「ゴ−ヤ−マン逝く」
緑から黄緑〜黄色に変色を重ねたゴーヤーマンがある日、破裂してザクロのような赤い物体を吹き出した。一体何が起こったのか分からず、驚いて激写。よく観察してみると真っ赤な物体は種子である。なるほどゴーヤーマンはこのような劇的な最後を遂げ土に帰って行くのか。
ゴーヤ-チャンプル、ゴーヤ-ソーメンを何度も肴に麦酒をいただき猛暑と戦ったこの夏の想い出がよぎる。「ゴーヤーマン、大変お世話になりました。ありがとう」大地の恵に感謝してしまった事件である。 (葉月)
緑から黄緑〜黄色に変色を重ねたゴーヤーマンがある日、破裂してザクロのような赤い物体を吹き出した。一体何が起こったのか分からず、驚いて激写。よく観察してみると真っ赤な物体は種子である。なるほどゴーヤーマンはこのような劇的な最後を遂げ土に帰って行くのか。
ゴーヤ-チャンプル、ゴーヤ-ソーメンを何度も肴に麦酒をいただき猛暑と戦ったこの夏の想い出がよぎる。「ゴーヤーマン、大変お世話になりました。ありがとう」大地の恵に感謝してしまった事件である。 (葉月)
人々は車に乗って日本列島を自在に移動しています。西九州自動車道を使ってこの街にも県外から日々いろんな人々が訪れます。
先日、ハンドルを握っていてふと考えたことがあります。終点のみなとインターから望む海辺の風景こそ佐世保を始めて訪れる人に最もインパクトがある第一印象なんじゃないかなあ、ってことです。佐世保に入って最初に目に飛び込むのは九十九島ではなくグレーの軍艦が浮かぶ港です。
高速道路が完成してもこのファーストインパクトはきっと変わらないでしょう。左手に軍艦、右手に競輪場を見下ろしながら人々は佐世保を通過して行くはずです。佐世保人には見慣れた当たり前の風景も、外からの目で見ると私たちが知らない佐世保らしさを強烈に放っていたりするんでしょうね〜。そうココはまぎれもない軍隊がいる街なのです。(葉月)
「お主、わが藩の名産、ハンバーガーは好きか?」
「ハンバーガーでござるか? はて、最後に食したのはいつであったか?」
「なんでも江戸の方までその美味が噂を広げておるそうだが?お主はいかほど食しておるか?三日に一度ほどか?」
「三日に1回!! 冗談を言われるな。納豆もそんなに食さぬのに、どうしてハンバーガーをそのように! 拙者は日本人でござるぞ」
「そう言われてもわが藩の名物でござるぞ。地の者が食わぬ特産品でよろしいのか?」
「そう言うお主こそ、いかほど食されておるのじゃ?」
「ふむ……拙者か、この夏休み食したばかりでござる。娘がハッピーセットの玩具を欲しいというもの
で親子三人で食し、玩具三種ゲットしたでござる!」
「わはははははは。お主、気は確かか? それはマックでござらぬか。お主が話しておったのは佐世保バーガーのことではなかったのか?」
「何を頭の固いことを申しておる。佐世保で売っておるのだから全部佐世保バーガーでカウントしていいではござらぬか!」
「それなら拙者も先月、モスで打ち合わせしたおりに食した」
「左様でござったか。それでは月一回平均ってことでよろしいな」
「待ってくだされ。学生やヤング層はそうかもしれぬが、拙者は月に一度も食しておらぬ、せいぜい年三回、いやニ回ってところではなかろうか」
「誠か、安心した。ここだけの話しだが、実は拙者も娘や家内がせがまぬ限り好んで食しておる訳ではないのでござる。確かに美味なのだろうが、この年になるとどうも肉は苦手になる」
「左様でござったか。ところで佐世保バーガーは最近食されたことはござらぬのか?」
「恥ずかしながら、三年ほど前に食したきりだ」
「安心した。拙者はもう四、五年ほど食しておらぬ」
「だがまずいのう。他の者に知れたらお役御免じゃぞ。くれぐれも殿の耳には入らんようにご用心、ご用心」!」 (文月)
映画「オールウェーズ」はDVDになっても人気。コンビニにスーパーヨーヨーが付いた復刻版コーラが並ぶ。食玩おまけも昭和を題材にしたものが目立つ。昔は「回顧」という言葉に、縁側でエコーでもくゆらせながら「あの頃は芋ばっかり食ったな…」と爺さんが記憶を辿っているようなイメージを持っていた。が、近頃は30代そこそこの輩が「わ、懐かしい!」と学校給食のレプリカフィギュアなんかを手に取って喜んだりする。
拙者も「スイカの漬け物食いたいぜ!」「くじらのステーキ食いたいぜ!」とキース・リチャードの字幕スーパー口調(英国で「ぜ!」はどう表現するのか?)で昭和を懐かしむことが増えた。せいぜい20年〜30年前の記憶だが、平成の世では得ることができない何かを求める感がある。
それは深い郷愁や回顧というより、アルバムをめくりながら想い出を整理している感覚にも似ている。今の人間は日々膨大な情報を頭にぶち込んでいる。脳のメモリー容量のことはよく知らないが、眠っているときに見る「夢」が脳内をシャフルしているようなことを何かで書見した覚えがある。
もしや、最新データ優先の頭の中は、自己の古いデータを整理する作業ができなくなているのか(?)。 過去を振り返る映画、音楽、アニメ、ヒーロー、フィギュアはそういった古いデータを開くツールとして大活躍しているのかも。
そこで、拙者もツールを探してみた。名づけて「まちの記憶」! ありましたぞ。旧佐世保駅舎解体中の写真だ。「わ、懐かし〜い! 鞄と手荷物をたくさん持ってこの回廊を行き来したよね〜」わずか4年前の光景であるが、すでに「プチ懐かし」の感覚。人の頭の中と同じく都市の記憶も日々消去の連続。ごみ箱の中こそ大切な記憶の宝庫なのではござらぬかあ〜。(文月)