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2006年12月20日

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「回転焼」

 この類いの焼き菓子は全国的に「今川焼」や「大判焼」の名で親しまれているようだが、佐世保では昔から「回転焼」と呼ばれている。その名の由来は36ヶのくぼみを備えた鉄板焼き器が固定式ではなく、クルクルと回転する仕組みからきている。

 佐世保に登場したのは戦後間もない昭和20年代。まだ物資が乏しい頃、潮見町に開店した「甘党の家・御座候屋」のメインメニューはぜんざいと、この回転焼(夏場はかき氷)だったのだ。しばらくしておなじみの下京町「一休」にもこの回転焼が登場した。DSC_0031.JPG
 
 今のように砂糖やあずきなど甘い物が身近じゃなかっただけに両店とも爆発的な人気を呼んだそうだ。当時はテイクアウトよりも店内で食べるのが主流。値段は一皿60円(1個5円)だった。人々は皿単位で注文して一人で10個以上をぺロッと平らげていたのである。

 映画全盛期、ナイトショーともなると「一休」の前には真夜中まで行列ができていたという。確かに私も祖母にゴジラ映画に連れて行ってもらった時、手提げ袋からおにぎりやら回転焼を取り出していた記憶が残っている。
 
 時には外国人も列に並び「レッドビーンズ!」と注文する光景もある“佐世保の味”は、21世紀になっても健在だ。ちょっとした茶菓子や手みやげにも最適なわが町の名物。特にこの寒い季節は、あの店頭のぬくもりも恋しくなってしまう。一個でいいからあったかい焼きたてを食べたくなり、つい列に並んでしまうのだ。

 そして、佐世保人の多くは「黒あんと白あんどっちが好いとっ?」と知人、友人と一度はプチ論議を交わしたことがあるのではなかろうか(?)。私はちなみに白派である。現在値段は1個63円なり。
(師走)

 

2006年12月13日

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「ともぞうのこと」

          【来春メジャーデビューが決まった地元シン
          ガー長野友美さんが今月23日に神戸へ居を
          移すために旅立つ。寂しくなるが、彼女の門
          出を心から祝福したい。そんな彼女のひとと
          なりを綴ることにした】らいふの まきたろう


 平成十七年二月四日、日曜日。立春だが、空は寒々しい灰色だった。人々は凍てつくような強い寒気に耐えながら、アルカスSASEBOの広場にテントを設営してスマトラ沖・地震津波を救済するためにチャリティバザーとチャリティーコンサートを開いた。020.JPG 

 私は撮影の手を休め、一杯百円のチャイを買った。外套の襟を立て、紙コップの温もりを掌に当てながら暖をとっていると、透き通るような女性の歌声が聴こえてきた。素朴な弾き語り演奏だったが、その声と詩がなぜか心に引っかかった。

 毛糸帽子と外套に身を包み、かじかむ指でコードーを押さるそのうた歌いの姿は女性だったが、名を「ともぞう」と名乗っていた。最近の流行歌は少々苦手になっていた私は、凛とした声質と、心模様や情景を写実的にとらえた奥深い詩情世界に郷愁を覚えた。それは、音を発しているのに時間が止まったような静寂を感じてしまう不思議な心地よさだった。    

 多くの軽音楽人は大なり小なり国内外の流行歌に刺激をうけながら模倣と創造を繰り返し、独自の音世界を追い求めるものだ。が、彼女は何に触発されて詩を書き歌にしているのか、すぐには伺えなかった。「今どき、なぜ若い女性がこんな歌をっているのか?」それが正直な印象だった。

 演奏終了後。私は彼女に駆け寄り声をかけた。五月に私が企画する「ライフdeライブ」に出演して欲しいと用件を伝えた。010.JPG 
 
 ともぞうは、演奏の緊張から解き放たれたように、洟をすすりながら微笑んだ。ためらうことなく「はい。ぜひ、お願いします」と朴訥な言葉で承諾した。その面持ちになぜか、文庫本に載っている中原中也の顔写真を思い出し、文学の香りを感じた。 
 しかし、彼女は文士ではなく、絵師だった……。

 ともぞうは、父親から譲り受けたヤマハのギターを収めたケースを提げ、笑みを浮かべ会釈すると、♪また冬が戻ってきたような風〜、の中へと帰って行った。〈つづく〉              (師走) 


2006年12月11日

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「宇宙戦艦ヤマトを作りたい」

DSC_0025.JPG 人にはいろんな夢があるが、この男の夢は超ド級。ホテルを備え、実際に航海できる実物大「宇宙戦艦ヤマト」を佐世保の造船所で建造するという夢を抱いている。佐世保弁で「なんば、夢んごたっことば言いよっとや」と言いたくなるとんでもない夢だ。

 ところが彼は少年みたいに瞳を輝かせ、あちらこちらでこの壮大な夢物語を何の照れもなく公言して回っている。「ホテルのスタッフもさ、ヤマトの乗員と同じ服を着て航海先に停泊してイベントを開いて、また佐世保に帰ってくるとさ」と言った具合に会う人会う人に熱く語りまくる.。
 
 その男とは、フィギュア、雑貨業&イベント仕掛人としても活躍している「ワイワイ貿易」の緒方氏だ(いつもワイワイ言っている人なので、拙者の中では“YY オガタ”と呼んでいる)。

 彼は一日中、佐世保をおもしろくすることばかり考えている。「映画」「マンガ」「音楽」が大好き。高校生の時コミケを開催した伝説も持つ。数年前に佐世保でもハリウッドスターに会える喜びを!と熱く語っていると思ったら、本当に俳優を呼んでサイン会を開いたてしまった。
 
 最近は「クローズ」のフィギュアを製作している会社とコラボで佐世保発のオリジナルのフィギュアもプロデュース。ワイワイオリジナル焼酎も作るし、音楽イベントも企画するなど「いったい何屋さん?」と首をかしげたくなる不思議なエネルギーを放つ男だ。

 ネットワークも広く、東京、大阪、福岡を飛び回りさまざまなジャンルの人々と会う。電話やネット上でなく生の人間とワイワイ語り合うのがオガタ流。ビジネス優先の現実的大人感覚では「……?」という価値観を「……!!」で実際に形にして見せてしまう男だけに、この「ヤマト発進計画」もただの笑い話に聞こえないのだ。%A4%E4%A4%DE%A4%C8JPG 
 
 全国の行政の裏金を持ち寄れば実現するかもしれないが、組織の夢は病んでいるし、庶民には金(税金)がない。金(税金)じゃないから本当に楽しいものを作れる「夢」を全国の市民が応援すれば壮大なプロジェクトは動き始めるかもしれないぞ。
 
 ところで、YYオガタは初夢も超弩級艦ヤマトホテルなんだろうか? カメラに向かってほくそ笑む夢男を、はい、パチリ! 来年も楽しい夢を見せてくださいな。         (師走)

2006年12月08日

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「ピカデり」

P1010018.JPG P1010004.JPG 久しぶりに「まちの記憶」を紐とこう。
 小生は高校時代このピカデリという映画館で「エデンの東」や「小さな恋のメロディー」など名作リバイバル上映をよく楽しんだ。

 昭和32年の開館から洋画専門館として親しまれてきた映画館だが、昭和の後半は東宝作品の直営館に変わった。近年では「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」で行列に並んで映画を楽しんだ記憶を持つ人も多いはずだ。

 明治時代に鎮守府が置かれ、村から市へ大きく成長した佐世保は海軍の街として料亭や娯楽施設も早くから栄えた。昭和の初めには九州有数の劇場といわれる佐世保座という洋館づくりのおしゃれな劇場(後の第三中央〜日活中央〜東宝中央)をはじめ、千日劇場など本格的映画館が街のあちこちにできた。
 
 敗戦後、米海軍の街としての顔を持つようになると、今度はキャバレーやダンスホール、レストランが続々誕生。しかし、朝鮮動乱の特需景気がおさまると、キャバレーやホールはどんどん映画館に姿を変えた。昭和の佐世保人の想い出でもあるカズバ、グランド、スバル、ピカデリー、テアトルダービー、国際、富士……などだ。
 
 東宝中央や東映もそうだったが、洋館を利用した劇場には2階席が独特の雰囲気を放っていた。特にカズバやピカデリといった大型館の2階特別席は別料金が必要だったので、子供の頃は憧れの場所だった。

 ちなみにこのピカデリは2年前に閉館した。 地方にもシネコンスタイルが普及した現在、ホール感覚の昔の劇場に昭和の想い出が蘇ってくる。白黒写真はオープンしてまもない頃の同劇場だ。

 ゴジラシリーズから百恵&友和シリーズ、「日本沈没」「八甲田山」「悪魔の手毬歌」「太陽を盗んだ男」などを観た東宝中央。「未知との遭遇」「人間の証明」「エレファントマン」などを観た東宝プラザ。
 
 まんがまつりから松田優作の遊技シリーズまで観た東映。「十戒」「大地震」「ジューズ」「エイリアン」など大作にふれたカズバ。
 
 「燃えよドラゴン」「エクソシスト」などに驚いた太陽。盆と正月はスバル座に行けば寅さんに会えた。
 
 休憩時間に首から箱を下げてサンドウィッチやジュースを売り歩いていた日活のおばさんの姿も懐かしい。

 映画館にも「まちの記憶」がたくさん眠っている。      (師走)