五月に私が企画する「ライフdeライブ」に出演して欲しいと用件を伝えた。
ともぞうは、演奏の緊張から解き放たれたように、洟をすすりながら微笑んだ。ためらうことなく「はい。ぜひ、お願いします」と朴訥な言葉で承諾した。その面持ちになぜか、文庫本に載っている中原中也の顔写真を思い出し、文学の香りを感じた。
しかし、彼女は文士ではなく、絵師だった……。
ともぞうは、父親から譲り受けたヤマハのギターを収めたケースを提げ、笑みを浮かべ会釈すると、♪また冬が戻ってきたような風〜、の中へと帰って行った。〈つづく〉 (師走)